上手いだけでは足りない――私が目指す手話通訳と、最近感じる違和感
手話通訳士のあらかわいおりです。
手話に関することを幅広く発信しています。
現在7冊の本を出版し、
2026年中に10冊の手話の本を出版するべく執筆中です。
手話通訳のような、ボランティア色の強い仕事をしている方々が、
noteを中心に副収入を得ることで、
より仕事に励むことができる。
そのロールモデルになるべく奮闘中です。
Googleで「手話 あらかわいおり」と検索していただくと、
私の活動がわかります。
今日は、私の思い込みについて書いてみたいと思います。
少し批判的な内容になるかもしれません。
だからこそ、誰にでも読んでほしい記事ではないと思い、有料記事にしました。
もちろん、若い手話通訳者を否定したいわけではありません。私自身もまだまだ未熟ですし、学ぶことばかりです。
ただ、長く手話通訳に関わってきた中で、最近強く感じることがあります。
それは、
「手話が上手いこと」と「聞こえない人にとってわかりやすいこと」は、必ずしも同じではない
ということです。
そして、その二つが離れてしまうことに私は危機感を持っています。
若い手話通訳者の技術は本当に高い
最近の若い手話通訳者は本当に上手です。
語彙も豊富です。
流暢です。
空間の使い方も洗練されています。
私が若かった頃と比べても、学習環境は格段に良くなりました。
映像教材もあります。
SNSでは優れた手話表現を見ることもできます。
学術的な研究成果も以前より身近になりました。
だから技術レベルが高くなるのは当然なのかもしれません。
実際、私も若い通訳者の表現を見て感心することがあります。
しかし、その一方で違和感を覚えることもあります。
それは、
「聞こえない人から見て、本当にわかりやすいのだろうか」
という疑問です。
手話が上手いことは努力で身につく
手話技術は努力によって向上します。
語彙を覚える。
表現を学ぶ。
動画を見る。
練習する。
経験を積む。
そうした積み重ねによって確実に成長できます。
だから「手話が上手い」という評価は、努力によって獲得できる部分があります。
しかし、「わかりやすい」という評価は少し違います。
これは自分だけでは決められません。
自分では伝わっているつもりでも、相手には伝わっていないことがあります。
逆に、自分では不十分だと思っていても、相手には十分伝わっていることもあります。
だからこそ、
「この手話はわかりやすいだろうか」
という自己評価が必要です。
同時に、
「わかりやすかった」
という他者評価も必要です。
そして、その評価をしてくれるのは主に聞こえない人です。
技術より先に必要なもの
私は、わかりやすい手話通訳の土台には技術以上に大切なものがあると思っています。
それは、聞こえない人への理解です。
聞こえない人の文化を知ること。
聞こえない人の価値観を知ること。
聞こえない人がどのように情報を受け取り、どのように理解するのかを知ろうとすること。
そして何より、
尊敬することです。
その上で、
「私は翻訳しているのだ」
という意識を持つことが必要だと思います。
自分が表現したい手話を見せるのではありません。
自分の技術を披露するのでもありません。
相手に伝わるように翻訳する。
そこが出発点であるべきだと思うのです。
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