稲垣満一郎と鳥瞰図のこと②
コレクションから稲垣満一郎の鳥瞰図を紹介します。
吉田初三郎が犬山を去り(昭和11年)、犬山で独立した満一郎は犬山で新日本名所図絵社を立ち上げた。
初三郎の門下で編集を担当していた満一郎は、鳥瞰図の裏の観光案内(解説)を担当していたが独立後は鳥瞰図も手がけた。文、絵共に、その才能を発揮している。
昭和9年(1934)「日本ラインと犬山町」
犬山保勝会発行
表紙は日本ラインを代表して桃太郎と犬山町を代表して犬山城城主成瀬家唐犬頭巾の絵が使われている。
犬山の旅館「迎帆楼」「八勝閣」も同じ鳥瞰図を使っている。
吉田初三郎の犬山の画室に在籍しながら、満一郎が著作者として鳥瞰図を描いている。題字は犬山町長の原田鐵藏による。


昭和12年(1937)「風流漫筆飛彈栗毛」
日本風流漫画会発行
名古屋城から黒部渓谷まで順路を追って名勝を訪ね歩くという嗜好で、鳥瞰図では無く景色・名物などを俳句を交えて紹介する観光案内書ともいえるもの。
後書きには『十数余年間、鳥瞰図の仕事にたづさわって行き詰まった揚句、転身したのがこれです。一世を風靡した鳥瞰図というものも、もう時代に飽かれています。何か目新しい方法はないかと三年間もがき苦しんだ結果、産み出したのが絵巻風なこの風流漫筆…』と記しています。
隆盛を極めた鳥瞰図人気の陰りを悟り、新機軸をさぐった満一郎。同年「風流漫筆知多めぐ里」を発行するも、その後にこの企画で発行されたものは見当たらない。


昭和17年(1942)「日本ライン・桃太郎屋敷案内図」
発行人は、桃太郎神社初代宮司川治宗一。
「大東亜戦争の春 洋鬼退治を 祈念して」と添え書きされている。
お土産として売られていたようだ。鳥瞰図を折りたたんで入れた袋には、
「日本ライン土産 日本一軍神 桃太郎本社 参拝祈念絵図 附 桃太郎さんの由来と七不思議」と書かれており戦時下の影響が色濃く出ている。
国際日本文化研究センターに所蔵されている同図の印行は、左下の鳥瞰図内に入れられています。紹介したものは鳥瞰図枠の外下中央に印行が入っている、どちらが再版されたものかは不明。


昭和31年(1956)「観光犬山市大観(犬山城頭・一目八方鳥瞰図)」
新日本名所図絵社発行、所在地は犬山市東図師八十五とある。
鳥瞰図署名はmokucyoan(木兆庵:満一郎)を使用している。
吉田初三郎の鳥瞰図の裏には観光案内(解説)が書かれており満一郎の担当でした。そこには「絵に添えて一筆」のコラムがありました。
初三郎が犬山を去り(昭和11年)、犬山で独立した満一郎は新日本名所図絵社を立ち上げた。この鳥瞰図裏には初三郎の観光社を離れた後も「絵に添えて一筆」が掲載されている。


