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覚書|「ことばの海」について

◆「言葉の海」というイメージについて,気のついたことを書き留めておく。

◆「言葉の海」と言うとき,僕がまず連想するのは,『舟を編む』である。
三浦しをんによる原作小説(2011年単行本刊行,2012年本屋大賞受賞)は,実はまだ読んでいない。
これを原作とする石井裕也監督の同名の映画(2013年)のDVDを持っていて,これを何回か観ている。
映画化の後,アニメやテレビドラマにもなっているこの物語のモチーフは「辞書編集」であり,タイトルの「舟」とは,「言葉の海を漕ぎ渡るための舟」という,「辞書」のメタファーであろう。
すなわち,タイトルの「舟を編む」とは,ズバリ,「辞書を編集する」ことにほかならない。
映画には,出版社の辞書編集部の一員である主人公の馬締光也が,言葉の海に溺れそうになる夢のシーンの描写もある。
ウィキペディアの記事によれば,やはり

「辞書は言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編んでいく」という意味でこの書名が付いている。

ウィキペディア「舟を編む」

とのこと。

◆この「舟を編む」の下敷きとなっている「言葉の海」というイメージの出所について,明治期に国語学者・大槻文彦が編纂した本邦初の近代的国語辞典『言海』(1889-91年刊行)のタイトルがそれであろうかと思う。
辞書繋がりということで,これはまず間違いなかろう,と思っている。
『言海』という辞書のタイトルは,音読すれば「げんかい」となるが,同時に「ことばのうみ」という訓読も想定されているという。
あまりにも,そのまんまである。

大槻の没後の昭和初期に,大幅に改訂がなされた『大言海』が刊行されており(1932-37年),昭和人に馴染み深いのは,オリジナルの『言海』よりも,こちらのはずである。また,戦後には,現代版として編まれた『新言海』も発刊されている(1959年刊行)。
ちなみに,『舟を編む』の主人公たちが編纂している中型国語辞典のタイトルは,『大渡海』。
「渡海」に「大」のついた,変な言葉だが,「大言海」のもじりであるとすれば,語の成り立ちを云々するのも野暮というものだろう。

DVDケースが辞書の装丁となっている仕掛け。

『大言海』から『大渡海』へ,1文字の違いではあるが,オリジナルの辞書の題名が,辞書を通して見る「言葉の海」そのものであるのに対して,作家による虚構の辞書の題名「大渡海」が,その海を「漕ぎ渡る」こと(あるいはそのための「舟」)という,一段メタ化したイメージであるのは,ちょっと面白い。

◆『言海』を編纂した大槻文彦の評伝を,高田宏が著しているが,その題名を『言葉の海へ』という。
また,辞書愛の人である鈴木絢音が,辞書を作る人々と語らった対談集の題名は,『言葉の海をさまよう』である。
なお,新潟市には,「ことばの海」という,言語聴覚士による発達支援教室があるという。

◆過日,「せりふ三題噺」の「爆弾低気圧マティーニ六法全書」というお題に呻吟して,結局,夢ばなしでお茶を濁したが,その作中で,「大言海」の名前を使った。
「そう言えば,『舟を編む』の題名のイメージのルーツは,『(大)言海』のタイトルなんだろうなあ」
と頭に浮かんだのは,その折であった。
その後,小5の社会の授業で「江戸時代の三大改革と学問」について教えた際に,「おや」と思った。
テキストの章扉ページで,『解体新書』と『蘭学事始』について紹介しているのだが,そこで,後者のよく知られた一節,

「艫舵なき船の大海に乗り出せしが如く」

という言葉の,現代語訳が示されていたのだ。
「言海」にさらに先立つ「言葉の海」の原イメージは,実はこれではないか,と思いついた。

◆ここで『蘭学事始』に書かれた有名なエピソードの再話などを一々する気はないが,『解体新書』にまつわる人間ドラマについて,一つ二つ問わず語りの注釈を入れておくと,まず,『解体新書』訳出の中心となった杉田玄白・前野良沢・中川淳庵の3名のうち,はじめに最もオランダ語の単語に通じていたのは,青木昆陽から簡単な手解きを受けていたという前野良沢であり,逆にほぼ白紙に近い状態であったのが,『蘭学事始』の筆記者・杉田玄白である。
そして,訳出の作業が一応の完成を見た際,なお不完全な部分もあることを承知で,すぐに世に出してどんどん医師たちの利用に供しようと主張したのは玄白であり,これを了とせず,より正確精緻な訳が完成するまで世に問うべきではない,としたのが,学級肌の良沢であった。
結果,「解体新書」の翻訳作業の主力は良沢であったにもかかわらず,著者名としては,玄白の名のみが記載されている。
玄白・淳庵の元には数多くの患者や弟子が集まり,医術の大家として名をなした。
玄白自身も語っている通り,良沢がいなければ,訳業は完遂されなかったであろうし,また,玄白がいなければ,それがすみやかに世に出て,医家諸氏によって役立てられることはなかっただろう。
巧遅拙速,志向資質のまるで異なる2人(と若いもう1人である淳庵)が,手を取り合い支え合って,ついに大きな仕事をなした事実は,2人が本書の上梓を巡って意見を異にし,ついに袂を分かつことになったことを踏まえても,なお尊いことであったと考える。

もう一つ。
「蘭学事始」は,元々晩年の玄白による私的な手記であり,手稿と写しの2冊しか作られなかった。無論,いずれも手書きである。
杉田家に残された手稿は,安政の震災で失われ,写本も散逸したことで,一旦は幻の記録となったが,幕末期になって,書店の店頭で写しの方が偶然に再発見された。
さらに,西洋文物の紹介者としての彼らの衣鉢を継いだ形となる福沢諭吉が,たまたま前野良沢と同じ豊後中津藩の出身であったことから音頭を取って,明治になってから上梓され,はじめて広く読まれるに至ったものである。

◆さて,明治2年公刊の「蘭学事始」と,その20年後,明治22年から世に出始めた国語辞典「言海」との間には,一つ,明瞭な関係が存在する。
すなわち,玄白から彼の手記「蘭学事始」の写本(公刊版の原本)を贈られたのはーー即ち,(杉田一族以外で)この私的な回想録の読み手として想定されていたのは,玄白の高弟であった大槻玄沢であった。
「言海」を編纂した大槻文彦こそ,この玄白から『蘭学事始』を送られた一番弟子・大槻玄沢の,直系の孫であったのだ。

「言海」のタイトルには「蘭学事始」の影響があるのでは,と思いついて,「蘭学事始」について調べ直してみた際,
「大槻玄沢,あれ,『大槻』って確か……あれ,あれ?」
となって,この事実に気がついたときは,ちょっと背筋に寒気が走った。ビンゴじゃないか!
大槻文彦は,祖父である玄沢から,あるいは父から,辞書一つないところから始めて翻訳を完成させた玄白らの偉業について,常々聞かされていたであろうし,彼が日本初の近代的辞書の編纂という事業を志すに当たって,そのことが何の影響も与えなかったとは,考えにくい。
玄白は,資料らしい資料のないまま翻訳を始めたときの困難と不安を,かじのない船で大海に乗り出すことに喩えたのであって,言葉を海に,辞書を舟になぞらえたものではないが,それでも,文彦が自らの辞書に「言海」と名付けたそのイメージの元には,玄白による件の一節があったのでは,と思えてならない。

◆なお,こちらはただの偶然という以上の意味を持たないであろうが,「蘭学事始」を著した杉田玄白,これを贈られた高弟の大槻玄沢の通称に共通して現れる「玄」の字は,『舟を編む』では,物語の舞台となる架空の出版社の社名「玄武書房」の1字として立ち現れる。
素人しろうと玄人くろうととか,白米・玄米というように,「玄」は「白」に対置される「黒」を表す。
「玄白」の名は「黒白」ということになる一方,「玄沢」の名は,彼の出身地・陸奥一関の地名「黒沢」にちなむものであるという。
さらに,「玄武」は,「青龍」「朱雀」「白虎」と並んで,四方を守る「四神しじん」の一つであり,北に配当される。
五行における「水」に当たり,色としては「黒」が当てられる。

◆追記。
相変わらずの,AIちゃんのポンコツっぷり↓。
「菊池寛は『蘭学事始』を執筆していません(キリッ)」「誤りです(きっぱり)」って,おーい。



◆追記・その2。
「舟を編む」のデータをウィキペディアで漁っていて,「隠し松竹梅」を発見!
松:松本先生
竹:タケ婆さん
梅:「梅の実」(香具矢が修行する割烹)
まあ,どうしたって,
「タケ婆さん(竹)ー孫の香具矢(かぐや姫)」
のつながりの方が目を引くのだけれど。

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