Mother'sDayに想う
おはようございます。
一昨日は母の日でしたね。
昨日、一日遅れで、実家の母のところに、
日頃の感謝の気持ちを込めて、お花を持って行きました。
実家は会社もしていて、応接場に植物をたくさん育てています。
母は、しっかりと土から生えている花が好きで、毎年、お花を贈っております。
ぼくの兄貴たちも、同様にいつも花を贈ってくるものだから、かぶりのないように・・・(笑)
ピンクの鮮やかなカーネーションなどは、既にあるだろうと見越して、冒頭の写真の、珍しい緑色のアジサイにしてみました。
いつも、ぼくの動向を目にかけてくれていて、
また、孫たちの成長や奮闘を見守ってくれています。
時には、良き相談相手になってくれて、感謝するばかりです。
3月に行った、全国表彰を受賞したお祝いパーティーにも、母は来てくれて、色んな人と交流したそうです。
この親にしてこの子あり。
どちらも、誇れる存在でありたいと思いますし、ぼくも一層励んでいきたいと思っています。
また、我が家でも、ささやかながら、小さな花を買って飾っています。
また、ぼくと妻が夕飯の買い物に行っている間に、二人の娘が、オリジナルの可愛い手紙を書いてくれていました。
女の子たちは、こういうところがとっても可愛いです。
息子たちは、日が暮れても、帰ってもきません(笑)
世界の大谷選手なども、母の日で発信されていて、
世界・全人類に共通の『母』という存在について想います。
今年度も、男女共同参画にかかる講座・講演を多くいただいております。
毎年、各区で重点的に推進されている、とても大切な場なのですが、
こんなぼくに、どんどん依頼が増えてきております。
男女共同参画なんて、専門家ではないのですが、
ぼくなりの目線でお話をさせていただいたり、問いにしてみたりして、その噂のもと、依頼が増えていて嬉しいです。
ぼくは、男尊女卑的な雰囲気の強い時代・社会に育ってきましたし、
中学校は男子校、高校も大学も圧倒的に男子多数の世界。
そして、就職したら筋肉隆々の体育会系「漢」ばかりの職場です汗
だけど、いや、そのせいか?(笑)
ぼくは本質的に女子的な部分も多いかも?(笑)
ジェンダー規範の話題などは、とても興味のあるものです。
性や男女共同参画のことを、こんなところで書くと、言葉足らずや、受取り方の違いで、叩かれたりするんですが、
百も承知で少しだけ書いてみます。
男女平等が進むなかで、
機会の平等だとか、家族感だとか、いろいろと難しい話題が多くなってきました。
ひとつ、まず最初に抑えておかなければならないのが、
「男だから」「女だから」と
2つに分けた性別だけで、その人を語らないことです。
いまや中学生の女子は、多くの子がズボンの制服をはいています。
ウチの子ども達は、上の2人は男の子で、下の2人が女の子です。
夫婦そろって、性別的には半分ずつの勢力図です(笑)
男の子たちも小学校からバスケをやってきました。
入れ替わって、女の子たちも、いまバスケをやっています。
スポーツの世界では、男子・女子と明確に分けて実施されていますよね。
(もちろん、一緒のやつもありますが)
身体の成長とともに、男女の差が著しくなるというのもありますが、
チビッ子たちのバスケを、男子も女子も見ていると、全然違いますね。
(全員を同じと括るわけではありませんが)
男子は、とにかく勝ちたい。
低学年で下手な子にも、とにかくマウントをとってでも勝ちたい(笑)
とにかく、競争が好きで、自分が優位に立てることを目指します。
一方、女子は、小さな子に優しいです。
男子のようなことはしません(笑)
弟や妹などの、さらにチビッ子が遊びに来たときには、寄ってたかって、あやしております。
特に年齢差があっても和を大切にすることが伝わります。
女の子はスゴイなぁと思います。
本能的に母性があるのでしょうか。
お人形遊びをするのも女の子が多いですよね。
(繰り返しますが、全員がそうということを言っているわけではありません)
男女の役割が言われます。
家事・育児にも男性の参画を、と言われます。
(男性の参画を、とか言っている時点でダメなのですが。)
男性が、どれだけ家事・育児をしたとしても、やはり『母』にはなれないんです。
気持ちや精神的な「母」の位置づけがどうかは別として、
『母』にはなれないんです。
極論での、母親は必要で、父親は不要とか、親権は母親にあるべきだ、なんていう話でもなく、
でもでも、男はどうやったって母にはなれないんです。
このMother’s Dayに、改めてそんなことを想うわけです。
そして、さらにさらに思うことは、
これまでも、そしてさらにこれからの社会において、少子化が進みます。
不思議な話ですが、
少子化のなかで育った子ども達が、「親になりたくない」と言います。
自分がいま、この場に生きていて、「〜したくない」と思っていたとしても、それは、生まれているから、そんな思考や感情があるわけで、
もはや、自分を否定する、自分の人生を否定するひとつになってしまっているのかもしれません。
たしかに、親になれば大変です。
良いことばかりではありません。
自分が生まれてきたように、次の世代へ命を繋いでいく。
とても尊いことですが、ある意味、単純なことでもあります。
いろんな便利なものに溢れ、
いろんな楽しみや快楽があり、
多くの選択肢や、希望、したいことを並べられる世の中です。
人間が、本能的に「子どもが産みたい!」なんて感情が溢れ出ることはなかなかないでしょう。
さらには、自分から選択して「子どもを産みたい!」というのも、難しい世の中なのかもしれません。
母の日に想うこと。
誰しもが、母がいて、自分がある。
その存在に感謝するとともに、
次のバトンを同じように渡していくと、
新たな命に、新たな人生や幸せが宿っていきます。
次の世代の子ども達が、
自分も次のバトンを繋いでいきたいって思えるように、
今日も子育てを楽しんでいきたいと思います。
子ども達はそんな親の姿を見ているんだろうと思います。
みんな、家族を養いながら頑張っています。
社会のなかでも、そうした目線をもっていたいと思います。
今日もご覧いただきありがとうございます。
貴重な時間のなか、この記事をご覧くださってありがとうございます。
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