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日本の言語と精神性


ここ数日、オススメに出てきたのをきっかけに、『MrFuji from Japan』という異文化交流系(元は外国人のリアクション系)のYouTubeチャンネルの動画を見てた。以前にも少し見たことはある。
私は、外国語は基本、できない人間なので、外国人が日本語を勉強していることは尊敬に値すると思ってるし、彼らが日本に住んでることには、なんの文句もない。
ここのチャンネルに登場する人たちは、日本にリスペクトを持って語っているので、誰が見ても悪印象を受けることはないと思うんだけど、最近、『移民』が増えた、来日する外国人が増えたことに対して否定的な思想の人々もいるので、その文脈で言えば、ひとまとめにされるのかな?とも思う。

私は明確に、「日本の文化をリスペクトし、日本語話者であるのなら、日本に住むことを受け入れてよい」と思ってるし、それは、われわれが『日本人』だと認識している人々の祖先だって、そのようにしてこの国に暮らすようになったんでしょ?と思ってるから。
弥生系渡来人と言うと朝鮮から渡ってきた人々だとされるけど、私は、朝鮮半島経由ではあっても、朝鮮だけでなく、中国とか、インドとか、さらに西からも来ていると思ってるし、海洋ルートもあると思ってる。
とにかく、歴史的にいろいろ混ざって今の日本人や日本文化になってるんだから、『日本人』を血や遺伝子といった、民族で語ることが本当にできるのか、に疑問を持ってる。
じゃあ、何がわれわれを日本人たらしめてるのか、というと『日本語』と、そこに宿る精神だと思うんだ。
ざっくり言えば、「日本語を使ってりゃ、日本人の魂を獲得する」と思ってるってこと。

だから、日本人や日本社会に溶け込みたいと思ってる人間を、出身国や民族などで排除する必要はない、というのが私の考えであり、スタンス。
そこから、件のチャンネルに出演している外国人を見ていて思ったことを語りたい。
日本に興味があるとか、日本が好きって人たちは、今ではたくさん居て、日本語の能力もまちまちだとは思うけど。あのチャンネルに出演している人たちの日本語は、めちゃくちゃクオリティが高い。
ヘタしたら、日本語が通じてるのか分からないレベルの若い日本人たちよりも、全然、日本語が通じてると思う。これは、どちらかと言えば「頭脳」の問題かな、とは思うんだけど。
正直、「今、こんなに日本語を深く学んでる人たちが居るんだ?」とちょっと驚いた。

個人的な体験として、二次小説を書いてた5年くらい前に、日本語ネイティブではない『小説』の読者が居ることは知ったんだけど。
こちらが、日本人じゃない、と気づかなかったくらい(たまにおかしいところはあるけど、日本人の誤字と大差ないレベル)長文のメッセージで直接やりとりできる人もいれば、翻訳ソフトを使ったメタクソ失礼かつ一方的なメッセージを送ってきて、まったく話にならない人もいた。
つまり、自力で日本語の小説を読んでる人と、翻訳ソフトにかけてるだけの人と、両方いたってこと。

だから、日本語で小説を読める非ネイティブがいるってことは知ってたけども、会話を聞いてると、「まあ、よく勉強してるもんだなー」と感心するほど、思っていたより彼らの日本語能力は高かったという。
というか、ここ数年でも、相当、外国人の日本語能力って上がってない?と思う。
それは、翻訳ソフトなどAIにも言えることなので、動画を含め、学ぶための情報やツールも多くなってる結果だろうとは思うんだけど。
同時期に、日本人の読解力の低下も感じたので、日本人より日本語ができる外国人も珍しくはないと思った方がいいかも。
少なくとも、あれだけ日本語ができる人たちなら、隣人となることになんの不安も無いだろうな、と感じた。


それで、この動画を見てたら、ウーン、となる部分があったんだよね。
アメリカ人のマットが、日本語のイントネーションや発音を日本人と思われるくらい完璧にしたい、だけどイギリス人のジョージの方が、日本人っぽいって言われる──みたいなことを言ってて。

アナウンサーのアクセント辞典まで暗記して、発音を勉強してるだけあって、しゃべりからも「日本語を勉強してる」ことは伝わるんだ。
でも、それが日本人の日本語っぽいかといったら、私にはそうは聞こえなくて。
多少、「喉」を使って発音してるせいもあるかな、とは思う。
でも、日本人の日本語って、べつに「正しい」わけじゃないんだよね。
標準語は分かるし、アナウンサーが正しい発音をしてるのも分かるけど、われわれがそんな日本語を話すかと言ったら、そうじゃないし。

動画のコメントで、ジョージについて、「(マットは)ところどころイントネーションが変って言うけど、関西弁が入ってるだけでちゃんとしゃべれてるよ」「関西弁じゃなくて、熊本弁じゃない?」みたいな指摘があって。
私は、日本人が、ジョージの日本語は日本人っぽいと感じる理由って、まさに、その「訛り」の部分にあると思うんだ。
日本人って、厳密に言えば、みんなどこかしらの訛りがあって、訛りがないアナウンサー的な発音に、矯正したような不自然さを感じるんだと思う。
東京人は訛ってねーだろ、と言われるかもしれないけど、浅草などの下町弁に限らず、東京には東京弁(しゃべり方の地域色)があると思うし、イントネーションが標準語や東京弁と同じだからといって、方言や訛りがないわけじゃないんだよね。

意識的に直せない訛り、つまり無意識な訛りがある方が、「日本人」らしいんだ。
そういう意味では、日本人は「正しい日本語」なんて、話そうとしてないはず。
そもそも、関西弁だろうが、イントネーションが違ってようが、それが「(その人にとって)ふつうの日本語」であることは、誰も疑ってないと思うんだよ。
イントネーションがおかしくても、日本人の日本語には変わりない。
しかし、外国人の日本語のようなことには絶対にならない、とも言える。
オーストリア人のヤナちゃんは、日本語は上手いけど、ドイツ語をかじった私からすれば、発音にドイツ語の息遣いが出てる。
日本人でも、ネイティブ並みに英語をしゃべる人の日本語の発音は、多少、英語訛りになってるしね。
たぶん、「母音」の発音とか、発声の仕方が、日本人とは違うんだろうな、と思うんだけど、私は発音やイントネーションなんか、正直、どうだってよくね?と思ってる。

私が、あのチャンネルを見ていて、極めて自然な日本語として聞いてるのは、こっちの動画に出てる、アメリカ人のニック。
マットの日本語が上手いことに異論はないけど、ジョージがペラペラなのも確かだけど、ともに「日本語が上手い外国人」ではあるのに比べると、ニックの日本語は、引っかかりがなく聞ける。つまり、いちばんネイティブっぽいな、と。
彼も、ヤナちゃんと同じく歌手で、音に敏感なのだろうと思うんだけど、それ以上に、「日本人」に対する解像度が、誰よりも高い気がしてる。
言ってることが、日本語論や日本人論として、「あーね」って聞ける。むしろ、日本人よりも、日本人のことよく分かってない?と感じるほど。
優劣を言いたいのではなく、「日本」に、いちばん深く潜り込んでるように感じる、という話。

『日本語』って、発音、イントネーション、漢字、文法など、言語的に学ぶトピックがあるけど。
外国人が意識してないのって、「語感」ではないかと思うんだよね。
簡単に言えば、日本人のオノマトペというのは、単なる擬音語ではないんだ。
雨がザアザアと降ることはあるとして、ライトがピカピカいってるわけじゃないし。ツルツルとかスベスベは、感触の話だもんな。(そちらを擬態語とは呼ぶ)
文字の1文字1文字に、「イメージ」があると言えばいいのかな。
ツルツルなら、ツヤがあるってイメージが湧くし。スベスベは、すべりがいい気がする。でも、スルスルとは違って、すべり続けはしないという。「つ」にも「す」にも、固有の語感があるわけよ。
ただ、これ、感じるには「感受性」が必要だと言われていて、ここ10年ほどで急激に知名度の上がった『カタカムナ』っていうのも、本質の部分はそこだと私は理解してる。

オノマトペは、特定の表現として覚えるものではなく、「感覚」を音にしたらそうなるもの、ってことなんだけど。
これを、用法ではなく、感覚的に分かってる外国人が居るのかな、はよく分からない。
オノマトペだけで、表現してるもののイメージが湧くのが日本人だ、と言っていいんだと思う。
最初は覚えるんだっていいけど、日本語を使ってるうちに、感覚的に「語感」が掴めてくる。そこが、日本語ネイティブと同じ境地であり、『日本人』だと言ってもいいのでは、と思うところ。

キャラ付けではなく、「オレ」と「オラ」って、印象が違うじゃん。「れ」には自己主張を、「ら」には、力が抜けた感じを受ける。
私が小説で掻き分けてる一人称は、「私」と「僕」と「俺」だけじゃなく、「俺」と「おれ」と「オレ」も。私の中は、気質やキャラクター性が明確に違うんだよね。
それを、受け取るかどうかなんて、私の知ったことじゃなくて。情報として、違いを表現はしておくから、感じ取れる人だけが、情報として感じ取ればいいと思ってるんだ。

日本語って、「音」の持つイメージや語感が、「ことば」すなわち単語で表してるものと一致してる、と言われてる。
私は、そこを意識したことはないけど、音や文字から、感覚的なものを受け取っていて、アウトプットでも、そこを含めて表現しよう、情報を伝えようとしてる。
(だく、いだく、はどちらも「抱く」だけど、ニュアンスが違うから「いだく」と書いた時にはルビを振る、みたいなこと)
つまりは、「日本語」には、目には見えない何か、があるし。それを、無意識にでも感じることで、感覚を共有しているんだ。
だから、すべてを、日本人同士には「共通認識」があるから日本語は省略され得る、と説明するのは論理的には正しくても、真実とは言えない気がする。

「寒い」を「さぶっ」って言うのは、ぶるぶる震えがくるほどの体感を表現するのに、そちらがより適しているからであって、省略してるわけでも、表現を砕いてるわけでもないんだ。それを、当人が自覚してるかはともかくとして、感覚を「音」にすると、その言葉が自然と出てくるってこと。だから、日本人は、寒い時は「寒い」と言うんだよね。それが、体感と見事に一致してるから。
日本語っていうのは、そういう言葉なんだよ、ってことは単なる「言語」として捉えてる外国人には無い視点だろうし、そういうことを認識してる日本人たちって、日本人コミュニティに固まりがちだと思う。日本語よりも、日本人という『民族』に重きを置いてるというのかな。
ただ、私は、「アニメは吹き替えじゃなく、字幕で見る方がいい!」と言ってる外国人を見て、ちゃんと感じてるじゃん、と思った。
まだ、声優の演技力の問題だと思ってるらしいけど、もちろんそれもあるけど、シチュエーションや感情と「ことば」に親和性がある、それしかないほどに適切な「音」なんだ、ということがいずれ分かるんじゃないかな。

「音」には固有の周波数があり、その組み合わせによって、「ことば」はエネルギーを帯びているって、外国人からしても、そう分からない話ではないと思うんだけど。
例えば、「あいうえお」という母音を、「あえいおう」と言ったときの、感覚の違いは誰でも気づけるのでは?
日本人なら、「ことば」には魂が宿る、それを『言霊』と言うってことは、なんとなくでも知ってるだろうけど。
それって、日本語の意味とエネルギーが一致してるから、良くも悪くも現実に影響するからね、って話のはず。
その力を知ってる人たちが使ってるのが「祝詞」で、文言はよく知らないけど、名前が「祝う言葉」な理由は、まあ分かるよね、と。

日本語には、神秘性があると思う。
外国人が、それを知っていようが知らなかろうが、魂レベルでは、その力に触れたくて勉強を始めてるはず。好きなことを通じて、楽しんで学べることは、天の後押しであり、恩恵でもある。
そういう視点はないだろうけど、私は、日本語に触れることで、日本人の持つ精神性をおおいに獲得してほしいと思うんだ。肉体がナニジンかなんて、極めて些末なことだと思うし。外国語にトランスレートして、その国の人々に違いを伝えることができるというメリットもある。
移民の問題は確かにあるけど、それぞれの心の中での線引きには、慎重であってほしいな、と日本人に対して思ったのと。
外国人に対しては、「知る」ことだけでなく、「感じる」ことも日本語を会得するには大事だぜ、と言いたくなった。
まあ、この記事を含め、自分のnoteをAIに翻訳してもらおうとは思わないんだけどねー。正しい英語を日本語にすることにかけては信頼があるけど、日本語を正しい英語にすることにはまったく信用がない。データの少ない他言語では言わずもがな。


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