SNSで出会った、よくできた話――感動と「理由づけ」は別物。美談が隠してしまう、職場の不合理
SNSを眺めていると、ときどき「なるほど」「いい話だな」と思わせる投稿に出会います。
最近、とても多くの共感を集めていた、こんな文章を見かけました。
日本人は「終わる時間」は
守らないのに、
「始まる時間」には厳しい。
そこに、介護のため毎朝5分遅刻していた新人と、若くして亡くなった母親のエピソードが添えられ、最後は、こんな言葉で締めくくられていました。
⏱️「終わる時間を守らないのは、まだ一緒にいたいから」
⏱️「遅刻に厳しいのは、信頼を大事にしたいから」
読み物として、とてもよくできています。感情が動き、否定しづらい物語です。
けれど私は、読み終えたあと、少しだけ立ち止まりました。この「理由づけ」は、本当に正しいのでしょうか。
✅感動と「願望」は、分けて考えてみる
最初に言っておきたいのは、問題だと感じたのは、個人のエピソードそのものではありません。
介護をしながら働く人がいることも、語られない事情を抱えている人がいることも、それ自体は紛れもない現実です。
私が引っかかったのは、最後に提示された「結論のロジック」でした。
☑️会議が延びる理由は、「生産性が低い」「設計が甘い」からではなく、「まだ一緒にいたい」という人間関係の美意識。
☑️遅刻に厳しい理由は、「ルール違反が嫌われる」からではなく、「信頼を大事にする文化の表れ」。
これらは、事実として証明された理由というより、「そうであってほしい」という願いを込めた意味づけではないでしょうか。
✅事実・解釈・願望を切り分けてみる
ここで一度、あのSNS投稿を、構成要素ごとに整理してみます。
1|事実
多くの人が体感している現実です。
☑️日本の職場では、会議が予定時刻を過ぎて延びることが多い
☑️遅刻には、厳しい空気が生まれやすい
2|解釈
文化や慣習から導かれる理解です。
☑️会議が延びるのは、「空気を壊したくない」「調整役が不在」といった理由
☑️遅刻が責められるのは、「規範から外れた行為」と受け取られやすいため
3|願望・意味づけ
証明はできない、主観的な価値判断です。
☑️「まだ一緒にいたいから」
☑️「信頼を大事にしているから」
SNSの「いい話」に感動するとき、私たちはつい、事実や解釈を飛び越えて、この「願望」の段階で思考を止めてしまうことがあります。
✅きれいな物語が、見えなくしてしまうもの
こうした物語の怖さは、問題の根っこを「美談」というラッピングで包んでしまうところにあります。
☑️会議が長引く
→ 業務設計の問題や経営上の課題が見えなくなる
→ 「熱意があるから」という言葉で、非効率や無駄な残業が正当化される
☑️遅刻が責められる
→ 個別事情やインクルージョンの視点が後回しになる
→ 介護や持病など、やむを得ない事情を抱える人が「信頼を壊した人」として静かに処理されてしまう
「いい話」に回収された瞬間、本来、考えるべき構造や不合理は、静かに見えなくなってしまいます。
✅感動したまま、考えることもできる
SNSの投稿に共感すること自体は、悪いことではありません。個人の話は尊く、感情が動くのは人として自然なことです。
ただ、「いい話だな」で思考を終わらせず、構造的な問題を、構造的な問題として捉え直すことも、同じくらい大切なのだと思います。
きれいな言葉や、胸を打つエピソードほど、一度、裏返して眺めてみる。「それは、誰にとって都合のいい理由づけだろうか?」
そう問いを立ててみることが、誰かを本当に尊重し、社会の不合理を少しずつ正していく一歩になるのかもしれません。
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