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適応障害✖️労働審判〜戦って手に入れた物〜

※本記事は、筆者である私が実際に経験した事実に基づくノンフィクションです。労働審判というすべての法的手続きを終え、すべてが決着した今、私はこの記録を公開することに決めました。なお、身の安全と戦略上の配慮から、社名や個人名については伏せ字を用いています。これは逃げ隠れするためではなく、最後まで公正に戦い抜くために選んだ「沈黙」の記録です。事実の核心は、何一つ変えずにここに記します。

今、職場で孤立している方、適応障害で苦しんでいる方、そして『会社はおかしい』と感じながらも戦い方が分からない方へ。私の経験が、あなたの武器になることを願って書きました。

「パパ、会社と闘います。勝ったらゲーミングパソコン買えます」

私は娘にそう言った。
それは単なる夢物語ではない。私は、会社を相手に「労働審判」を申し立てることを決めていた。
その決意に至るまでには、私の人生を揺るがす幾つもの出来事があった。

心が壊れた「あの日」の呼吸

ある日、私は会社で過呼吸を起こした。
突然、胸が締めつけられ、必死に空気を吸おうとしても入ってこない。
手は震え、涙も止まらなくなり頭の中が真っ白になる。私は急いで会社の外へ出た。
狂った呼吸を整えようとする。ゆっくり吸おうとしても、吸えば吸うほど空気が逃げていく。
しばらく、その場から一歩も動くことができなかった。

実は、数年前から予兆はあった。
毎晩、布団に入っても脳が覚醒したまま眠れない。
ようやく意識が沈んでも、数時間で跳ね起きる。
朝になっても疲れは鉛のように体に張り付いている。
それでも「まだ大丈夫だ」と自分を騙し続けてきた。
過呼吸を機に受診した医師から告げられたのは、「適応障害」「睡眠障害」という診断名だった。

「しばらく仕事を休みましょう。このままでは取り返しがつかなくなります」

その言葉を受け、私は4ヶ月の休職に入った。
これが、長く孤独な戦いの始まりになるとは知らずに。

復職と「駐車場事件」

4ヶ月後、私は職場に戻った。
体調は万全ではない。
いつまでも休んでいるわけにはいかない。
しかし、復帰した職場に、私の居場所はなかった。
仕事の指示、会議の内容、日常の会話。
すべてが私を避けるように流れていく。
極めつけは、乗務員による忘れ物紛失トラブルだった。
重要な情報が、私にだけは一切知らされない。

そんな中で起きたのが、「駐車場事件」だ。

事務所の電話が鳴った。
基本私が居ると誰も電話は取らない。
いつも通り私が電話を取ると、お客様の父親からだった。
「少し遅れる」という伝言を、訳も分からず私はその場にいた面々に伝えた。
いち早く反応したのは昼のパートだった。
「早く菓子折り買ってこないと」
やはり知らないのは私だけだった。

お客様が来る時間、私は駐車場で待った。
状況も知らされていない私が、せめてもの誠意で見せた「来客対応」だった。
一台の見慣れない車が入ってくる。
私は安全を確認し、丁寧に誘導した。
来客が車を停めた直後、事務所から出てきた昼パートの女性が、私の目の前でお客様にこう言い放った。

「別の場所に停め直してください」

一瞬、頭が真っ白になった。お客様の目の前で、私の対応がゴミのように否定された。
客室へ入る背中を見届けてから、私は抑えていた感情を爆発させた。

『どういうつもりなん?俺が対応してここに停めてもらったんだけど?そうゆう事するなら、来る時間分かってんだから、駐車場で待ってろよ!人の顔に泥を塗るマネしてんじゃねー!』

それは、誘導を否定されたことへの怒りだけではない。私を「いない存在」として扱う状況そのものへの怒りだった。しかし、この正当な怒りは、会社側に昼パートの言い分だけで処理され
「まだ本調子ではない」と都合よく解釈された。
私は再び休職へと追い込まれた。

「退職」か「転落」か、非情な二択

2ヶ月の再休職後、会社から突きつけられたのは、救済ではなくクビに等しい条件だった。

「正社員を一旦退職して深夜パートになるか、それとも自己都合で退職か」

回答期限はわずか1日。家族がいる。生活がある。
今すぐ無職になるわけにはいかない。
深夜の暗闇で働くことを選んだ。

「深夜パート」としての生活が始まった。情報共有からはさらに遮断され、一人で黙々と業務をこなす日々。だが、その孤独が、私に冷静に考える時間を与えた。

深夜の静まり返った事務所で、私は自分の給与明細と向き合った。計算が、合わない。
何度も電卓を叩く。厚生労働省のHPを調べ、法律を読み漁る。
そこで気付いたのは、これまで説明されていなかった問題だった。日給が最低賃金を下回っている。
残業時間が、一律で全カットされている。

「会社は私を病人扱いして排除したが、自分たちの運用に法的な問題がある可能性を考えなかったのか」

怒りが冷徹な決意に変わった。私はその日から、すべてのやり取りを記録し始め、意見書として本社人事部に書面を送付した。人事、所属長との三者面談。
あえて彼らに語らせ、矛盾をメモに閉じ込める。会話はすべて録音した。彼らの説明そのものを、証拠として積み上げていった。結果として、最低賃金割れと残業カットは是正され、不足分の支払いがされた。

労働基準監督署

私は労働基準監督署へ向かった。感情的な不満ではなく、整理された数字と事実を突きつけた。結果、労基署は動き、会社に指導と是正が行われた。しかし、会社から私への謝罪も説明も、その後も一切ない。だから、私は決めたのだ。「労働審判」という公の場で、すべてを明らかにすることを。

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