遺跡をゆく(竹内街道を歩く;古市古墳群、野中寺、翠鳥園遺跡) 25007
竹内街道(3)
3日目は、近鉄の藤井寺駅からスタートして午前中は古市古墳群を中心に歩き回り、午後は竹内街道を駒ヶ谷駅まで歩く予定でしたが、昼過ぎから雨が降り出したため、計画を一部変更して対応しました。合計9km程度の行程。
大阪阿部野橋から藤井寺へ。
駅前からすぐに辛国<からくに>神社、葛井<ふじい>寺と、興味深い社寺が続きますが、限られた時間、そして雨天になるとの予報があるので、それぞれ境内に足を踏み入れた程度で失礼し、住宅地の中にある鉢塚古墳を経由して仲哀天皇陵へ。
仲哀天皇陵の東側にはアイセルシュラホールがあります。舟形埴輪を参考にしてデザインされた建物は巨大で、ランドマークになっています。訪ねた日が休館日(月曜日)だったので、2階にある歴史展示コーナーを見られなかったのが残念。しかし、敷地内にある藤の森古墳の横穴式石室はしっかり撮影しておきました。

仲哀天皇陵から南に進み、野中<やちゅう>寺へ。
野中寺は聖徳太子の命により蘇我馬子が建立したと伝えられています。境内には金堂跡や塔跡の礎石があり、寺から1km離れたヒチンジョ池西古墳の石棺も展示されています。そして墓地には歌舞伎や人形浄瑠璃で有名なお染・久松の墓もあります。

野中寺の南で竹内街道に出て、仁賢天皇陵に向かいます。
途中に少し盛り上がった土地があり、金網で囲まれて「立入禁止 宮内庁」と記されています。傍の説明板によると野々上埴輪窯跡群で、仁賢天皇陵に供給する埴輪を焼成していたとのこと。
仁賢天皇陵を見て、また南に向かい、峰ヶ塚古墳、白鳥陵古墳と巡って反転、北に向かいます。
広い道を渡ったところにスーパーがあり、イートインコーナーもあったので、そこで昼食。雨が降りそうになってきたので、昼食をさっさと終えて、翠鳥園遺跡公園へ。
大きな石のオブジェのようなものは見えますがハコ物ではないので、ここが本当に二上山のサヌカイトの加工遺跡なのだろうか?といぶかりながら公園内への階段を上ろうとすると、左手の門に「翠鳥園遺跡公園」というプレートがあり、その下に「石器人のアトリエ」という文字。
階段を上ってわかったのですが、ここは野外展示のみで、そこかしこに発掘時の様子が再現され、丁寧な説明書きが添えられています。

時代の感覚を戻しながら、青山、浄元寺山、墓山、向墓山古墳と巡る間に、雨が降り始めました。
何とか羽曳野市文化財展示室に到着し、入口のところに設置された受話器をとって連絡すると、雨の中、担当の方がやってきて鍵を開けて中に入れてくださいました。
やや雑然としているが、手作り感に富んだ展示で見ごたえがあり、じっくり拝見させていただきました。

雨は降り続けているので、いったん羽曳野市役所に立ち寄り、1日目から巡ってきた古墳や施設のもずふるカードをいただきました。
庁舎のロビーで缶コーヒーを飲みながら計画を見直し、東の駒ヶ谷駅には向かわずに、まずこの地域の応神天皇陵だけはおさえておくことにしました。
道すがら蟻山、東山古墳を確認して応神天皇陵に到着。
ところが広い応神天皇陵を見て回っていると、雨が小降りになってきましたので、陪塚だけでなく、北方に連なる古室山古墳、仲姫命陵、允恭天皇陵にまで足を延ばし、土師ノ里駅から古市駅へ引き返しました。そして駅近くの観光案内所で羽曳野市文化財展示室以降のもずふるカードをいただきました。市役所でいただいた30枚と合わせて40枚になりました。

駆け足で回った午後の古墳の中には、西名阪自動車道の高架下にある赤面山<せきめんやま>古墳、本当に鍋を伏せたような鍋塚古墳、道路際でダメージが大きい唐櫃山<からとやま>古墳などがあり、個性豊かな古墳たちに巡り会えたのでした。

古市駅から大阪阿部野橋駅へ戻り、いよいよ明日は最終日。聖徳太子ゆかりの地を巡った後、竹内峠を越えて奈良県に入ります。
