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読モより原宿系ショップ店員が憧れだった─「会いに行けるカリスマ」のテン年代


雑誌の読者モデルより「あの店の、あの店員さんに会いに行く」方が熱かった時代があった。

2010年代。

あの現象は、一体なんだったのか。


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WEGO、SPINNSから始まり、ラフォーレ原宿や渋谷109にあるブランド。これらは当時の中高生にとっては厳密には「服を買う場所」だけでなく「あの人がいる店」だった。

私自身、6%DOKIDOKIのユカちゃんとvaniちゃん、swankissのひかぷぅちゃん、CandyeSyrupのせななんちゃん等に会いに行ったことがある。


vani(左)、ユカ(右)
ひかぷぅ
せななん


まず遠巻きに店内を観察すると、そこには明らかに他の店員とはオーラが違う、憧れのあの人が立っているではないか。
それから恐る恐るお店に足を踏み入れると、とても気さくに話しかけてくれた。遠かったはずなのに近くにいる。また会いに来ようと思えばいつでも来れる。その絶妙な距離感が心地よかった。
感激して一緒に写真を撮ってもらったりなんかして、当時まだ世に出たてだったスマートフォンなるものの壁紙に設定し、眺めてニヤニヤしたものだった。



店員が変われば、その店の魅力の何割かが消える。これは普通の小売店では起きない現象だ。芸能人はテレビというフィルターの向こう側の存在だが、店員は違う。Twitterで普通に愚痴を言うし、他のブランドでも買い物をするし友達や彼氏とも遊びに行く。でも次の日もちゃんと店頭に立っている。

「憧れだけど手が届きそう」という感じこそが、あの熱狂の正体だったのだと思う。

2010年代といえば、ぺこ・りゅうちぇる・ぺえの3人には触れておかなければならない。
ぺこ、りゅうちぇるはWEGO、ぺえはWC。3人はそれぞれ、テン年代を代表するとも言えるほど人気の店員であった。そこから芸能界へ取り込まれていった。

それまでは、芸能界に入るなら基本的には元々アイドルであったり雑誌専属モデルである必要があった。
しかしショップ店員は違った。原宿なり渋谷なりそこのお店でファンを獲得し口コミが広がっていけば、芸能界デビューできる路線が開けていたのだ。


原宿系雑誌『KERA』の読者モデルだったきゃりーぱみゅぱみゅが原宿の象徴として見出されて国策に回収された事とも、根っこは同じ現象だったのだと思う。
芸能事務所ではなく「原宿」「渋谷」という場所そのものが人を見出し、世に送り出していた。場所こそが、当時最強のスカウトマンだったのだ。


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彼女たちが発信していた写真や私服には、テン年代特有の記号があった。宇宙柄の服、パステルカラーの空、アメリカンレトロ、TumblrやPinterestで拾ったようなコラージュ画像…。



中にはディズニープリンセスにピアスやタトゥーを施したものや、精神薬とかMDMAを思わせる画像を病みかわいく加工したコラージュなんかも、私自身も浴びるほど見た。現実ではメンヘラ呼ばわりされたり危うさを持つモチーフすら、ネット上では「病みかわいい」「毒気があってかわいい」という装飾として評価されていた。




当時のカリスマショップ店員は自社の服だけでなく、こうした時代の空気感ごと身にまとっていた人たちのことだった。

こうした個人や画像が次々と見出され、消費されていく速度は、今振り返るとそれまでのガラケー時代に比べて異常なほど早かった。


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この頃まで雑誌・ショップ・ライブハウス・ヴィレッジヴァンガードのような場所には、サブカルチャーが根を張る物理的な居場所があった。ショップ店員という「お店に紐づいたスター」が成立したのも、その土壌があったからだ。

それ以降、カルチャーの流通はSNSのタイムライン上に比重を移していった。タイムラインは特定の場所を持たない。だから「場所に根ざしたスター」だった店員のような存在は、構造的に生まれにくくなっていったのではないか。

あの頃、店員さんに会いに行くために電車に乗っていた私達は、知らないうちにカルチャーがまだ場所に根を張っていた最後の時代の目撃者だったのかもしれない。
つまりサブカルチャーがまだ「検索するもの」ではなく、「足を運んで出会うもの」だった最後の時代。


そんな時代があったことを、そんな時代に救われたことを、どうか黒歴史にせずこれを読んでいる貴女にも覚えておいてほしく思う。

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