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#4 医療費抑制に自己負担は有効か?ランド医療保険実験の示唆

この記事は、ポッドキャスト「医療DX通信」第4回の書き起こし記事です。音声を聴く時間が取れない方や、資料として残しておきたい方はぜひご活用ください。

医療DX通信は、医療介護領域でシステム開発を行う株式会社ispecが情報発信する番組です。電子カルテをはじめとする医療基幹システムのクラウド化・モダナイズや、AI 活用による医療DXを手がけるispecが、医療DXの最前線でキャッチしたニュースや政策動向をお届けします。パーソナリティーは、ispec CEOの谷村がつとめます。

テーマ 『ランド医療保険実験』


1971年に実施された「ランド医療保険実験」についてお話します。 これは、医療保険を対象とした世界初のランダム化比較実験であり、高額療養費制度の議論や医療政策学会でもたびたび取り上げられています。
今回は、津川友介先生の『世界一わかりやすい 「医療政策」の教科書』をメインのソースとして、補足を交えながら解説していきます。

ランド医療保険実験とは


1970年代にアメリカで行われたランド医療保険実験は、医療保険がどのくらい効くのかを検証した世界初の大規模実験で、「医療費の自己負担が受診行動や健康にどう影響するのか?」という問いに、ランダム化比較試験で答えようとしたものです。

実験の目的

医療保険が人々の行動や健康に与える影響を明らかにするため、以下の3点を検証しました。

  • 受療行動(人は自己負担の有無で病院に行くかどうかを変えるか)

  • 医療の使われ方(どんな医療サービスが選ばれるか)

  • 健康への影響(長期的に見て健康状態が改善・悪化するか)

つまり「医療保険があることで人は本当に健康になるのか?」あるいは、「保険で受診が増えると医療費が膨らみすぎるのでは?」そんな問いを、実際に大勢の人を対象に、長期間かけて確かめたというわけです。

実験で注目された2つのポイント

行動経済学の観点から、2つのポイントに注目して検証が行われました。

1. 価格弾力性:自己負担が増えると、病院に行く人は減るのか?

たとえば…🤔
・映画が1,000円→2,000円になると、鑑賞を控える人が増える
・コーヒーが20円高くなっても、多くの人は買い続ける

価格弾力性とは、価格の変化が人の行動(=需要)にどれだけ影響を与えるかを示す指標です。医療にもこの考え方を当てはめ、自己負担が上がると受診がどれだけ減るのか分析されました。

2. モラルハザード:無料だと、医療サービスを使いすぎてしまうのか?

たとえば…🤔
・医療が無料なら「とりあえず病院行っとこう」という人が増えるかも
・医療が高額なら「普段から健康を意識した生活をおくろう」という人が増えるかも

※食べ放題が「無料」だったら、「とりあえず多めに取っちゃおう」と思う気持ちに似ています

モラルハザードとは、コスト負担がないとサービスを過剰に利用してしまう現象のことです。実験では、自己負担によって無駄な医療利用が抑えられるかどうかも調べられました。

ランド医療保険実験の設計


実験を主導したのは、アメリカのシンクタンク「ランド研究所(RAND Corporation)」。1946年、第二次世界大戦後の軍事戦略立案のために創設された組織で、人工衛星などの基礎研究を経て、のちにNPOとして独立。現在は医療、経済、交通など幅広い分野で政策研究を行っています。

※余談ですが…
わたしが好きなSF小説『三体』にも、このランド研究所が登場します。作中に出てくる登場人物が「実在する」とされていたものの、実際には存在しなかった…なんて調査エピソードもあったりして…お好きな方はぜひ読み直してみてください◎

設計されたプラン


この実験の特徴は、ランド研究所が自ら保険会社を設立したことです。対象者は保険料が無料で、医療費の支払いやレセプトの処理などもすべて自前で運用。膨大な費用が投じられており、現在の価値に換算すると、約500億円が投じられたと言われています。
対象は1,750世帯。参加者は、以下の4つのプランのいずれかにランダムに割り振られ、3〜5年にわたり健康状態や受診行動がどう変化するのか観察・分析されました。

4つの自己負担プラン

  • 自己負担:0%

  • 自己負担:25%

  • 自己負担:50%

  • 自己負担:95%

「100%負担はやらなかったの?」と思う方もいるかもしれませんが、倫理的に問題があるという判断で設定されませんでした。

※ ちなみに…
のちのオレゴン州での医療保険実験では100%プランも検証された例があります。こちらはまた別の機会にお話ししたいと思います。

ランド医療保険実験の結果


価格弾力性

医療サービスの価格弾力性は-0.2でした。他の例は以下の通りです。

  • 映画鑑賞:-0.9

  • レストランでの外食:-2.3

  • コーヒー:-0.25

  • 食塩のような生活必需品:-0.1

つまり、医療サービスは「価格が上がってもそれほど使われ方が変わらない」という意味では、コーヒーに近い結果となりました。映画や外食のように「ちょっと高くなったからやめよう…」という行動はあまり見られませんでした。
また、精神科や⼼療内科は-0.8という実験結果だったそうで、精神科系の受診に関しては価格が上がると、少し控えめになる傾向がありました。

価格の影響が特に見られたのは、初診の判断においてでした。症状が出たタイミングで「自己負担が高いなら様子を見ようかな…」と少し控える人がいたということですね。
一方で、いったん受診した後の行動ですが、たとえば入院するかどうか、どんな薬を処方されるか、次回の通院の必要については、価格の影響はあまり見られませんでした。これはある意味当然で、医師の判断が入るため患者側が自分で調整できる領域ではない、情報の非対称性による結果が出ています。

医療費への影響

自己負担の割合によって医療費がどれくらい変わったかも検証されました。

  • 自己負担 25% にすると、医療費は約20%削減

  • 自己負担 95% にすると、医療費は約30%削減

つまり、自己負担を大きく増やしても、医療費が劇的に減るわけではなく、むしろ、25%くらいでも効果はそれなりに出ていたという結果です。

健康への影響

「自己負担が高いと、体調が悪くなってしまうのでは?」という懸念についても調べられました。結論から言うと、自己負担の有無による“健康アウトカム”への影響はほとんどありませんでした。
ただし、例外があります。もっとも貧困で、かつ健康状態がもともと良くない人たち(全体の6%)では、自己負担があるグループのほうが健康状態が悪化したという結果が出ています。
具体的には、この4つの指標で差が見られました。

  • 高血圧

  • 視力

  • 歯科

  • 重篤な症状

おそらく、費用負担が重くなったことで、必要な医療を受けること自体が難しくなってしまったことが考えられます。

モラルハザード

モラルハザードについても傾向が確認されました。モラルハザードには2つのタイプがあり、実験で明らかになったのは、「事後」には自己負担の影響があったが、「事前」にはなかったということです。

  1. 事後のモラルハザード:症状が出たあとに、「タダだから行っておこう」と受診する

    • 症状が出たあとに病院に行くかどうか、たとえば熱がある、胸が痛い、といったタイミングでは、自己負担が高いほど受診を控える人がいるという傾向が確認されました。つまり、「ちょっと様子を見よう」と思う人が増え、自己負担が効いたようです。

  2. 事前のモラルハザード:「医療費が高くなるなら、そもそも健康に気をつけよう」と努力する

    • 「医療費が高いなら、そもそも病気にならないよう努力する」といった症状が出る前の予防行動、たとえば、喫煙をやめる・食事に気をつける・毎日運動をするのような行動については、自己負担の違いによる差は見られませんでした。

この結果から見えてくるのは、人は健康なときには、将来の医療費のことを深く考えていないという現実であり、自己負担を増やせば予防意識が高まるはずという期待には、実証的な裏付けがないということがわかりました。

「VBID」という新しい考え方


実験の結果に合わせ、少し最近の議論に触れておくと、「VBID(Value-Based Insurance Design)」という考え方が注目されています。これは簡単に言うと、“医療の価値”に応じて自己負担率を変えようというものです。

たとえば、

  • 効果が高い治療や薬 → 自己負担を下げる

  • あまり効果が期待できない医療行為 → 自己負担を上げる

というように、保険の設計を「価値ベース」で見直すアプローチです。

このVBIDにも大きな課題があります。
今回の実験でも明らかになった、自己負担を増やすと、価値の高い医療も、そうでない医療も一律に減ってしまうという結果が示されました。つまり、患者自身が「これは意味のある医療だ」「これはそうでもない」と判断して使い分けるのは、かなり難しいということです。
そのため、「価値に応じた医療費の調整」には、まだまだ制度設計上のハードルがあるということが見えてきます。

…このVBIDという考え方は、個人的にもとても興味深く、今後さらに掘り下げてみたいテーマのひとつです。今後、制度の実装や新たな研究がどう進んでいくか、引き続き注目していきたいと思います。

医療保険と自己負担の関係性から見えたこと


今回は、ランド医療保険実験をもとに、医療費の自己負担が受診行動や健康にどんな影響を与えるのかについてお話ししてきました。
結論としては、自己負担率が高くても、多くの人は必要な医療サービスをある程度受け続けていたというのが実際の結果です。価格弾力性の数値も、日常的に使われるコーヒーと同じくらい。つまり、医療もある意味“生活必需品”として機能していることがわかります。 一方で、3〜5年の追跡期間では、健康状態そのものに大きな差は見られなかったという点も印象的でした。
医療の使い方と健康の結果。その間にある「見えにくい関係」を、データで丁寧に追ったこの実験は、今でも多くの政策議論に影響を与え続けています。

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