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【人間関係】【Netflix感想】Boyfriend2を観て。誰かと一緒にいることについて。

「人と人が関わるとはどういうことか」
Netflix『ボーイフレンド(シーズン2)』を
観ながら、そんな問いをずっと考えていた。
恋愛リアリティ番組が
自分自身のことを考えるきっかけになった。

『ボーイフレンド』は恋愛の成否以上に、
関係性のプロセスそのものを映し出す番組
だった。
境界線、価値観の違い、
言葉にすることの難しさ。
どれも、恋愛という枠を超えて、
あらゆる人間関係に通じる問いだった。

出演者たちはそれぞれ、
傷や恐れを抱えながらも、
誰かと関わろうとしていた。

その姿が心に響くのは
恋愛に限らず
職場でも、家族でも、友人関係でも、
誰もが似たような場面に
立ったことがあるからだと思う。

***

第7話で、過去のトラウマから
人を信じることが難しくなっていた
ウィリアムさんに対して、イザヤさんが
こう言った。

「ネガティブな感情になったとしても
1人で考えて悩んで答えを出すんじゃなくて
俺も一緒に考えて悩みたいし
解決していきたいから
そういうことがもし今度あったら
すぐに相談して欲しい。
それがさパートナーだと俺は思うから」

私はこの番組を観る少し前から、「境界線」に
ついて考えていた。
自分と他者の間に線を引くこと、
相手の問題を抱え込まないこと
それ自体は大切なことだと思っていた。

でもこの言葉を聞いて、
少し立ち止まるきっかけになった。
境界線と「一緒に悩む」は
一見矛盾するように見える。
でも、レイヤーが違う話なのだと思う。

境界線とは、自分と相手を区別すること。
相手の感情も、問題も、人生も、相手のものだ。
それを全部引き受けようとしたり、
代わりに解決しようとしたりしなくていい。
境界線がないと、
相手の感情に飲み込まれて自分が消耗するか、
逆に相手の自律性を奪うことになってしまう。

一方、「一緒に悩む」は隣にいること。
問題を肩代わりするのではなく
「あなたが悩んでいる間、私もここにいる」
という姿勢だ。
解決してあげることではなく、
孤独にさせないこと。

イメージとしては、こんな感じだと思う。
相手が川を渡ろうとしている。
境界線のない人は、
代わりに渡ってあげようとするか、
一緒に溺れる。

境界線のある人は岸から「頑張れ」と
声をかけるだけ。
「一緒に悩む」というのは
岸で見守りながら、しんどそうなら
「どうした?」と声をかけ、
必要なら手を差し伸べる。
でも渡るのは、あくまで相手自身だ。
境界線は冷たさではなく、
お互いを尊重するためのもの。

「一緒に悩む」は巻き込まれることではなく、
孤独にしないという意志。
この二つは矛盾しない。
むしろ、境界線があるからこそ、
長く隣にいられるのだと思う。

***

第8話では、愛とは何かという話になったとき、フーウェイさんが「愛とは個別的な物語のメタファーだと思う」と言っていた。

愛っていうものによって正当化されるものって世界中あちこちにあって

でも愛っていう言葉に対して
誰も批判できないっていうのは
それぞれの中に その愛があって

それは日常生活であったり
母からの愛でもあったり

あるいは今まで育った
自分自身に対してもそうだし

でもその中で
愛と愛がぶつかり合うことで
争いが起きてる。

だから 自分がうれしい悲しいって思うもののすべての中に
愛が含まれているっていうふうに
僕は感じる。

この言葉には
もう一つの怖さも含まれていると思った。
愛が免罪符になってしまうことがある。
過干渉も、束縛も、支配も、「愛しているから」
という言葉のもとに正当化されてしまうことが
ある。
職場でも家族でも、正義と正義がぶつかるとき、その正義はたいてい、
誰かにとっての「愛」や「善意」から来ている。
だからこそ、批判が難しく、
すれ違いが起きる。

それを「どちらかが間違っている」と
片付けるのではなく、
それぞれの中に固有の物語があると知ること。
そこから始まるコミュニケーションが
本当の意味での「違いを前提にした関わり方
なのだと思う。

***

第9話では、途中参加で「馴染めない」
と悩むトモアキさんに、リュウキさんが
こう声をかけていた。

「自分も(途中参加で)来た時すでに
出来上がってるからさ。
なんか誰も自分のことを考えてくれてないな
って勝手に思っちゃった時もあったし。

普通 。そうなってるのが。
だから 1人とは思わないで

転職や異動のときに感じた心細さが
実は多くの人に共通するものだと知ると
少しだけ楽になる気がした。
誰も自分のことを考えてくれていないと、
勝手に思い込んでしまう瞬間。
あれは弱さではなく、
人と繋がりたいという気持ちの裏返し
だったのかもしれない。

同じ第9話で、テホンさんは
トモアキさんの変化に気づいてこう言った。

前までは人に話さなかった
トモアキだからこそ
これ(=人に話せてること)も
成長できてるところじゃない?
それだけでも
ここに来てる意味があるんじゃないかな。

「いい・良くない」の
そういう考え方じゃないと思う。
みんなそれぞれのスタイルがあるから。

ぶつかり合いながら勉強になることも多いし。
でもそういうふうに吐き出したら
ちょっと気持ちが楽になるとしたら
自分いつでも聞きます。

物事を「良い・悪い」でジャッジするのではなく、
その人なり/自分なりの変化、成長を
キャッチしていくマインドを大事にしたい
と思った。

***

この番組を通じて、
あらためて思ったことがある。
自分の当たり前は
相手の当たり前とは限らない。

そして、違いを「怖い」と感じるとき、
人はそれを攻撃か、無視か、カテゴライズに
よって処理しようとする。
でも人は、カテゴリーだけでは語れない。
私は私でしかないし、相手も同じだ。

だからこそ、「違いがある前提」で関わること。
それが他者と関わり
自分を、相手を尊重することの
出発点なのだと思う。

痛みを「痛い」と言える人がいること。
同じ痛みを自分のことのように
受け止めてくれる人がいること。
そういう関係の中で、無理をせず、
でも一人でもなくいられること。

それが、誰かと一緒にいるということなのだと、この番組は教えてくれた気がする。

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