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描かれたものは、動き出そうとしている。実写映画『ルックバック』を観て思った実写化したコンテクスト。

漫画、アニメ、実写映画で3部作だったのではないかと思えるほど、実写化をする意味を感じた1時間40分だった。

※本記事は原作およびアニメ映画「ルックバック」をご覧になった向けに書いており、ネタバレが一部含まれます。

実写予告編↓


実写映画を見てすぐ近くのカフェに入り、忘れないうちに書き連ねている。
本作を見て最も強く感じたこと↓

描かれたものは、その時点で、動き出そうとしている。

漫画という静止画から、静止画の連続であるアニメーション、そして実写では映像(現実)が映されている。

そう、現実のこの世界は映像的に見える。

でも実際はこの世界もまた、静止画の連続なのではないか。
そうであれば、コマを入れ替えるようにして、4コマ漫画のような1つのタイムラインの外にある、もう1つの想像世界では、静止画の別の並び、つまり別の物語をつくることができる。

本作における1つ1つのカットは動き出したがっている絵画のようだった。

映像的に現実を捉えている僕らは、美しい夕べの海を通り過ぎる電車のようだ。永遠のような一瞬を捉え切ることもできぬまま、鉄の塊の中で過ぎていく命。

「ルックバック」が実写映像になることで最も印象が変わったのは、この「無常観」だった。

当たり前だが、生きているものを撮影するということは、この上なく現実的だ。

たとえば、藤野が1人で絵の練習をしている最中、外では祭りが行われ、家庭では(悪意があるわけではないが)妨害され、五感にさまざまな誘惑が訪れる。

漫画やアニメでは、描かなければ存在しないけれど、実写は描かなくても存在してしまうことが多い。

その最も象徴的なものが「死」だ。

漫画やアニメで描かれたものは死なない。
けれど、実写で映される人物は、必ず死ぬ。

人間だけではない。
渡り鳥も、降り積もる雪も、必ず死ぬ。

死とは何か、それは変化をしない状態に至る変化のこと。

もしかしたらそれは、漫画やアニメの世界のことかもしれない。

実写映画では「海」が象徴的に描かれていた。

それは生まれゆくものたちが生まれ、そして最後に還る場所としての海。
雪解け水が行き着く場所。渡り鳥が渡り、そして還っていく海。

実写オリジナルとして、階段を登った先にある神社への参拝シーンと、京本がおばあちゃんから教わったとされる「両手を擦り合わせ、耳に当てると海の音がする」というシーンが特に印象的だった。

これらは実写という無常のなかに生きる僕らにとって必要な祈りだった。

神社へ祈る際も、海の音を聞く際も、同じように両手を合わせて目を瞑る。
神社への参拝は地上より高い場所への階段を歩むことで、渡り鳥として羽ばたいていく二人の未来や希望を表し、そしてその先にある命の流転すらも表しているように思えた。

海は蒸発して雲となり天に昇る。神社は天の象徴で、あの場所で同じ願いを祈っていたからこそ、もう1つの世界でも2人は出会えたのかもしれない。

作中に挟まれたアニメーションも印象的だった。
前回のアニメ映画では描かれなかった空想的な、想像的飛躍をした2人の世界の描写は、実写映画としての今作の意味性を、コントラストを強烈に強めた。

その後のカットで藤野の頬から流れる一筋の涙が、人間の、この世界の無常観を強く表しているように思えた。

動くことは、変わること。
変わることは、いずれ変わらなくなるということ。

是枝監督の「ルックバック」にはクリエイターとしての原作へのリスペクトと共に「ルックバック」という作品への映画監督してのこれ以上ないアンサーが映されていた。


自分も昨年映画を初監督したなかで、作品として何を映すか以上に、編集でカットしてしまったシーンが、物語として存在しないことになること、それ自体に、なんだか心を動かされていた。

現実は、カメラに収まる画角の外でも物語が動き続けていて、映画として映されるものの外に無限大の余白が、物語が広がっている。

その余白は、カメラに映されたものよりも、時に美しいことがある。
良い映画は、その余白の美しさに連れて行ってくれる。

映像だけど額縁に入れたい、本作はそんな映画だった。


はじめてつくると、 楽しい。

もう少しつくると、 むずかしい。

さらにつくると、 苦しい。

それでもつくると、 愉しい。

もう少しつくると、 またむずかしい。

さらにつくると、 やっぱり苦しい。

それでもつくると、

どうしようもなく愉しい。

もっとつくると、 ほんのちょっとだけ、 報われる。

つくることは、 この繰り返し。
やめていい理由はいつだって100個以上あるけれど、
たった1人でも評価してくれる人がいれば、その100個の理由を忘れてしまうくらいのエネルギーをもらってしまう。

2人で世界はつくられる。
そのあわいに未知の可能性が広がっている。

つくることは夜空の星々を結ぶように繊細で大胆で劇的で、
川の流れを漂うように無常で自然で抗えず、
人が生きることのように悲喜交々で、イマジナリーで、冒険のようである。

アメミヤユウ「Worldlines(ワールドラインズ) 体験できる世界観のつくり方」(逆旅出版)より


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