言葉|バッコンバッコンぶん殴られて,ギッタンギッタンにされちゃった?
◆追記:もよろんさん・適温より1℃低めさんからご指摘を受けて(お二方,ありがとうございました),調べてみたところ,「ギッコンバッタン」も「ギッタンバッコン」も両方あることが判明いたしました!
よって,以下はただの勘違いによる戯言なのですが,自戒の意味も込めて,このまま置いておきます。
◆gemini さんにサムネイル描いてもらったら,のび太の眼鏡が2つあるよ……
ちなみに「のす」と「のびる」は,「流す」と「流れる」のような,他動詞・自動詞の対応関係にありますね。
僕は「のび太,お前をのしてやる!」とか「のび太のやつ,ジャイアンになぐられてのびちゃっよ」といった表現を,子どものころ漫画や本で見覚えたけれど,自分の身のまわりで,こういった「のす」「のびる」という表現を耳にした記憶はない。
あれはやっばり,昭和のころまででだんだん使われなくなっていった言葉なのか。
まあ,誰かが誰かにのされてのびてしまった,なんていう場面自体が,日常風景にはなかったわけだけれど。
何にしても,今の子には,「野比のび太」という名前の意味は,よくわからないのではないだろうか。
◆療育で,マメ彦(小学3年生,ダウン症,重度知的障害,自閉傾向あり)を見てくださっている教室長の先生が
「ギッタンバッコン」
とおっしゃったので,顔には出さなかったつもりだが,僕は内心で目が点になった。
それは,向かい合わせに座ってお互いの手を持ち,交互に引っ張ったり引っ張られたりする運動遊戯のことで,その名前は既存のオノマトペに由来し,もちろん正しくは「ギッコンバッタン」に決まっている。
いわゆる「音位転換」が起こっているのだが,かなり珍しいパターンだと思う。
世の中,言語感覚の鈍い人というのはたしかにあって,たとえば僕が去年所属していた校舎の校長は,「吉祥女子」というよく知られた進学校のことを「きっしょうじょし」,略称としては「きっしょう」と言っていた。
吉祥寺という街にあるから「吉祥女子」で,ほかの読みになるわけもないのに,不勉強な僕などよりよほど教務知識の豊かな上司が,首都圏の中学入試ではいわゆる御三家の次に名前が挙がるような有名進学校の名前を,間違えたままで通してしまっているのだ。
吉祥女子は,略称では「吉女」と言うのが通例で,保護者さんとの電話などで,キッショー,キッショーと何度も繰り返されるのを聞くと,違和感が半端なく,耳障りですらある。
学校の名前を間違えるなんて,塾屋としては恥ずかしいことで,顧客の不信感を喚起しかねないと思うのだが,それでも間違えたまま平然としているというのは,やはり大元の言語感覚が鈍いのだろう,と煎じ詰めた。
療育の教室の教室長の「ギッタンバッコン」にしても,僕の感覚ではちょっとあり得ない間違いだが,たまたま言い間違えたというのではないらしく,何回口にしても,決まって「ギッタンバッコン」である。
そして,自分たちのセッションが始まるのを待っている子どもたちの1人が,教室長と同じように「ギッタンバッコン」と言うのが耳に入って,あらためて,やれやれ,と思った。
先生が間違えれば,それは子どもたちだって間違えておぼえてしまうわけだ。
マメ彦のスケジュール帳の絵カードを見ると,ちゃんと「ギッコンバッタン」と書いてあったので,ちょっとほっとした。
ところが,マメ彦が一度部屋から出て,皆と「ギッコンバッタン」をやって部屋に戻ってくると,彼が持って帰ってきたスケジュール帳の絵カードが「ギッタンバッコン」に変わっていて,また胸中で目が点になった。
が,これはすぐに,「ギッコンバッタン」に付いていたアシスタントさんが,マメ彦のスケジュール帳をほかの子のものと取り違えて渡してしまったのだということがわかった。
つまり,マメ彦のスケジュール帳の絵カードは正しく「ギッコンバッタン」となっているが,別の子のスケジュール帳では「ギッタンバッコン」なのだ。
おそらく,その子のスケジュール帳の絵カードは,普段から諸事粗雑でいいかげんなきらいのある教室長が自分で作ったものであり,マメ彦の絵カードは,後からの参加だったので,教室長と違って仕事のきちんとしている副教室長の先生が,指示を受けて作ってくれたものなのではないか,と推測した。
何にせよ,「キッショー女子」の校長がいる僕の前任校と同じく,下の人間が上長の間違いに気づいていながら,それを指摘して修正させるということができずにいるわけで,組織のあり方としても,あまり健全な状態ではないのかもしれない,と考えた。
