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旅の途中でふれた、深く生きるということ|『読書する人だけがたどり着ける場所』

ただいまソウルに旅行中。
ソウルに向かう朝、空港に向かう特急列車の車内で、
私はこの本を開いた。

以前「旅行には小説が向いている」と書いたが、それは長時間フライトでカンヅメになる時の話。
今回の旅はもう少し軽やかで、でも静かに心が動くような“読書論”の気分だった。

ソウルまでの片道で読み切れるボリュームで、
高揚する“旅の呼吸”に、すっと馴染んでくれる。
そして、旅先で読む読書論というのは不思議なもので、
ふだんよりゆっくりと言葉が心に入ってくる。

本を読む意味

近ごろ私たちは、一日の多くをスマートフォンとともに過ごしている。
流れてくる無数の文字に触れていながら、その大半は砂に染み込む水のように消えていく。

ネットで文章を読むことと、本を読むこととは、同じ「読む」でも違う。

著者は、
本を読むとは「逃げずに向き合い、最後まで読み切る体験」そのものだ
と書く。

読書中の脳は、登場人物に感情移入したとき、実際の体験に近い働きを示すという。
つまり読書は、知識の摂取ではなく“経験の獲得”なのだ。

浅い情報の海にただよう私たち

情報化社会となり久しいが、実際には私たちは有用な情報にはほとんど触れていないとされる。
広大な海に立ちながら、浅瀬で貝殻を拾っているようなものだ
と著者は言う。

確かに。

常にスマホを手にして、気になることがあればすぐに調べるのに、
知識が積み上がっている感覚はないのではと思う。
要点だけをまとめた“見た気になれる情報”ばかりに触れていると、
いざ自分の言葉で語ろうとしたとき、何も出てこなくなる。
この虚しさは、きっと多くの人がどこかで感じているものだと思う。

読書は、人に深さを授ける

読書は、複雑な感情のヒダを丁寧に描き出す。
物語や思想に身を置くことで、
自分の中にも言葉にならない思いが芽生え、
それを言語化する力が育ってゆく。

教養は読書によってその幅が広がる
教養とは、雑学や豆知識の寄せ集めではなく、
血肉になる形で統合される「幅のある知」。
それは、読書の積み重ねによってしか得られない。

人生の広がりもまた同じ。
読書によって偉大なものにふれ、心を揺さぶられる体験が、
人の感受性を大きく育てていく。

人生の意味は、読書が掘り起こす

私たちは成功や勝敗に左右されがちだ。
でも、文学の世界に浸ってみると、
そのような軸は意外と脆いことに気づく。

「勝ち負けよりも生き方」こそが、人生の本質だと、
なぜか自然に思えてくる。

聖書には「人はパンのみにて生くるものにあらず」とある。
物質だけでは、人は決して満たされない。
人生の意味を掘り起こす“視点”が必要で、
その視点を育てるのが、読書なのだ。

読書する人だけがたどり着ける場所

ネットの速さに慣れ切った私たちにとって、
本を一冊読み切るという行為は、
ちょっと贅沢で、そして強い意志が要るものかもしれない。

だけど本の世界には、
浅い情報では決して届かない“深さ”と“静けさ”がある。
思想や歴史、他者の人生とつながることで、
自分の人生が確かに厚みを増してゆく。

読書とは、人生をじっくり味わうための最良の方法で、
その深みに触れた者だけが、まだ見ぬ場所へと導かれてゆくのだろう。

これから私が選びたい読み方

本書を読み終えて、私はひとつの行動を心に決めた。

自分の人生を深くするために、読書を続ける。

そしてここに、もう一つ付け加えたい。

理解できるかどうかではなく、“向き合う姿勢”そのものが深さをつくる。

だから私は、
これまで避けてきた少し難しい本や、
途中で置いてきた本にも、
再びページを開いてみるつもりだ。

読書とは、
「本物に触れようとする勇気」であり、
「浅い理解のままで終わらせないという意志」
でもあるのだと、本書が気づかせてくれたからだ。

旅をして、戻ってきて、
また日常の中で本を開く。
その往復の中で、
少しずつ視点が広がり、
人生に新しい風が吹き込まれるような気がしている。

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