映画『HAPPYEND』---監視社会はもう映画の中だけではない
2024年製作/113分/PG12/日本・アメリカ合作 配給:ビターズ・エンド 劇場公開日:2024年10月4日
監督・脚本:空音央
本気なのか? この映画化。
昨日、2026年9月3日のヤフーニュースによると、安倍元首相銃撃事件を題材にした映画の製作が進んでおり、しかも山上徹也被告役に菅田将暉氏の名前が挙がっているという話が飛び込んできた。
真偽のほどはまだ分からない。
しかし私は、4年前のあることを思い出した。事件直後、友人からこんなメールをもらったのである。
「いやぁ。銃撃した容疑者が男だと聞いて本当に安心しました。だって私は、犯人は妹子さんだと思っていたんです。」
「えッ・・・・・。」
そりゃ、私は何度も永田町に行ったし、官邸前にも行った。それに「アベ政治を許さない」デモもしていましたよ。しかし、それと銃撃計画とを一緒にしてもらっては困るのである。私が最も尊敬しているのは確かにマルクスだが、マハトマ・ガンジーもいるということを忘れないでほしい。つまり、全くの非暴力平和主義を目指しているということを、ひとつ確認してほしいのである。
とりあえず、「襲撃犯役は、大野妹子にしよう」などという事態にならず、胸をなでおろした次第だ。繰り返すが、私の立場は「絶対的非暴力」。武器を使用することなど、決して許してはいけない。
そんな映画のニュースが飛び込んできた日に、ちょうどこの『HAPPYEND』の話が出たのも、なにやら運命のような気がする。
今日、某教授に、
「あなた、日本文学で世界平和を目指すなら、『HAPPYEND』絶対見といて」
と、釘をグサッと刺されたからであった。授業で使っているらしい。
よって、帰宅後に早速、すなおにアマゾンで見たのであった。
「♬この世で一番えらいのは、電子計算機ぃ~♬」
(岡林信康「くそくらえ節」)
さて、二度ほど映画内で歌われるこの歌が象徴している通り、『HAPPYEND』は、将来AIに管理されていくディストピアを描いている。公式HPでは、
「今からXX年後、日本のとある都市」
という舞台設定になっているが、これは既に現代の日本と言っていい。我々が気づいていないだけなのだ。
以下、日本での実例を挙げる。
まず、監視・防犯カメラは、すでに多くの学校に設置されているという点だ。さすがに映画のように、AI顔認証で生徒を四六時中追跡する高校は現在の日本では一般的ではないらしい。しかしこの映画もそうだが、校長が生徒のいたずらを
「これは、テロだ!」
と判断したことで、AI顔認証とAIによる個人査定が始まった。
これはまさに戦争のスローガンで使われる「テロとの戦い」を想起させる。
また、マイナンバーを利用する行政の情報連携は拡大し、マイナポータルでは診療・薬剤情報などが確認でき、公金受取口座の登録も進められている。個人情報の悪用、プライバシー問題が懸念される。(個人的に思うのだが、国会議員自身が、どれだけマイナンバーカードを保有しているのか、その数字が知りたい。)
さらに言えば、国家情報会議設置法が今年5月に成立し、7月に施行された。政府・与党はさらに「スパイ防止法制」を検討している。このまま進めば、結局監視されるのは我々国民ではないのか。その際、前述の方法で集められた個人情報は、容易に総合されるだろう。
映画中に、警官が人物の顔をスマホで撮ると(無断で)、全ての個人情報が出てくるようになっているのだが、実際にデモをしていても、私服警官がビデオ・写真を撮っているから、私(妹子)の顔も割れているだろう。
更に、映画に登場する自衛隊の高校生への説明会(学校内で実施)は、実際に普通に行われているし、自衛隊によれば、全国1100を超える市町村から名簿の提供を受け、住民基本台帳の閲覧・転記まで含めると、約9割の市町村から対象者情報を得ているそうだ(京都市の報告)。
要するに、現代日本でも既に、個人情報の監視・利用が当たり前になりつつあるということである。そして、AI利用がそれを更に促進している。
大地震を想定した緊急事態条項
映画では冒頭から地震警報が鳴り、頻発する地震で内閣が「緊急事態条項」を発令するという設定になっている。これも人々の恐怖を煽り、緊急事態条項を憲法に盛り込もうとしている高市政権と重なるのである。
因みに、この時の赤いイルミネーション映像が、『ブレードランナー』(1982年米映画、リドリー・スコット監督)へのオマージュとなっており、映画ファンの郷愁を誘うと同時に、恐怖感を募らせるという仕掛けだ。実にうまい。
『ブレードランナー』、本当に名作だねぇ。ハリソン・フォード、めっちゃいい男だったし。これに関しても、以前映画評を書いたことがあるので、そのうちまた。
「緊急事態条項」に話を戻せば、最近、憲法学者が何人か、
「現行憲法には参議院の緊急集会など非常時に対応する仕組みが書き込まれてあり、災害対策のための法律もすでに存在する。だから緊急事態条項は不要だ」
と証言しているのを聞いた。そもそも地震や災害の援助だったら、自衛隊を強化する必要はなく、「災害援助隊」を作って、それを強化すればいいだけの話である。
「それにもかかわらず、選挙を経ずに国会議員の任期を延長できる制度を憲法に設ければ、議員の居座りを招きかねない」とのこと。危険すぎる。
ナチスが緊急権を独裁のために利用したのを想起させる手口と言える。
ついでに言わせてもらえば、今回のICC所長、赤根智子氏のことである。
高市首相は「大変残念」「日本の立場と相いれるものではなく、大変深刻に受け止めている」などと述べ、「必要な働きかけ」をするとした。だが、高市政府は具体的に何をしたのか。ドナルドに電話をかけてやったのか?
「国の究極の使命は、国民の皆様の生命と財産を守り抜くことだ」
というセリフは、高市氏の常套句だが、
「寝言は寝てから言ってくれませんか」
ということである。
空監督がアメリカを拠点にしているから出来た映画か?(ネタバレ注意)
脚本・監督の空音央氏は、アメリカ生まれの日米育ちで、現在も日米両方を拠点としている。坂本龍一氏を父に持つそうで、日本を内側と外側の両方から見る、ある種の「アメリカ目線」もあるのだろう。
だから、こういう社会批判が出来たのかもしれない。
いや、社会批判というほど強い主張や、血生臭い場面は皆無であり、どちらかと言えば「良い子の映画」で、大変穏やかな内容に見えるのだが、ハッキリと、
「世界は変わっていくんだよ」
というメッセージが伝わる。
子供の頃から変わらないユウタ。現実の理不尽を痛感し、変わってゆくコウ(在日韓国人)。
最後に一人で罪を被るユウタだが、二人はもう同じ世界に居られないと分かったからこそ、ユウタがキッパリ落とし前を付け、
「自分はもう子供じゃない、綺麗に別れよう」
と、コウに言いたかったのではないか。
ラストシーンのパンチは、自分の罪をコウが最後まで黙っており、ユウタに押し付けたことへの、ちょっとした抗議だと思う。くるりと背を向け、別方向に帰るユウタの顔は笑っていない。二人の世界がまた交わうことは、今後きっとないだろう。
これは、私の解釈
考えが違う人を変えるのは難しい。しかも、国籍と育った背景が違えばなおさらである。あくまでも、以上は私の解釈だが、長らく政治活動をしてきたからこそそう思うのだ。
「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」
これは、私の恩師のスピーチの中にあった、私が肝に銘じている言葉だ。そう思うと、気持ちが楽になるし、自分への励ましにもなる。
とはいえ、今そんなことだけを言ってはいられない。何とかしないと。
そう思い、今日も、大学でいろんな教授に
「速攻で、世界平和を実現する方法は何だと思いますか」
と質問攻めにしてきた私である。
「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」(by安西先生)
