#6 安全とは何か?レジリエント・ヘルスケアとWAI/WADが示す本質
この記事は、ポッドキャスト「医療DX通信」第6回の書き起こし記事です。音声を聴く時間が取れない方や、資料として残しておきたい方はぜひご活用ください。
この番組は、医療介護領域にて「医療DXの土台をつくる」をミッションとして掲げる ispec(アイスペック) が配信しています。医療安全、医療インフラ、電子カルテといった領域で、医療DXの推進に取り組んでいます。
番組では、医療DXの最前線でキャッチした最新のニュースや政策動向をお届けします。パーソナリティーは、ispec CEOの谷村がつとめます。
オープニング
ゲスト紹介
谷村:
本日は、医療現場でご活躍のKさんをゲストにお迎えしております!Kさんとは7月に仙台で開催された医療マネジメント学会でお会いしました。その際、弊社が取り組んでいる医療安全領域について様々なご相談をさせていただいたり、お話を伺わせていただいたり、非常に興味深いお話を伺うことができまして。 ぜひ、Podcastでお話ししてください〜とお声がけさせていただきまして、今回ご出演をいただく運びになりました。
Kさん:
よろしくお願いします!Kさんでーす。
谷村:
(笑)。今回は、Kさんとお話しする中で挙がった「WAI / WAD(ワイワド)」という概念についてお話をうかがいたいな〜と依頼をさせていただいています。
まず、Kさんのお立場もご紹介いただきつつ、今回のテーマについてご説明いただけますか?
Kさん:
はい。私は、とある医療現場で働く医療従事者で、安全部門でも活動しています。研究者ではないので、医療安全について論文を書いたりとかはしていないのですが、医療の実践者としての立場で、日々の業務で直面する課題の中で、「WAI / WAD」というキーワードに出会いました。これが、困ったときに立ち戻る言葉となっています。
医療安全の現場から考える「WAI/WAD」の概念
Kさん:
「WAI / WAD(ワイワド)」は、「WAI」と「WAD」という2つの言葉を指します。
WAI(Work-As-Imagined)
想像された仕事、頭の中で描かれる「こうあるべき仕事像」のこと
人や立場によってイメージは異なる
例:他部署の人や管理者がイメージする「看護師の仕事」
WAD(Work-As-Done)
「実際に現場で行われている仕事」のこと
実際の動作や感覚、状況に応じたアレンジが含まれる
例:マニュアルに「注射は右手で持つ」と書かれていても、左利きの人は左手で持つ
このWAIとWADの間にはギャップがあり、このギャップが、医療安全においてなぜ重要視されます。このWAI / WADについて語る前に「レジリエント・ヘルスケア」についてもご説明しますね。
複雑化する医療と「レジリエント・ヘルスケア」の登場
Kさん:
医療の複雑性に対応するための「レジリエンス(回復力・適応力)」の考え方を取り入れた安全管理の枠組みとして「レジリエント・ヘルスケア(Resilient Healthcare: RHC)」があります。
谷村:
また何か、難しそうな言葉が出てきましたね。(笑)
Kさん:
そうなんです…(笑) 今日の話の前提として必要な概念でして。
現代医療は、近年ますます複雑化しています。たとえば、薬ひとつを取っても、製造過程は多くの工程や企業に分かれていて、ラベルはあるメーカー、瓶は別のメーカー、中身の薬はまた別のメーカーが作り、それらを組み合わせて出荷する…みたいな。こうした分業は効率化を目的に進められてきましたが、結果的に全体の構造はより複雑になっています。この傾向は自動車産業でも同じです。トヨタの工場で最終的な組み立ては行っていても、多くの部品は下町の町工場など、別の場所で製造されています。
本当に効率的になっているのか、それとも新たな課題を生んでいるのか…現状は模索の段階にあります。
それは医療も同じなんですよね。その上「人」を相手にしていて、予期せぬことが日々起こります。そのため、「ルールをおりゃ!と作ればすべてがうまくいく」という考え方は崩れつつあり、いかに対処していくかという概念の1つとしてレジリエント・ヘルスケアがあったりします。
「レジリエントヘルスケア」や「レジリエンス」という言葉の解説を前に、これまでの安全管理の基本的な考え方として存在してきた「Safety-I(セーフティ・ワン)」についてもお話ししますね。
「Safety-I」から「Safety-II」へ…安全管理のパラダイム転換
Kさん:
こうした中で、これまでの安全管理の基本的な考え方として存在してきたのが「Safety-I(セーフティ・ワン)」です。
Safety-I(セーフティ・ワン)
事後対応型のアプローチで、事故や失敗が起きた際に、その原因を特定し、再発防止策を講じることを重視します。
・前提となる考え方
「失敗には必ず原因がある」「原因を取り除けば失敗はなくなる」という前提に基づく考え方
・モデルの特徴
リニアモデル(Linear Model)とも呼ばれ、原因から結果への流れを直線的に捉える
システム開発で例えるなら、ウォーターフォール型の開発手法のように、順番に段階を踏んで進むスタイルに近い考え方ですね!
谷村:
あ〜…!自分はすごいしっくりきます。
順序立てて最終決定を行って、細部の詳細設計やデザインを進めて、その後に開発して、テストを繰り返す…みたいな進め方ですね。こっちの順序立てた流れの方が望ましいケースもありますよね。
Kさん:
そうなんですよね!順序立てた進め方が有効な場合もあります。ただ、それだけでは対応しきれない現実が開発の現場にもあるように、医療安全の現場にもあり、「Safety-I」だけでは限界があると考えられるようになります。
新たに注目され始めたのが「Safety-II(セーフティ・ツー)」です。この概念は以前から存在していますが、実践レベルではまだ十分に普及していないのが現状です。
Safety-II(セーフティ・ツー)
Safety-IIは、Safety-Iのように事故や問題が起きてから原因を特定し対処する事後対応型ではなく、プロアクティブな事前対応型のアプローチです。
・前提となる考え方
「物事がうまくいくためには何が必要か」成功や良い結果を生み出す要因に注目する考え方
・モデルの特徴
現場の柔軟性や適応力を重視し、失敗防止ではなく「成功を増やす」視点
つまり、失敗や発生した問題に対応するのではなく、「物事がうまくいくためには何が必要か」を事前に考え、環境や仕組みを整えることを重視します。開発であればアジャイル型の開発イメージですね。
谷村:
これらのアプローチを両方扱っていこう!という感じなんですか?
Kさん:
そうですね。両方扱うというイメージがかなり近くて、複雑なルールじゃ補いきれないところが当然出てきますよね…という。
現場では、目の前で患者さんが困っている状況に直面したとき、新たなルールをつくっている余裕はありません。「今はこうするべきだ!」と即断して動くことが多くあります。こうした判断がうまくいく場合も多い一方で、当然ながらうまくいかないケースもあります。
そうした失敗を防ぐにはどうするか…ルールをさらに細かく定めればよいのかというと、必ずしもそうではありません。そこには「線形モデル」と「複雑系モデル」の違いがあり、現実は思い通りに進まない状況が多く存在します。
Safety-IIの考え方は、まさにこの「思い通りにいかない」複雑な現場で、どうやって物事をうまく進めるかに焦点を当てています。ルールの細分化ではなく、現場の適応力や柔軟性を活かすアプローチですね。
谷村:
Safety-IIは、「より複雑なものをあえて複雑なまま扱う」という考え方が特徴ですかね。
Kさん:
そうですね。理論的には非常に有効ですが、現場で実践するのは難しい面もあります。というのも、ビジネスの基本は「切り分けて単純化する」ことにあるため、この発想自体が理解されづらかったりもしますよね。
谷村:
システム開発で例えるなら、Safety-Iがウォーターフォール型に近いのに対し、Safety-IIはアジャイル開発に似ているね、ってお話しでしたが、これもグラデーションになることもありますよね。
状況によっては、ユーザーからのフィードバックを受けて短いサイクルで改善を繰り返すほうが適していることもありますけど、そのサイクルが3日なのか2週間なのかによって、場合によってはウォーターフォール的な要素も取り入れることにもなりますし。
Kさん:
そうですよね。中には「アジャイルなんてくそだ」…みたいな意見も見かけたりしますけど、それは本質を誤解している場合もありますよね。たとえば、即断即決し、数秒で行動に移すべき場面もあれば、立ち止まって一つひとつ確認しながら進めるべき場面もあって、実際には状況によって使い分けが必要です。
そこはグラデーションがあるもので、私自身は実践者として、「選べる武器が増えた」と捉えるようにしていますね。
「安全」とは何か? 定義と現場での解釈
Kさん:
さて…今日は「医療安全」をテーマにお話をしてはいるんですけど…。そもそも「安全」ってなんなんなんでしょうね…。
谷村さんに聞いてみたいのですが「安全」って…なんなんですかね?
谷村:
お〜いいですね〜、哲学的な問い。(笑) 安全って何か…難しい。医療に限らず考えて行くと…。
個人的な意見ですが、「安全」の基本には、まず本人がやりたいことや、自分らしい生活ができるという前提があると思うんです。そのうえで、「可能な限りリスクに対応できる体制を整えていくこと」が大切です。
極端な例を挙げると、身体拘束を行えば転倒のリスクはほぼ100%防げます。でも、それは許されることではないですよね。
安全とは、行動を完全に縛ることではなく、「可能な限りリスクを減らしつつ、それでも残るリスクにどう対応するか」という考え方だと思います。
Kさん:
お〜…。すごい…。やっぱり経営者だなって思いますね。トップに立ってる方の視点!目的を達成するためにリスクを最小化するという考え方ですね。
一応、標準的な定義を確認するために、Wikipediaを見てみますと「許容できないリスクがないこと」とされています。
谷村:
お〜…短文で表現されたいい定義ですね〜!(笑)
Kさん:
そうですね。(笑)
それから、一つ補足として記載されているのが「危険をゼロにする(絶対安全)」という定義です。もっとも、危険という言葉には「許容できないリスク」という意味合いが含まれており、この解釈は相対的なものです。
谷村:
危険をゼロにすること…それを絶対安全っていうんですね。
Kさん:
そうなんです。こうしたリスクや危険の概念を踏まえると、医療の現場では、「トレーサビリティ(追跡可能性)」を高めることが重要だと私は考えています。
たとえば、有機栽培の野菜には、QRコードを読み取ると生産者や栽培方法が分かる仕組みがありますよね。「どこの土地で、無農薬で、どのように育てられたのか」が確認できて、場合によってはYouTubeで栽培の様子まで見られたり!
一方で、医療分野では「どこの工場で作られたものなのか」が分からないケースが多く、それが特にリスクとは認識されていない現状があります。誰も不思議に思わないかもしれませんが、もし「有機栽培」と書かれた野菜にQRコードなどの裏付け情報がなかったら、本当に有機栽培なのかちょっと不安になる人もいると思うんです。
社会の水準や環境が変化すれば、「根拠のない表示は許されない」という意識も高まっていきます。医療においても、今後は「自分の体に入るものが何なのか」を気にする人が増えると考えられます。
谷村:
あ〜…割と保険適応の診療で使われるものについては、ある程度厳密かもってイメージはありますね。 一方で自由診療側で使われるもの…例えば豊胸に用いられる素材などは、後からリスクや副作用が問題になるケースがちょこちょこある認識で。そうした領域では、規制による担保だけでなく、市場や利用者との信頼関係を別の形で築く必要があるのかなって確かに思いますね。
ただ…正直「こういう思いや工程で作っています」と説明されても理解しづらいかも…わかってもらえるのかな?って気はしちゃいますけどね。
Kさん:
「開示しようとしている企業を評価する」という方向に社会が進んでいるとは思いますね。開示しようとする姿勢そのものが重要視される流れです。医療分野でも同様に、「出所不明の材料は使うべきではない」という意識が高まりつつあって、将来的には安全面でも同じような要求が出てくるんじゃないかと。「どこから来たか不明な材料を使用しないように」みたいな。
そうなった場合、現在の体制では対応が難しいのが現状です。安全という概念は相対的であり、単に「絶対安全=事故ゼロ」を目指すだけでは不十分です。実際、今もなお「事故が一切ない状態こそが素晴らしい」と考える人が病院内にいますが、それだけでは本質的な安全確保にはつながらないのかな…と考えています。
こうした背景を踏まえて、ここまで「レジリエント・ヘルスケア」や「Safety-Ⅰ」「Safety-II」の考え方、そして「そもそも安全とは何か」についてお話ししました。
その中でも重要なのは、「安全とは事故ゼロではない」という点です。
今回ご紹介した内容はGeminiのDeepResearchで作成したものなので、一部に不正確な点があるかもしれません。皆さんにもぜひ改めて調べてみていただければと思います。
谷村:
言い換えれば、「許容できるリスク」は存在してもよい、ということですかね。先話したWikipediaに掲載されていた「言葉の定義」でしかないのかもしれないですが。
リスクという言葉はさまざまな要素を含みますが、影響度と確率が主要な要因ですよね。例えば、「死亡につながるような重大な危険」がある場合、その確率が低くても減らす努力をすべき。ただ、死亡リスクそのものは誰もが抱えているものであり、一生入院していてれば1度起こる可能性の確率であれば、許容するという考え方も成り立つかもしれません。
同様に、転倒しても「怪我をしない程度の事象」であれば、許容しても良いケースがあります。重要なのは、「どこまでを許容可能なリスクとするか」という線引きで、これらすべてゼロにしようとするのは現実的ではなく、無謀な目標になりかねないなと。
Kさん:
そうですね。失敗から学ぶことも大切ですが、失敗する前に学ぶ姿勢も重要です。やや「心構え」のような話にはなりますが、そうした意識が大事だと思います。
「レジリエンス」とは ― 材料科学から医療現場へ広がった概念
Kさん:
レジリエンスという言葉についてもお話しします。これは先ほどのSafety-I、Safety-II、さらにはWAI / WADの議論にもつながります。
「レジリエンス」 ※Geminiによるまとめより
もともとは材料科学の分野で使用していた言葉。意味は「弾性」や「復元力」。
・身近な例
中学・高校の理科で学ぶ「金属を曲げたり押したりしたときに元に戻るか」…といった実験。針金を曲げても少し戻る性質=弾性と呼ぶ。
・歴史的な確立
1856年:「弾性率」として工学的に確立
・応用概念
1970年代初頭:C.S.ホリングが「生態系のレジリエンス」という概念を提唱
谷村:
なるほど。生態系ということは、生物個体ではなく「種」としての視点ですかね。例えば環境変化があったときに、その種が元に戻り、個体数が再び増えるかどうか、そういう話という理解でよいですか?
Kさん:
おそらくその理解で良いと思います。ただ、生態系という言葉は少し難しいですね…。人間も細胞の集まりであり、傷が治ることなども一種の「回復」と言えるかもしれません。生態系とはスケールが違いますが、「小さな単位の集合体」として共通点があると思います。細かい違いはさておき、生物や生体においてもレジリエンスの考え方は応用できる、ということですね。
その後、レジリエンスという言葉は徐々に定着していって、1970年代には心理学の分野で使われ始めいまして。子どものストレス耐性やトラウマからの回復などを表す概念として広まりまし2000年代後半には臨床心理の領域でも注目されるようになり、さらに21世紀初頭にはビジネスの分野でも戦略や組織モデルを語る際に使われるようになりました。
こうしてさまざまな分野でレジリエンスのイメージが固まってきたわけですが、もともとの「外部からの圧力に耐える力」という意味合いから、次第に「変化に適応する力」「状態変化の中で進化する力」といったニュアンスへと概念が広がってきた、とまとめられています。
谷村:
確かに、最初は物理的な現象に対して強く使われていた印象でしたが、心理学やビジネスの分野に広がるにつれて、その性質はより曖昧でファジーになり、概念としても幅広く捉えられるようになってきたと感じます。
Kさん:
そうですね。とはいえ、適応していく中にも「コアとなる部分」があって、そこから大きくはぶれない…それがレジリエンスの概念なのだと思います。
谷村:
なるほど。単なる変化への適応ではなく、一定の状態を基盤にしつつ、外部からの圧力や環境変化を受けても、そこに戻ってくる力…そういう意味合いが強いんですね。
Kさん:
そうですね。まったく動かないわけではないけれど、「元に戻る力」というイメージは強いかなと思います。
実際にPubMedで「resilience」と検索してみたんですけど、1970年代は(電子化されていないという背景もあるかもしれませんが)10年間で124本ほどしか論文がありませんでした。それが1991〜2000年には1,077本、2001〜2010年には5,137本。そして2021〜2025年のわずか4年半で6万444本も出ているんです。
谷村:
ええ?! 爆発的に増えてますね!(笑)
Kさん:
そうなんです。(笑)まあ、簡単に言うと「今バズっている」んです。論文の投稿数自体も増えていますが、それ以上の勢いで広がっている印象です。
そんなレジリエンスを応用したのが「レジリエント・ヘルスケア」です。
谷村:
ヘルスケアの文脈に持ち込んだのですね。
「医療安全」の文脈だと、診療行為そのものだけではなく、組織や現場全体を含む広い概念なんですよね?
Kさん:
そうですね。本来は「レジリエント・エンジニアリング」という分野が先に出てきていて。これは機械工学というより、安全工学に近いもので、組織をどう捉えるか、どう安全を確保するかといった視点です。
つまり、まず医療以外の分野でも応用できる「レジリエント・エンジニアリング」が生まれて、その後に「医療は特殊だよね。人を相手にして、多職種・多ステークホルダーが関わる。だから別の言葉で表現した方がいい」となって生まれたのが「レジリエント・ヘルスケア」になった、ようですね。
谷村:
レジリエント・ヘルスケアは、レジリエント・エンジニアリングの概念を医療に特化させたもの、という理解でいいんですかね?
組織的に「どうチームとして安全をつくっていくか」を考える概念、ということですね。
Kさん:
そうですね。医療はやはり特殊な環境なので、他分野とは異なる形で考える必要があります。
エンジニアリングなので、本来は「Aさんがこう動いたらBさんがこう動き、さらにCさんへ影響する」といった分析ツール的な要素も含まれます。細かい部分はさておき、そうした考え方や仕組みが人や組織にも応用されてきた、という点が重要だと思います。「復元する組織」「回復するチーム」というイメージですね。
Kさん:
ここでようやく最初のSafety-IとSafety-IIの話に戻ります。レジリエンス・エンジニアリングの枠組みの中では、このSafety-IやSafety-IIといった概念が軸になっています。
Safety-Iを復習すると、問題点を見つけて修正し、原因を取り除く…因果関係を重視するアプローチです。ただし、この考え方ではルールがどんどん増えてしまい、結局それでカバーできているのか不明瞭になるという限界があります。そこで出てくるのがSafety-IIです。Safety-IIはよりプロアクティブで、「何がうまくいっているのか」に注目して仕組みを改善する考え方です。そして、その文脈で重要になってくるのが、ようやく登場するWAI / WADです。
谷村:
やっと戻ってきましたね(笑)
Kさん:
ようやくたどり着きました。(笑)
WAI / WADは異なる ― 現場のWADに迫る問いかけ方
Kさん:
冒頭のおさらいですが、WAIは「想定されている仕事」、WADは「実際に行われている仕事」というイメージです。
仮にSafety-Iの原因を特定して再発防止を図るシーンをイメージしてみます。その調査を現場の人だけで行うのは難しく、たいていは安全部門の人が関与します。そのときに「手順書にはこう書いてあるから、こうすべきだよね?実際にできていた?」と問われがちです。
たとえば「指差し確認できていましたか?」のような問いかけです。実際に「指差しをして確認した(WAI)」と、実際には「指差し確認をしながら頭の中では次の作業を考えていた(WAD)」があったりします。「行動としては確認しているけれど、意識は十分に向いていなかった」という現象です。
谷村:
なるほど…医療安全の観点から「確認できていた?」と質問されると、「確認はしていました」と答えますよね。実際に確認行動はしているから、嘘をついているわけではない。
Kさん:
そうなんです。真実なんですけど、それだけでは実態を把握できません。だからこそ「WAIとWADは異なるもの」という前提を理解しておくことが大事なんです。
たとえば「確認しましたか?」と尋ねると、答えは必ず「はい」になります。ですが、「普段はどうしていますか?」「そのときはどういう状況で、どう手を動かしましたか?何を考えていましたか?」といったオープンクエスチョンをすれば、実際の行動や思考プロセスが見えてきます。安全を学んでいる人は自然にそういう質問をするようになります。
谷村:
すごくよく分かります。自分も医療システムをつくるときに、「こういうところで困っていますよね?」と聞くと「困ってはいる」と答えは返ってくる。でも、その困りごとの解像度は人によって全然違うんです。だからまずは「普段どうやって作業しているのか」「どういう思考プロセスを経ているのか」「具体的にどんな行動をしているのか」を聞かないと、本質的な困りごとにはたどり着けません。
結局、困りごとにフィットした機能を作らなければ意味がない。そういう意味で、WAIとWADのギャップを丁寧に理解する姿勢は、システム開発にもすごく似ていると思います。
Kさん:
そうですね。自分たちが「困っている」と思っていることと、実際に解決策がマッチすることって、実はかなり少ないんです。だから僕自身も以前、「どう聞いたらいいんだろう」「どう観察すればいいんだろう」と悩んだときに、参与観察のインタビュー手法についての本を読んでいた時期がありました。(笑)
谷村:
文化人類学ですね。(笑)
Kさん:
そうです。住民と一緒に生活し、時には儀式に参加して、文化や行動を理解していく方法です。ただ、そのときに「この儀式で手を挙げるのは神への敬意を表しているのですか?」と直接聞いてしまうのは良くない。そんなことは現地の人自身も意識していないことが多いので、質問されると「そうかもしれない」と答えてしまい、そこから実態とズレてしまう危険もあります。
つまり、「イエス・ノーで答えられる質問」は避けたい。でも一方で、まったく誘導しないと話が進まず、実態にたどり着けないこともある。ここは難しいところです。
谷村:
確かに。「普段どうやってやっていますか?」と聞かれても、その場でスラスラ言語化できる人は少ないですよね。
Kさん:
そうなんです。もし簡単に言語化できるなら、そもそも問題なんて起きません。私たちの想像力にも限界があるし、当事者の言語化力にも限界がある。そのため、想定(WAI)と実際(WAD)の間には必ずギャップが生まれます。そして実際には、多くの場合その2つは違う、ということを前提にしておくことです。
これが、医療安全やレジリエント・ヘルスケアにおける一つの到達点だと思います。今のところ「こうすれば解決する」という明確な方法論はまだ出ていません。今の課題は、この概念を理解した上で「どう実践していくか」を模索する段階にあると考えています。
谷村:
KさんからWAI / WADの話を聞いたとき、概念としては「なるほど、分かる」と思ったんです。でも実際に「医療安全の現場でどう使うのか?」というところはイメージが湧きづらくて。概念理解だけで終わってしまうのでは、という気持ちもありました。
ただ今日の話で、WAIとWADをちゃんと区別して捉え、「現場のWADにどこまで迫れるか」が重要なのだと理解できました。そのためのアプローチとして、参与観察やオープンクエスチョンが必要になるのだと思います。逆にここを理解しないまま「WAIだけ」で議論すると、すれ違いが生じて意味のない対策ばかりが増える危険もある。そこを区別してアプローチすることの大切さを実感しました。
Kさん:
まさにその通りです。この話を谷村さんにしたかったのもその点ですね。医療の現場でも、部署が違ったり、上司になると実際の手作業を知らない人も多かったりします。DXの担当者さんや、スタートアップのDXでも同じで、「現場を想像で聞いているから、きっとこうだろう」と思い込んで作ったシステムが、結局使われない……というのはよくある話です。
谷村:
それは本当に「あるある」です…(笑)
これは事業開発やプロダクトを作る立場、どの分野にとっても重要なことですね。新しいサービスやシステムを作るとき、全員が前職から現場経験を持っているわけではないですから。例えば「週2日は病院で働き、残り3日はシステム開発」というスタイルなら現場感覚を理解できますが、多くの場合そうではない。
だからこそ、現場にいなくても可能な限り「WAD(実際の仕事)」に迫り、そこで得た確信をもとにプロダクトを作らないと、結局ずれて意味のないものになってしまう。その点を意識して取り組むことが大切ですね。
Kさん:
そうですね。結局、理解するだけに留まる部分はあると思います。でも理解しておけば、「この人は分かっていそうだな」「あまり理解できていなさそうだな」といった視点を持つことができます。
論文を読むときに批判的に吟味するのと同じように、会話の中でも「ここってこういうことですか?」と質問してみることで、その人がどのくらいWAD(実際の仕事)に近づけているのかを測れるんです。
また、自分の仕事においても、成果物が「イメージ(WAI)に偏りすぎていないか」と振り返るきっかけになる。まずはそこから始めるのが、意味のある仕事の出発点ですね。これは医療安全に限らず、「みんな使ってみてね!」と思える、幅広い分野に役立つ考え方だと思います。
谷村:
確かに、普段動きながら意識するのは難しいですよね。ただ、振り返りのときに概念として取り出せるようになると、少しずつ普段の思考にも染み込んでいくのだと思います。
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