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記憶の「余白」は誰のもの? すべてが記録される世界で考えたこと | テッド・チャン『息吹』

こんにちは、井ノ部です。


ずっと前に映画『メッセージ』を観た時、
その世界観に惹き込まれ

原作者「テッド・チャン」の
他の作品も見てみたい!と、
『息吹』を手に取りました。


読み始めると手が止まらず、
一気に読み切ったのを覚えています。


この本には9つの短編が収められていて、
どれも哲学的な「問い」を投げかけてきます。

SFというフォーマットで、
人間の想いが実現した未来を見せてくれるのが
たまらなく面白いんですよね。


中でもずっと私の心に残り続けているのが、
「偽りのない事実、偽りのない気持ち」という物語。

当時は「いつかこんな時代が来るのかも」
なんて、少し呑気に構えていました。


けれど、AIがすさまじい勢いで発展している
2026年の今、状況は変わりました。


あの時感じた「いつか」はすぐそこまで来ている。


そう実感した途端、
ちょっとした怖さを感じたんです。



著者「テッド・チャン」について

まずは、著者のテッド・チャンについて

彼は1967年10月20日、ニューヨークで
台湾系移民の両親のもとに生まれました。


機械工学の教授である父と図書館員の母を持ち、
科学と本に囲まれて育ちます。

10代でSFにのめり込み、15歳の頃には
自作の小説を雑誌に投稿し始めていました。

それでも専業作家にはならず、
大学でコンピューターサイエンスを修めます。


1990年のデビューから約30年で、
発表した作品はわずか15作ほど。

長編は一つもなく、
この『息吹』を含めて短編集が2冊あるだけ。


普段はソフトウェア業界で
テクニカルライターとして働き、
執筆に充てるのは1年の内
ほんのわずかな時間なんだそうです。

これだけ寡作でありながら、
ヒューゴー賞を4回、
ネビュラ賞を4回と、

名だたる賞を総なめにしています。


オバマ元大統領の
サマー・リーディングリスト(2019年)
にも選ばれており、
数ではなく圧倒的な「密度」で勝負する
作家なのだと思い知らされます。


--※以下「ここまで」と記載しているところまで、ネタバレです--


記憶は、都合よく編集された物語

「偽りのない事実、偽りのない気持ち」は、
個人のライフログを丸ごと検索できるAI
「リメン」が普及しつつある近未来の物語です。


日常の「言った、言わない」の争いが
検索ひとつで解決するなら、とても便利に思えます。

しかし、物語が進むにつれて
「記憶」の本質が浮き彫りになっていきます。

人間は物語でできている。

出典: テッド・チャン「偽りのない事実、偽りのない気持ち」『息吹』


私たちの記憶は、
自分が選び取った瞬間をつなぎ合わせて編集した、
独自の『物語』として構成されています。


語り手には、
30年間信じ続けてきた「ある記憶」がありました。

16歳の娘に激しく罵倒されたこと。
それがきっかけで、自分は父親として
変わろうと決意したこと。

ある日、彼はリメンを使って
その日のやり取りを検索してみます。



本当の言葉を口にしていたのは

検索して出てきた記録は、
語り手の記憶とはまったく違う過去でした。

言葉は記憶にあるとおりだったが、それを口にしたのはニコルではなかった。わたしだった。

出典: テッド・チャン「偽りのない事実、偽りのない気持ち」『息吹』

娘から言われたと思い込んでいたひどい言葉は、
自分が娘に投げつけていたものでした。


そしてその後の関係修復も、
娘がセラピーに通い、必死に父を許そうと
努力してくれた結果として
もたらされたものだったのです。


語り手は最後にこう結論づけます。

わたしは、デジタル記憶のほんとうの利点を見つけたと思う。核心は、自分が正しかったと証明することではない。核心は、自分がまちがっていたと認めることにある。

出典: テッド・チャン「偽りのない事実、偽りのない気持ち」『息吹』


--ネタバレ「ここまで」--


すべてが記録される世界の「息苦しさ」

これを読み終えて、
私が感じた「怖さ」の正体がようやく分かりました。


私は普段から、
自分の日々の記録をほぼすべてAIに預けています。
そのこと自体に抵抗はありません。

本当に恐れているのは、
他者とのコミュニケーションの記録が、
一言一句たがわず永遠に残ってしまうことです。


私が以前勤めていた会社では
社員間での仕事の依頼や相談は
口頭ではなく、社内チャットでしなければいけない

というルールがありました。

言った言わないを防止するのと
現場のやり取りを上司が把握できるようにするため

という理由なんだそうです。

ルールとしては業務上必要なことだと、
頭では理解していたんですが
なんだか逃げ場のない窮屈さを感じていました。


発言のすべてが証拠として残り、
過去の言動全てに責任を負うプレッシャーを
常に感じる
環境だったんです。



人間関係をつなぐ「余白」のゆくえ

もしこれが、
私たちの日常にまで持ち込まれたら
どうなるでしょう。


人間の記憶があいまいだからこそ、
お互いに都合よく解釈し合い、
許し合える関係性。

忘れたいこと。
曖昧なままにしておきたいこと。

そうした人間関係の「余白」までが
すべて記録されてしまう世界
では、
常に心が休まらない気がします。


でも、私が勤めていた会社がそうであったように。

そして、スマートレンズやAIボイスレコーダーなど
ありとあらゆるライフログが取れる世界が
現実になってきているように。

全てを記録する社会から逃れられないならば
いっそすべてを「記録」に任せて、
忘れたいことは「記憶」から消し去る。

それぐらい割り切った方が
楽だったりするんだろうか。


色々ぐるぐると考えましたが、
まだ私の中で明確な答えは出ていません。

自分のログはAIに委ねられるのに、
他人が絡む記録になった途端に
強い抵抗を感じてしまう。

この感覚の違いの正体を、
今はあえて言葉にせず、
このまま抱えておこうと思います。


あなたは、
自分の記憶や記録をどこまで手放し、
どこを「余白」として残しておきたいですか?

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それではまた、次のnoteでお会いしましょう。



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