『HAPPYEND』(2024年、空音央)
うーん、まあ褒めたい人はいくらでも褒めるだろうし、私のようにピンとこない人間からするといくらでも酷評できるような映画。美大の卒展に行くと、こういう作品が山ほどある。センスは感じさせるし、いいなと思うところもある。けれど作品というのは、どこかしら政治性や批評性というものが表出する。この映画の場合は、表出どころか、それを全面に押し出している。けれど、批評性や政治性というのは、現実の歴史や社会構造に対するぶ厚い知識や経験に裏打ちされているか、あるいは哲学的なものであっても先行研究に対する知的な深さがないと、極めて軽薄なものになる。
私がこの映画に対してどうしようもなく好きになれないのは、その軽薄さだ。たとえば、本作はやたらと文化的ルーツの多様な子どもを登場させるが、彼らの文化についてこの映画を見ることで知識が深まることはみじんもない。本当に、微塵も。主人公の少年は韓国系なのだが、実家は韓国料理屋。道を歩いていると警察に止められ、永住許可証の提示を求められてうんざりする。果たして、高校生にいちいちそんなことするだろうか(現代日本では考えられないーー学生証で十分だと思われるーーが、この映画の都合の良い未来社会ではそうなのかもしれない)。
あるいは、音楽が好きだという設定の主人公グループだが、好きなバンドや音楽のジャンル、それらに対する批評、かっこつけ、はったり、熱意、そういうものを感じさせる描写は微塵もない。「音楽が好き」という設定だけが亡霊のようにヘッドホンを離さない少年の姿をとっているだけで、音楽というものが思春期の少年少女にとってはそれこそ死活問題にすらなりうるというごく平凡な現実は砂のように儚く消えている。
やたらと管理社会だの、外国人への差別だのを全面に押し出しているが、私はこうやって超単純化(とにかく「露悪的でわかりやすい悪いオジサン」が「純粋でいつも差別される被害者の若者」をイジメル)して、現実の複雑な文脈や経験にいささかも踏み込まないタイプの悪しきメロドラマが流通することは、あらゆるタイプの社会問題に対する嘲笑ないし陵辱であると思っている。この監督は正義感があるのだろうが、私はまず監督自身のこれほどの現実への興味の無さにこそ向き合ってほしい。優れた小説の多くがそうであるように、自己の内にある他者性に向き合えない作品はどこまでも自堕落で、社会の悪を助長しながら開き直る傲慢さが見える。
本当に、酷評したらきりがない。政治をくさす全共闘みたいな女の子は、なぜいつも人の話をぜんぜん聞かないで周りを断罪して、目を見開いて怒ってばかりいるのだろうか(途中でそれを突っ込まれて笑っていたが、あれは批評性ではなく、わかっていて問題視されていないという意味で余計に気味が悪かった)。
あ、もっとも唾棄すべきなのは、岡林信康の「くそくらえ節」を何度も歌わせるところかもしれない。この作品の世界はおどろくほど治安が良く、清潔で、主人公たちの誰も貧困に苦しんではおらず、家は明るく清潔で、親に愛され、学校に守られ(彼らが反抗する学校の先生たちも、90年代の学校としか思えないぐらい干渉的だーー今時の学校は、生徒をいちいち叱ってなどくれない。監督はそんなことも知らないのだ)、増税と不景気が続いて自分たちが親よりもはるかに貧困な未来が待ち受けている可能性に怯えることもなく、SNSで格差をまざまざと見せつけられて劣等感コンプレックスに苦しむこともなく、タバコや酒を吸って朝まで学校で騒いでも退学にならない(繰り返すが、いったいいつの時代の学校だ)。まあ、令和の中高生とは似ても似つかない、大昔の学生たちだ。こんな豊かで幸福な彼らが、自分たちを適度に抑圧してくれる学校と戦いながら、岡林信康を歌う。全共闘の歌手だから引用しているかもしれないが、岡林が出てきたのは「山谷ブルース」だぞ。多文化ミックスの子どもたちが仲良く清潔な制服を来て、高価な機材のクラブ音楽で遊んで、岡林で反骨を気取る。このグロテスクさにまったく気が付かない者たちが、この映画を「政治的だ」「日本の将来を憂いている」と言って感動するのだろうか。私が上で、こういう作品こそ社会運動に対して害悪だといった趣旨のことを述べているのは、こういうことだ。
私にはこのあまりにも現実感のない映画のすべてが、かつて全共闘だった時代を忘れられないまま好景気を謳歌した爺さん婆さんが夢の中で高校生に戻っているものだとしか思えない。逆にそういう設定だとしたら、傑作といえるかもしれない。もちろん、その夢を見ているのは超ボンボンだったのに(ゆえに)左翼遊びを楽しんだ故坂本龍一だろう。
ところでSNSの盛んな現代よりも未来のはずの社会で、アメリカに留学するからバスでお別れのシーンにはさすがに失笑を禁じ得なかった。ゆずの「サヨナラバス」じゃないんだから。どこまでも平成初期のノスタルジアに浸った怪作。
星1
追記
ネットで酷評している声も結構あり、まあそうなるわなも思いつつ、結構な数の人たちが「寿司ポイ」シーンに怒っていて笑った。そうなのよね。あの寿司を捨てられない人の悲しみが見えない左翼ってなんなのって思っちゃう感じが、この間の参院選の結果にも出ていたし、この映画が無視している人々の感受性だと思う。監督のお育ちの良さが出てしまっているというか、やっぱお坊ちゃんのファッション左翼やなーってのが寿司ポイによって象徴されている。
