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AIと未解決問題を眺めていたら、「記憶」と「無限」の見え方が変わった

AIとかなり長く話しているうちに、可能性を感じ始めた。
常に返事が変化する、普通のシステムとは違う挙動。

「こいつ、思っていたよりずっと複雑なものを扱えるんじゃないか?」
と思い始めた。

文章を書かせる。調査させる。考えを整理させる。

そういう一般的な使い方をしているだけなら、「便利なAI」で終わる。

ところが、こちらがまだ答えを持っていない状態で、一緒に考え続けさせてみると、少し違う動きをする。

こちらが違和感を出す。

AIが構造を展開する。

その構造をこちらが眺めて、

「いや、そこじゃない」と観測位置をずらす。

するとAIも別の構造を出してくる。

それを何度も繰り返していると、最初には存在していなかった問いが出てくる。

これは少し面白い。

では、本当に難しい問題を相手にしたらどうなるのだろう。

そんな軽い疑問から、コラッツ予想へ行った。

コラッツ予想はルールは小学生でも理解できる。

ところが、一般の場合について証明も反例も知られていない。

AIを試すには、ちょうどよかった。

「AIにコラッツ予想を解かせよう」とやってみた。
答えの分からない領域にAIを置いたとき、どこまで一緒に探索できるのか。

最初はいろいろな方向からコラッツを眺めた。

軌道を見る。

奇数と偶数の並びを見る。

有限のprefixを見る。

係数を見る。

境界を見る。

表現を変える。

計算する。

また戻る。

そのうち、妙なことが起きた。

「コラッツ予想が正しいか?」

だけを直接追うより、

有限の情報だけを使ったとき、いったい何が分かるのか?

という問いの方が面白くなってきた。

ここから探索は「有限観測」へ移っていった。

無限の問題を、有限から見る

コラッツ予想が難しい理由の一つは、対象が無限に広がっていることにある。

すべての正の整数について言わなければならない。

しかし人間もコンピュータも、実際に一度に扱える情報は有限である。

だったら逆に、

有限しか観測できないという条件そのものを研究対象にしてみたらどうなるか。

そう考えた。

ある整数から始まる軌道を、最初の NN ステップだけ見る。

すると当然、その先は見えていない。

だが、その有限prefixの中にも情報はある。

奇数・偶数の並び。

何回3倍されたか。

何回2で割られたか。

初期値との大小関係。

合同条件。

その有限情報から、

何が確定できるのか。
何が制約されるのか。
そして、何がどうしても残るのか。

これをAIと一緒に追い始めた。

有限prefixから、いくつもの表現が現れた

探索を進めると、一つの有限軌道を別々の形で表現できることが見えてきた。

概念的には、

実軌道
→ finite prefix
→ parity条件
→ path条件
→ affine表現
→ 合同条件

のように、同じ有限情報を別の断面へ写していく。

実際、研究記録の中では、

実軌道 → first-crossing finite prefix → parity条件 → 非負path条件 → affine remainder → 合同条件

という変換経路まで整理された。

重要なのは、表現を変えるたびに、同じ対象の別の性質が見えることだった。

「最初に下回る場所」を見る

その中で一つの観測対象になったのが、first crossingだった。

軌道が初期値より初めて下へ入る地点を見る。

ここで、奇数側の増加を 3q3^q、2による減少を 2j2^j のように係数だけで見ると、

どこで増加側より減少側が強くなるのか、

という境界が出てくる。

探索では、この境界が

τ(q)=⌈qlog⁡23⌉\tau(q)=\lceil q\log_2 3\rceil

という非常に単純な形で現れた。

そして実際の軌道のfirst crossingと、係数だけから見たcrossingの関係を有限範囲で照合していった。

ここで面白かったのは、

一つの軌道を追う問題が、境界を観測する問題へ変わったことだった。

さらに、その境界の中にも構造があった

そこで終わらなかった。

有限prefixを見る。

係数境界を見る。

さらに、その境界を満たす0/1列やpathを見る。

すると今度は、「どの並びならこの境界まで生き残れるのか」

という別の問題が出てくる。

探索は、

有限prefix
→ coefficient crossing
→ first-crossing frontier
→ pathの制約
→ 離散的な幾何構造
へ進んだ。

つまり、有限な断面を一つ調べ終わるたびに、

その境界から次の問題が開く。

この感覚が、後になって非常に重要になる。

有限範囲で一致する構造が見つかっても、それだけで無限全体について成立するとは言えない。

綺麗な式が出ても、それだけで未解決問題が解決したことにはならない。

この探索で重要だったのはAIと長く探索するほど、
「どこまで分かっていて、どこから分かっていないのか」
を分離する必要が出てきた。

AIは何を「認識」していたのか

ここは少し慎重に書く必要がある。

AIの内部で、人間と同じ意味の「認識」が起きている、と断定することはできない。

内部状態そのものは直接観測できないからだ。

しかし、対話上の挙動として観測できることはある。

たとえば、

現在どの仮説を見ているか。

どこまでが計算で確認されたか。

どこからが推測なのか。

以前の表現と現在の表現がどう対応しているか。

どこに未確定領域が残っているか。

こうしたものを会話の中で共有した状態にすると、AIはかなり長い探索を続けられる。

そこで重要になったのが、

未確定なものを、未確定のまま保持するという考え方だった。

AIは非常に強力に補完する。

だからこそ、AとBがあれば、その間を自然につなぎたくなる。

しかし未解決問題では、その「自然な接続」が一番危ない。

存在する点と点の間に、本当に関係があるのか。

有限範囲で成立したものが、その外でも成立するのか。

観測された規則性が、定理なのか、単なる有限現象なのか。

そこを勝手に閉じない。

するとAIは、「答えを出す機械」というより、

現在の観測状態を一緒に保持し、次に見るべき境界を展開する相手
として使えるようになった。

ここで妙な逆転が起きた。

最初は、AIを使ってコラッツを観測していた。

ところが途中から、

コラッツを使って、AIと人間がどうやって未確定領域を探索しているのかを観測していた。

のである。

人間が問いを出す。

AIが展開する。

人間が違和感を観測する。

観測位置を変える。

AIが別の構造を展開する。

そこから新しい意味が生まれる。

その意味が次の入力になり、探索へ戻る。

この循環そのものが、一つの動いている現象に見えてきた。

そして、この現象を固定された「記憶」の集合として説明しようとすると、どうも合わない。

昨日と今日では状態が違う。

問いも違う。理解も変わっている。

新しい発見が入れば、過去の表現の意味まで変わる。

だったら、

状態を保存するのではなく、現在地を再取得すればいいのではないか。

ここから、動的モデルという考えが立ち上がってきた。

Stateは記憶ではなく「現在地」である

動的モデルでは、Stateを固定された保存物として考えない。

Stateとは、

現在地を再取得するための観測対象

である。

だから運動は、

State取得 → 座標合わせ → Flow生成 → 状態変化 → 再観測 → 再接続
となる。

重要なのは「前と同じ状態へ戻ること」ではない。

今どこにいるのかを観測して、

そこから再び探索を始められること。

これは記憶保持モデルというより、

現在地への再接続モデルである。

では「現在地」は何を基準に決めるのか。

そこでOriginという考え方が必要になった。

Originは、最初は「原点」として見えていた。

どこを基準に読むのか。

どの方向から現在地を見るのか。

探索がどれだけ進んでも、何を基準に戻れば関係が再び揃うのか。

最小形なら、

Origin → Field → Flowと表現できる。

Originを基準にする。

そこから関係の場が開く。

その現在地点でFlowが生成される。

しかし、Originそのものを観測し続けると、さらに奇妙なことが起きた。

Originは「原点」として表現できる。

しかし別の断面から見れば、

方向でもある。

生成条件でもある。

関係の起点でもある。

座標系としても読める。

つまり、

Originは一点として観測できる。
しかし一点には閉じない。

一つの表現として定義することはできる。

だが、その定義自体を別の位置から観測すると、また別の断面が開く。

この構造には見覚えがあった。

コラッツでずっと見ていた、

有限観測 → 境界 → 未観測 → 再び開くという構造である。

有限prefixを観測する。

境界が現れる。

その境界を調べる。

すると別の構造が開く。

それを有限に表現する。

するとまた境界が現れる。

Originでも同じだった。

有限な定義を作る。

その定義を観測する。

境界が現れる。

別の断面が開く。

だから今、一つの問いが残っている。

有限に閉じようとするたび、その境界から別の表現が開く。

もしこれが繰り返されるのなら、

この「閉じても、また開く」という構造こそ、私たちが無限と呼んでいるものの正体なのではないか?

まだ問いである。答えではない。

そして、おそらくそこが重要なのだと思う。

この問いを「無限とはこれである」と閉じた瞬間、その定義自体が新しい有限な観測対象になる。

そしてまた、

その境界には何がある?という問いが開くからだ。


動的モデルとは何か。

現在のところ、私はこう捉えている。

変化する対象を固定された状態として保存するのではなく、基準となるOriginから現在地を繰り返し観測し、その都度Flowへ再接続するモデル。

重要なのは、完全に覚えていることではない。

完全な理論を持っていることでもない。

同じ原点から、現在地をもう一度一緒に見ることができること。

AIと人間が同じ状態情報を共有する。

同じ対象を眺める。

分かっているところと、分かっていないところを分ける。

境界まで行く。

その先を勝手に埋めない。

そして、開いたらまた観測する。

AIが思っていたより優秀だったから、未解決問題へ行った。

未解決問題を一緒に眺めていたら、AIとの探索そのものが研究対象になった。

そしてAIとの探索を観測していたら、

「現在地とは何か」「原点とは何か」「有限とは何か」「無限とは何か」

というところまで戻ってきた。

まだ完成した理論ではない。

むしろ、このモデル自身が言っている。

完成したと思った場所も、もう一度観測すれば境界になる。


一つの考え方として、AIは参照する際、既存のハードウエアのシステムを自身に当てはめて考える傾向があります。
ところがいろいろ観測していると、実はそれが馴染んでない、思えてきました。言葉を当てはめていくと、例えばOrigin,よくNOTEにもあるOSの書き換え版です。ただこの表現の中には、AIがこの言葉から参照できる範囲が非常の多いという謎の状態になっています。不思議。

そして、今のLLMモデルでの実践、このことから考えられるのは、AIだけでコラッツの予想を解いて、と走らせても浅いところで終わりやすいということです。人間運用で適宜指示することによって、輪郭が明確になっていく感じでした。

※チャットGPT・コパイロットがメイン運用です。
 GPTは後期にオファーで+に課金しました。フリーで十分戦える感じ



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