「もっと痛い音を。」ラブソングを作りながら考えていること
(※写真は以前のレコーディング風景)
もう8月も後半。
もう何千回言ったかわからないが、「時の経つ早さ」に、震える……。
創作に集中すると、ついついnoteの更新が滞ってしまい、
SNS自体、というか、ネット社会から遠ざかってしまう。笑
そして今日もまた、
1001回目の「時の経つ早さ」に、しっかり震えている。
今、目の前にいるあなたに、
「一年の半分はとっくに過ぎたんだぞ、おい、お前!」
と、私の胸ぐらを激しく掴んで揺さぶってほしいくらいだ。
……と、どこまでも他力本願でごめんなさい(笑)。
さて、今私は、アルバムの4曲目に取り掛かっている。
普段はあまり恋愛系の曲を書かない私なのだが、今作っている曲は、なんと「ラブソング」なのであーる。
キャッ。
(↑キモ……)
今回のアルバムは、「人間」が大きなテーマの一つ。
だからこそ、
「人はなぜ誰かを求めるんだろう。」
「恋愛って何なんだろう。」
「寂しさはどこからやってくるのだろう。」
そんな答えのない問いを、ぐるぐると頭の中で巡らせながら曲を書いている。
不思議なことに、恋愛の曲を書こうとすると、メロディーよりも先にそんな「問い」が頭に浮かんでくるのだ。
私は今、メロディーや歌詞だけではなく、その曲が「どんな景色に住むのか」という、世界そのものを探している。
「PAD(パッド)」という、空間をつくるシンセの音。
(ふわーっと柔らかく厚みのある、背景を支える音のことね)
その音だけで、何時間も悩み続けてしまう。
音色を変えてみたり、コードの重ね方を変えてみたり。
ボイシング(音の積み重ね方)をほんの少し動かすだけで、曲の空気がまるで別の世界に変わってしまう。
「これだ」と思える場所が、なかなか見つからない。
頭の中に確かに存在する「その世界」を形にしようとすればするほど、音の迷路に深く迷い込んでしまうのだ。
でも、そうやって試行錯誤している時間こそが、曲にとって、呼吸を始めるために必要な時間なんだと思っている。
実は、この曲は「PADが主役」だ。
なかなかPADが主役のポップスなんてないかもしれないけれど(笑)、それだけこの曲は、空間、奥行き、そして世界観が大切だと勝手に思っている。
土台となる地上のPADと、その上空で星屑のように瞬くPAD。
その二つの音が、どうしても同じ帯域でぶつかり合ってしまって、思い描くような綺麗なグラデーションになってくれない。
「ああ、違うんだ!」
「もっと胸が締め付けられる、痛い音を!」
「もっと……痛い音を、私にくれぃ!!」
と、音に痛めつけられることを求め、部屋で一人ぶつぶつ言っている。
当たり前だが、曲はメロディーだけでは完成しない。
その曲が呼吸できる空気や、住む場所のような「気配」があって初めて、音に命が宿る気がしている。
音を重ね、ぶつけ合い、その世界を必死に理解しようとするプロセス。
それ自体が、もしかしたら「誰かを必死に理解しようとする、恋愛そのもの」に似ているのかもしれないな……。
それで、本日レコーディング。
やっとメインボーカルを録り終えた。
この曲は「静かな夜、青い部屋」というイメージだから、感情を盛るよりも、淡々と歌いたいと思っていた。
だけど、実際に歌入れとなると、やっぱりサビで感情が昂って、声を張ってしまう。
まあ、それはそれで仕方がないのだけど……。
想いが解放されてエモくなってゆくところと、静かに揺れる感情。
その対比があってもいいのかもしれない、と思えた。
私が音楽の師匠と仰いでいる人に、
その昔、20代の頃、レコーディングで言われたことがある。
「歌は生物(なまもの)だから」
ほんとにそう思う。
その時の想いも、感情も、声も。
その瞬間にしかないものが、フレッシュなまま全部そこに詰め込まれる。
なんて、カフェインレスコーヒーをすすりながら、少し火照った頭で考えている。
(夜にカフェインを摂って眠れなくなるのを恐れているビビり。笑)
ベートーヴェンの第九では、
「おお友よ、このような音ではない!」
と歌われるけれど、
今の私はむしろ、
「おお友よ、このような音ではなく、
もっと痛みを!」
「もっと胸が締め付けられる、痛い音を!!」
そんなことを言って自分を痛めつけながら(笑)、
明日はコーラス録りへ進む。
それでは、また!!
