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遺跡をゆく(諏訪界隈:尖石遺跡) 25022

諏訪界隈(1):尖石遺跡(尖石縄文考古館)

2体の国宝土偶を擁する尖石縄文考古館は、それだけでも十分魅力的な考古博物館ですが、住民あげての学習活動を喚起した象徴であることにも感銘を受けます。

新宿駅を10時ちょうど発のあずさ13号に乗り、茅野<ちの>駅に着いたのが12時06分。茅野駅を12時20分発のバスにうまく接続できて茅野市尖石縄文考古館へ。乗車時間は約20分です。

この施設は平成12年にリニューアルオープンした縄文時代に特化した博物館で、「縄文のビーナス」と「仮面のビーナス」という2体の国宝土偶の他、この地域で発掘された縄文土器や黒曜石の石器などが展示されていて見ごたえ十分です。

2体の国宝土偶がワンショットで

加えて、館内には学習コーナーがあり、資料の閲覧はもちろん、体験学習やワークショップ活動が行えるようになっています。最近ではこうした設備や取り組みはよく見かけられるようになっていますが、茅野市では「市民総学芸員化」(令和5年2月の千葉市遺跡発表会における同館の講演資料より)をめざした活動と相まったものとなっているようです。

館内には出土品の展示コーナーや資料室、セミナールームなどが

これはひとえにこの地域の発掘研究に取り組んできた宮坂英弌<ふさかず>氏の情熱のなすところといえるでしょう。宮坂氏は在野の研究者ですが、縄文時代の集落研究に大きな影響を与えるとともに、生徒や青年団による市民参加型の遺跡発掘を行い、また、自宅を改造して展示施設を作り、遺跡の重要さと調査研究への理解を求める活動を行いました。

さて、せっかく尖石遺跡の現地に来たのですが、交通の便がいまひとつ悪く(バスは1日に3便で、復路は13時42分発を逃すと最終便となる16時20分発)、滞在時間はわずかに1時間になってしまい、残念ながら館の裏手にある尖石遺跡、与助尾根遺跡を踏査することができずじまいになってしまいました。

考古館(中央の黒っぽい建物)の背後に尖石遺跡と与助尾根遺跡が。
時間的な余裕を確保するならばクルマで

 茅野駅に戻って蕎麦を食べた後、まだ14時30分くらいなので、茅野の街中を散策することにしました。諏訪と言えば御柱祭ということで、とりあえず木落し公園を目指すことにしました。
駅から南に進み、上川<かみがわ>橋を渡る際には八ヶ岳が見えます。

上川橋の上から東側を望む

あの山麓に縄文遺跡が広がっているんだなぁと思いつつ橋を渡り切り、御柱街道を通って木落し公園に着きますと、諏訪平が一望できます。

7年に一度の木落しの舞台となる平均斜度が27度の急坂の上

諏訪湖という水資源はあるが、どうしてこの地域に縄文人がやってきたのか。黒曜石の産地である和田峠は標高1,531m。中山道でも難所の一つです。
信州産、なかんずく和田峠や星ヶ塔の黒曜石は高品質で、広く各地に分布するブランド品ですが、流通経路はいつ確立したのか?取引交渉や取引条件はどんなものだったのか?縄文人の行動に想いを馳せつつ公園を後にします。

星ヶ塔遺跡の黒曜石の採掘坑のレプリカ(下諏訪の星ヶ塔ミュージアム)

公園から少し南に歩いたところで跨線橋を渡り、古い商店街へ。寒天蔵が点在する「くらの小径」をぶらぶら歩いて上川橋に戻ってきました。

岡谷の繭蔵が移築されて寒天蔵に。板蔵4階建て

茅野駅に戻る前に、街の散策を始めたときから気になっていた「天香館」に入ってみました。
ここは生涯鏝<こて>絵の製作・研究に励んできた左官小川善弥(天香)氏の自宅の展示館です。
鏝絵は時々伝統的な和式の民家で見かけますが、この天香氏は若い頃から鏝絵に魅せられ、名人と言われた伊豆の長八(入江長八)の高弟に師事したそうです。思わぬ日本の伝統芸術に触れることができました。

これも鏝絵か。土蔵の妻の部分に火災や水難よけ、縁起物の図柄が

茅野駅から中央本線で下諏訪駅に移動してホテルにチェックイン。
翌日は諏訪大社4か所を回ります。次回は諏訪神社とこの地域にある遺跡を歩き回ったことを紹介したいと思います。

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