せりふ三題噺|合皮・シーグラス・将棋
◆「せりふ三題噺」2026.07.17.〜23. 参加作品。
★セリフ
「調べないほうがいいよ」
★三題
・合皮
・シーグラス
・将棋
◆「ねえ,マスター」
「ん?」
「そう言えば,あの2人」
「え?」
「ほら,菱屋さんと香歩ちゃん。向こうのテーブル席の」
「ああ」
カウンターの中で,機械のように精妙な手つきで黙々とカップやグラスを拭き続けているマスターにーーたぶんもう何周かしているーーあたしが話しかけたのは,ドアベルもろくに鳴らない,とあるド暇な午後のこと。
それは,我がアルバイト先である「囲碁将棋喫茶 kúōn」の,無駄にピッカピカに磨き上げられたカウンターやら合皮のスツールやらを,あらためて拭いて回る不毛な作業の退屈さに耐えかねた,単なる暇つぶしの雑談であって,そのときのあたしに,べつに何というほどの期待も思惑も,あるわけはなかった。
「……あの2人が,どうかしたのか?」
閑散とした店の奥では,この店の常連の2人,背筋のピッと伸びたダークスーツ姿の初老の男性と,セーラー服に身を包んだ可憐な黒髪の少女が,パチン,パチンとのんびり将棋を指しつつ,楽しげに談笑している。
……珍しくもない,見慣れた光景である。
「いえ,べつに。……でも,あの2人って,いつもあの組み合わせですよね。
誰かほかのお客さんと指してるところって,考えてみると,見たことない」
「……ふむ」
「どちらも,お店に来るのって,決まって土曜日の午後だし。お互いに,相手と将棋を指すだけのために,ここに来てるみたい。
あの2人って,何か前からつながりがあったりするんですか? ……あ,もしかして,お祖父ちゃんと孫娘,とか?」
「いや,2人はもともと,赤の他人同士だ。はじめて出会ったのも,この店でだった。
と言うか,棋力が比較的近い者同士として,俺があの2人をたまたま対局相手として組ませたのがきっかけだよ。まあ厳密に言えば,俺じゃないんだが……そう,ちょうど10年前の話だ」
「10年前? でも,香歩ちゃんって高校生でしょ? 10年前っていうと……」
「小学1年生だったよ。おそろしく早熟な子どもでね。
俺はそれぞれ別の日の他の客との対局を見て,だいたいの棋力は把握していたから,存外いい勝負になるんじゃないかと踏んで,菱屋さんをあの子にぶつけてみた。
だけど菱屋さんは,ちょっとムッとしている様子だったよ。いくら何でも,ついこの間まで幼稚園に通っていたようなこんな子どもと,って。
それも無理はなくて,当時すでに,菱屋さんはアマ初段から2段くらいの実力はあったんだ。
でも,結局香歩ちゃんに,いきなり7連敗することになるわけなんだけど」
「うわあ……」
「俺の見立てより,少しだけ2人の実力差が大きかったんだな。……いや,今思えば,香歩ちゃんの成長スピードが,規格外だったのか」
「でも,7連敗ということは,8度目は……?」
「そう,菱屋さんが制した。まさに七転び八起きさ。
もしかして,負けの込んだ菱屋さんに同情した香歩ちゃんが,ちょっとだけ手を抜いて勝ちを譲ってあげたのか,とも思ったんだが,2人の顔を見て,そんな憶測は吹っ飛んだよ。
静かに喜びを噛み締める菱屋さんの前で,香歩ちゃん,下を向いて,ぽろぽろと大粒の涙をこぼしてたんだ」
「あー,負けず嫌いさんなんですね」
「2人ともな。自分が負けた対局の棋譜を起こして研究して,あの香歩ちゃんに,後ろから差しきったんだ。菱屋さんだって,立派な化け物だよ。
それ以来,俺の知る限り,2人はお互いとしか指したことがない。
この10年で,2人ともずいぶん腕を上げたが……勝ったり負けたりで,実力は今もトントンというところだな。あのレベルになると,ほかの常連客では,まず相手にならない」
「理想的な敵手同士なんですね」
「そう。……そして2人は,実はこの店,kúōn の大恩人でもある」
「えっ,そうなんですか?」
「ああ。そこに変な形のオブジェがあるだろ?」
「あー,この,シーグラスを接着剤で連ねて,いびつな二重螺旋にしたみたいなヤツですね」
「ああ。それは,開店何周年だかのときに,香歩ちゃんが店に贈ってくれたものなんだが……実は,もし売りに出せば,時価数億を下らないっていう代物なんだ」
「え"」
「2つの螺旋は,それぞれ台座の上で回転させられるんだが,特定の位置にすると,見る方向によって,シルエットがちゃんとした絵になってるんだ。たとえば今の位置だと,こちらから見ると……」
「あっ,海面から飛び出した鯨の親子?」
「そうそう。で,こっちの螺旋をちょっと動かして,こちらから見ると……」
「おお,背中合わせに立っている,男女のカップル!」
「そう。説明書によれば,こんな具合に,こいつには42点の『絵』が仕込まれていることになっている。
だが,実際には明らかに,説明書ではふれられていない『絵』がいくつもあって,さっきの2つにしても,リストからは洩れてるんだ。
ほかにも,机に顎を乗せてダレているモナ・リザとか,口髭で木からぶら下がってブランコするサルバドール・ダリとか,子どものラクガキみたいなふざけたものも多くて,いったい何点の『隠し絵』が眠っているのか,本当のところは,誰にもわからない」
「はー,これ作った人の頭の中って,いったいどうなってんですかね。っていうか,いったい誰が作ったんですか,こんなもの」
「香歩ちゃんによれば,モチヅキ先生とオカダ先生にちょっとお願いして,チャチャッと作ってもらっちゃいましたぁ!というんだが」
「モチヅキ先生とオカダ先生……? 香歩ちゃんの学校の先生ですか?」
「いやいや,俺も確認してびっくりしたんだが,2人ながらに不世出の天才として知られる,高名な数学者と分子生物学者だよ。2人とも,当代最高の頭脳の持ち主と言っていいだろう。
このオブジェは,稀代の天才2人がコラボして手がけた手すさびで生まれたものということになるが,このぶっ飛び方,間違いなく原案から,香歩ちゃん自身も関わってると思う。
しかし,研究で多忙な上に,住んでいる地域もバラバラな2人に,香歩ちゃんはいったいどうやって,こんなものを合作させることができたのか……」
「ス,スゴいですね」
「実は,万年赤字のこの店の運営費用の不足分は,このオブジェの各種展覧会や研究室へのレンタル料で賄われている。君のアルバイト代も含めてね。
もちろん,香歩ちゃんや制作者のお2人には,ちゃんと許可をいただいた上でのことだよ」
「そ,そうだったのか……
でも,そんな貴重なもの,こんなところに無造作に置いといて,大丈夫なんですか?」
「いや,全然大丈夫じゃないんだよな。
実はこれ,これまでに3度,盗難に遭っているんだ」
「えっ?」
「でも,3回とも,ちゃんと返ってきた。菱屋さんが手を回してくれてね」
「えっ,菱屋さんが?」
「大丈夫です,そういうのが得意な優秀な者たちに,依頼を出しておきましたから,って言って,にっこり笑ってた。詳細は教えてもらえなかったけどな」
「菱屋さん,いったい何者……?」
「あ,調べない方がいいよ。
詳しいことは話せないが,実は香歩ちゃんも菱屋さんも,それぞれの所属する世界では,超のつくビッグネームなんだ。
2人とも,この店にはお忍びで来ていて,公式の行動記録には載せていない。
ちなみに,『菱屋角行』も『桂香歩』も,将棋の駒の名前に引っかけた,あからさまな偽名だよ」
「はー,言われてみれば,飛車角と,桂馬・香車・歩兵……」
「そうそう,3度目にこのオブジェを盗んだ窃盗団とその上位組織は,えげつないくらい徹底的に叩き潰されてる。見せしめ,ということなんだろうな。
さらにそのときは,表向きの理由はもちろん別だが,警察の方も,上は警察庁長官・警視総監から,下は所轄の署長・副署長,刑事課長に至るまで,軒並み首をすげ替えられてるんだ。
おそらく,捜査上何らかの遺漏不手際があって,それが香歩ちゃんか菱屋さんか,あるいはその両方の逆鱗に触れたんだろうな。くわばらくわばらだ。
さわらぬ神に祟りなし,まあ,彼らについて調べてみたり,ましてや情報を拡散したりなんてことは,やめておいた方がいいだろうな」
「も,もちろんそんなことは!」
「そんなわけで,もう二度とないだろうとは思うけど,もしも4度目の盗難騒ぎが起こったら,今度は菱屋さんの伝手を頼らなくても,警察は他の仕事を全部うっちゃらかしてでも,全組織を上げて徹底的に捜査してくれるんじゃないかな」
「はー,お2人がお店の大恩人っていう意味が,よくわかりました。
要するに,香歩ちゃんが作らせて,菱屋さんが守ってきたこの謎オブジェのおかげで,このお店が潰れずに済んでいるってことだったんですね……」
「そう。だけどそれだけじゃなくて,実はもう一つ,わけがあるんだ。
実はこの店の店主は,重病を患って,数年前に他界したんだが」
「え…… あ,前の店主さんってことですね。
あれ,でも,このお店って,確かマスターが開いたお店だったんじゃ……?」
「そうだよ」
「それって,どういう……」
「店主が病没した後も,この店は何事もなかったかのように,かつてと変わらず運営されている。
それは,この店での対局のひと時を大切にしている2人が,そう望んだからなんだ。
彼らは名義上のオーナーを用意して,この店を買い取った上で,元店主の記憶と意識と反応パターンをコピーしたAIを搭載した,彼とそっくりな高機能アンドロイドを作らせた」
「えっ,そ,それって,つまり……?」
「そう,君にもそろそろ,話しておいていいだろう。人類の叡智を,これでもかとばかりに結集して作られた,その無駄にハイスペックなヒト型ロボ,それが……俺なんだ」
「……!」
「でだ,話のなりゆきとはいえ,せっかく真相を話したんだ。君にもちょっと,この店の力になってもらいたいと思ってね。
いや,大したことじゃない。もしも,バグか何かで俺がフリーズして動かなくなったりしたら,そのときは,俺がピアスにして耳からぶら下げてるこの変てこなピンを,誰かにここんとこに突っ込んで,再起動してもらわなきゃならないんだ。そいつを君に頼みたい。
そうそうあることではないとは思うけど,万一店の営業中にそうなったときは,よろしく頼むよ」
そう言ってウインクしたマスターが指差した彼の左耳の後ろには,確かにポツッと,小さな穴が1つあいていた。
◆はらとけいさんのこちらの企画↓に参加させていただいております。
いつもありがとうございます。
◆以下,いつもの余計な話。
「囲碁将棋喫茶 kúōn」の名前は,新しくなった将棋会館にできたショップカフェ道場「棋の音」の店名を読み替えたものです。
kúōn とは,古代ギリシア語で「犬」という意味で(「プロキオン」は,犬の星・シリウスの露払いとして出てくる「犬の前の星」ということですね),マスターの名前は「犬崎吠」という設定です。
ロボ化してから,生身の頃より格段に将棋が強くなったことは秘密です。
なお,オチはよくわからなかったかもしれませんが,光学ディスクの「イジェクトピン」と「イジェクトホール」が元ネタです。
昔,宇宙人に拉致された人は,耳や耳の後ろに何かを埋め込まれた上で記憶を消される,という変な都市伝説があって,それを知った人が,そう言えば自分の耳の根元に謎の穴がある,自分は宇宙人に拉致されて記憶を消されたのか!と言い出したりすることがあるけど,それは「先天性耳瘻孔」と言って,10〜20人に1人くらいの割合で見られるものなんだよー,というのをどこかで読んだことがあって,それが実はイジェクトホールだったりしたらちょっと面白いな,と思って,今回ネタにいたしました。
なお,モチヅキ教授,オカダ教授のモデルとさせていただいたのは,こちらの方々です。
マスターの名前の元ネタ・棋士の先崎学九段も併せて,皆さんだいたい同年代ですねー。
◆こちら↓で,主催者様のコメントをいただきました。いつもありがとうございます。
