「春の江戸絵画まつり」って何だろ?⑦2019〜2020年
現在(2026年春)府中市美術館で開催されている『長澤蘆雪展』は、同美術館で毎年春に開催されてきた《春の江戸絵画まつり》の最終回である。今年だけじゃなく、毎年春になるたび東京の西の外れにある府中まで、この展覧会シリーズを見るために多くの人たちが足を運び、SNSでも毎回大いに賑わってきたこの人気シリーズとはいったいどんな内容だったのか?
図録を振り返りつつ、つらつらと書いているこのnoteも今回が最終回。20年ほどの長い歴史の中で果たしてきた《春の江戸絵画まつり》の意味がだんだんとわかってくる。⋯といいなぁ。そんなことより、とにかく楽しみながらこのシリーズのことを知って貰えればいいなぁ、と思っている。
さて、今回は、このシリーズ最大の問題作からはじまる!
しかも、その展覧会のまさに開催中に、とても大きな事件が発生する。
その事件とは!

4月1日に新元号「令和」が発表され、平成の天皇陛下が4月30日にご退位され、新たに皇太子徳仁親王殿下が5月1日午前0時、第126代天皇にご即位されたのだ。
そう、「令和」になった!
さて、そんな激動のタイミングで開催されていた、府中市美術館《春の江戸絵画まつり》のテーマとは!?
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春の江戸絵画まつり
へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで
(2019年3月16日~5月12日)

『春の江戸絵画まつり
へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで』チラシ
いきなり冒頭、府中市美術館の金子信久学芸員が語る。

※画像引用
きれいではないものや立派ではないもの、更には嫌な感じのするもの。そういうものになぜか心を鷲づかみにされることが、誰しもあるはずだ。あるいはまた、物事の裏側に目を向けるようなひねくれた考えが、普通では気づかなった何かを教えてくれることもある。
そんな展覧会を開催するという。
《春の江戸絵画まつり》にとって、これは事件だ。
これまでも「面白いこと」や「楽しいこと」に偏見を持たず、
広い視野で江戸絵画を味わっていこう!
そう、提案してきた同美術館としても、かなり踏み込んだ展覧会である。
同学芸員は、3つの話題を通して、その「ややこしさ」と「面白さ」を見ていこうと提案している。
1)「素朴」に惹かれる心と創作
2)上様の絵は「ヘタウマ」なのか?
3)価値の物差しを疑う
しかも、もうひとつ言っておくと、いつもはたいてい「江戸絵画」と言っていたのに今回は「日本美術」と言っている。
その心とは⋯?
⋯という訳で、今回は問題作である。
《春の江戸絵画まつり》シリーズ最大の問題作、開演!!!
〈第1章 別世界への案内役 禅画〉
まずは、「禅」の説明から始まる。

禅とは、仏教の宗派のひとつで、不思議な特徴を持っている。
つまり、こうだ。
そもそも禅は「言葉」では伝わらない。「体験」で伝わるものである。そのため「坐禅」をしたり「問答」をしたりする。そんな禅の世界から生まれたのが「禅画」である。禅画はたいてい「謎」に満ちている。この禅画が日本のへそまがり日本美術に大きな影響を与えているという。
それはどういうことなのか?
雪村周継『あくび布袋・紅梅・白梅図』がもしもスロットマシンなら、「当たり」なのか?「外れ」か?

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左から、白梅〜おっさん〜紅梅と並ぶ。しかも、おっさん(布袋様)は欠伸をしていて、そういう意味では、白梅の枝ぶり〜おっさんの手足〜紅梅の枝ぶり…と並んでいる。いきなりこんな絵が並んでいたら、たぶん「当たり」だ。
雪村周継(せっそん・しゅうけい)は、室町後期〜戦国時代の画家。佐竹氏の一族だったが武家を継がず、禅僧となり東国各地を遍歴、後北条氏や蘆名氏など戦国大名の庇護を受けた。
狩野山雪『松に小禽・梟図』は、見てるだけでほっこりする。

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辻惟雄さんの書籍「奇想の系譜」でも紹介された『老梅図襖』などダイナミックで独創性あふれるイメージが強い山雪だが、そんな彼にしては非常に珍しいほっこりイラスト。なんか、昭和の子供向け絵本とかの表紙になっちゃいそうな絵だ。とくに梟(ふくろう)が完全にキャラ化してて可愛い。
海北友雪『雲竜図襖』の竜は、いたずらっ子の目をしてる。

※画像引用
てゆーか、竜の目があんまり怖くない。おまけに右上を見つめているので、何か嘘を考えてるのかもしれない。でも、竜の考える嘘って何だろう?考えれば考えるほどわからなくなる。
白隠慧鶴『蛤蜊観音図』は、見どころが多すぎる。

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蛤蜊観音(はまぐりかんのん)とは、観音経というお教の中に出てくる三十三観音のうちのひとつで、唐の文宗皇帝が食べようとした大蛤の蓋が開かず香を焚いて祈っていると蓋が開いて中から観音様が出てきたという俗説に由来する。
そもそも、そんな観音様がいることを、この絵で初めて知った。絵の右下にその蛤の貝殻があるが、この貝殻が観音様の真下に来ていたら、ほぼボッティチェッリの『ヴィーナス誕生』のような絵にになっていたかも。
そんなことより、蛤蜊観音様の「今出てきましたよ」というポーズと表情、そして、周囲の人々の魚介コスプレが楽しい。
風外本高『涅槃図』の脱力感はハンパない。

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お釈迦様の入滅の瞬間を描いた涅槃図なのに、ほのぼの感が異常である。
とくに、図録でも指摘されているが、お釈迦様の右下あたりで最も強い赤色に塗られてる鬼のリラックスムードがハンパない。ホケーって顔して眼の前の大事件をぼんやり見てる。
さらに、画面下方の涅槃図定番「動物たちのグループショット」もいろいろ気になる。右下にいるガチョウの足元あたりに落ちてる二本の紐のようなものは、よく見ると「ウナギ」と「ドジョウ」に描き分けてるように見えるが、どうだろう?
仙厓義梵『豊干禅師・寒山拾得図屛風』は、結構楽しそうだ!


※画像引用
仙崖さんの作品としては珍しい、かなりの大作だと思う。だが、画風は相変わらずフワフワしてて楽しい。
まず、豊干が乗ってる虎が虎じゃない。どっちかというと、ラクダのようである。そのくせ、周囲に子虎たちがいて、可愛い。一方、寒山拾得は来日したばかりの南蛮船の船員たちのようにはしゃいでいる。とっても楽しそうだが、まったく意味不明だ。
そして、図録によると、屏風には3つのテキスト(自賛)が仙厓さん自身によって書き込まれている。
●「屏風の仕立てが悪いから、上手く描けなかった」
●「私は前世で豊干に会った。その時、豊干は蛟みたいな虎に乗っていた。それを今、描くことができた」
●「世の中の絵には描き方というものがあるが、私の絵に法はない」
来た来た!
噂の禅問答である。
謎すぎる!
そういう意味ではこの屏風、永遠に楽しめる謎解きランドのような屏風だw
この章の最後には、「禅と子犬と芦雪のへそまがり」というコラムがついている。ここで最初に紹介されているのがこの絵だ。

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長沢蘆雪の『寒山拾得図』だ。この絵を初めて見た時の衝撃を忘れることが出来ない。この絵は拾得さん(左の箒持ってる人)の目線のおかげで、鑑賞者の視線はまず左上→右上→⋯と動くと思うのだが、その過程で「ある種の違和感」に取り憑かれるはずだ。そう、左下の方になんかいる!
そこには、蘆雪の描いた可愛い子犬がいるのだ。

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左上の一匹(横顔の子犬)だけ寒山さん(右の筆を持ってる人)の激しい動きが気になっているが、その下でちょこんと顔だけ出してる一匹は、目線を見るとどうやらさっきまで動いていた拾得さんの箒が気になっているみたいだ。そして。右の一匹はそんなことにはお構いなしに、なぜか鑑賞者である「私」に気づいて「遊んでくれる?」みたいな顔をしている。
これ、蘆雪の得意技のひとつだ。
長沢蘆雪『菊花子犬図』は、子犬まみれのあの絵である。

担当させてもらったテレ東『新美の巨人たち〜【長沢芦雪のゆるかわ子犬】』(2023年)でも紹介したあの絵が、早くもこの展覧会に登場している。いや、この絵の子犬たちは可愛い。しかも、蘆雪犬のいろんな種類が集まってる。オールスター戦の様相だ。私はこの九匹を勝手に蘆雪犬の「菊花ナイン」と呼んでいる。
〈第2章 何かを超える〉
第1章では禅画というへそまがりな絵の誕生について触れた。第2章では、その他のへそまがりな絵について紹介する。
まず「俳画」である。

俳句はそもそも和歌のような雅な世界ではない。そういうお高く止まった世界に飽き足らず生まれた。だらか、そこから派生した俳画も、当然へそまがりだったりする。
続いて「南画」である。

中国で生まれたこの絵は、芸術的な画家や大衆的な絵を嫌って、自分が絵の素人であることを自負するという、とことんへそまがりな絵であり、20世紀の「ヘタウマ絵画」にも繋がるようなスタイルである。
そして、章の最後にひとつの問題提議をしてみたい。つまり、お殿様の描いた絵は「ヘタウマ」なのかどうか?
金子学芸員の解説テンションも、どんどん上がっていく。
〜1、俳画と南画〜
このあたりの絵は「俳画」らしいというか、画家や俳人たちが、似たような絵を思いつくままに描き殴っているせいで、展覧会に出品された絵と同じ絵を見つけるのが難しい。そう、俳画って似たような画をめちゃくちゃ大量に描き殴っているのだ。その結果、小林一茶 『苦の娑婆や』自画賛や、池大雅『怪鬼弾琴図』は見つけたかったがネットで見つからず。
〜2、稚拙みと「ヘタウマ」〜
2011年【江戸の人物画】展でも紹介した伊藤若冲『伏見人形図』や、2010年【歌川国芳 奇と笑いの木版画】展や2017年【歌川国芳 21世紀の絵画力】展でも紹介した歌川国芳『荷宝蔵壁のむだ書』などが、江戸後期「ヘタウマ」の代表作として紹介されている。
そして昭和の「ヘタウマ」としては、蛭子能収さんなどとともに、こんな絵も紹介されいた!

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〜3、お殿様の絵の謎〜
そして、衝撃の徳川家光『兎図』である。

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3代将軍家光の作品と聞いてくすっとしてしまったけど、作者を知らなくてもこの絵には惹かれる何かがある。名画とは思わない。でも、この不思議な生物が何かを訴えている。その真っ黒な目が何かを訴えている。でも、サングラスのような真っ黒な目(黒目がちにも程がある)のせいで、正確なメッセージは伝わらない。
図録によると、将軍家御用の狩野派にも兎の見本絵はあるが、全然似ていないそうだ。つまり、この兎は家光オリジナルである。もしかしてこの絵は、唱歌「待ちぼうけ」でもおなじみ「切り株うさぎ」の話がモチーフだったりするのか?と想像したりもしているのだが、だとするとこの絵はなかなかに絶妙である。だって、切り株に兎がぶつかるかと思って待ってたら、兎が切り株の上に乗ってこっちを見てるのである。家光は、どんな教訓を語りたかったんだろう?

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金子学芸員による、図録の解説が面白かった。
目の周りは複雑に、羽角のふさふさや羽もふさふさ描き込む。家光には狩野探幽が使えていたが、探幽もびっくりの、我が道を行く描き方だ。
ちなみに探幽と言えば、こんな絵で有名な人。
さて、続いても家光の作品だ。

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この小鳥は、すべてが可愛い。
家康はどんな気持ちでこの絵を見たんだろう?
そんな三代将軍・家光の長男で、四代将軍になった家綱の絵も残っている。

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親鶏の軽くイッちゃってる目がいい。子育てでちょっと疲れてるのかもしれない。対する雛鶏は、ただただ可愛くて、描き込みも細かい。さすが家光の息子だ。
ここから将軍家以外のお殿様の絵が続く。
黒田綱政『鶺鴒図』は、バランスがおかしい。

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黒田綱政は、福岡藩の第四代藩主。絵はそれなりの味わいを持っているが、落款の「綱政書」の文字のバランスがおかしい。鳥よりデカい!
さすがお殿様である。
あと、2015年【動物絵画の250年】展でも紹介した、臼杵藩藩主、稲葉弘通の『鶴図』なんかも紹介されている。いつか、お殿様だけの展覧会を見てみたいかもw
〈第3章 突拍子もない造形〉
ここまでは、へそまがり絵画の背景として「禅画」などを紹介してきたが、この章では「へそまがりな造形」について紹介する。「へそまがりな造形」って、いったい何だろう?
次の絵は、ブラウザの縦スクール画面にピッタリだ。

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そう、この伊藤若冲『福禄寿図』は掛け軸を開いていく楽しさを狙った作品かもしれない、と図録にも書いてあった。それにしても、なんでこんな顔をしてるんだろう?⋯掛け軸を開きながら「山かな?」→「なんじゃこりゃ?」→「福禄寿様?」→「なんで悲しそう?」という、展開する楽しさがある!
中村芳中『十二ヶ月花卉図押絵貼屛風』の花は、約分されちゃってる?

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「琳派」✕「かわいい」の人、芳中の植物たちが面白い。葉っぱを複雑&丁寧に着色している一方で、花の表現が異常なほど単純化されていて、とっても可愛くなっている。じゃあ、複雑な葉っぱが主役か?と言われたら、ちっともそんなことはない。
望月玉蟾『竜図』は、雨の表現が尖りすぎてる。

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正直、こんな雨の表現、見たいことない。
でも、面白い。
岸礼『百福図』は、高さ1.8mほどの絵だ。

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そんな絵の中に、合計145名のお多福さんがいる。あらゆる表情で、あらゆる仕草をしている。まあ、それを見ているだけでも楽しい。
狩野典信『唐獅子図屛風』は、永久機関のように回り続ける。

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唐獅子の体躯や鬣、尻尾の模様のそうだが、周囲の2つの滝などがすべて、この絵の中で、鑑賞者の視線がぐるぐる回るように作られている。だから、永遠に2匹は回り続ける。
小出楢重『めでたき風景』は、昭和元年の作品。

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とっても楽しげな作品だが、あの小出楢重の作品と聞くと、ちょっと驚く。図録の解説によると、チャラ過ぎる世間の風潮を嘲笑うためにこの絵を描いたそうだ。よく、大正時代から昭和初期の時代は日本中がとっても明るかったと聞くが、その頃の雰囲気なんだろうな、これ。でも、やっぱり楽しそうだ。あの、緊張感あふれる青海波まで楽しそう!
〈第4章 苦みとおとぼけ〉
人がいつも美しい絵ばかりを楽しむとは限らない。時には、必ずしも美しいとは言えない、否、どっちかというと苦み走った絵を部屋に飾りたくなる時もある。人もいる。また、おとぼけ感覚の作品が心に響く時もある。人もいる。だから、人間は面白い。⋯的な解説とともに、この展覧会の最後の章が始まる。
〈一、苦み〉
2016年の【ファンタスティック】でも紹介した、破壊力抜群!岸駒の『寒山拾得図』からこの章は始まる。

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与謝蕪村『寒山拾得図』も、なかなかのインパクトである。

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長沢蘆雪『猿猴弄柿図』の表情が、かなり卑怯。

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欲望から生まれる小さな悲劇を暗示してるような絵だが、何よりも主役猿の表情である。誰が見てもその気持が伝わるような激しい表情をしている。図録の解説で金子学芸員は書いている。
蘆雪は、どうも初期の作品からして、自分の中から湧き出る筆の動きや形を抑えられないところがあったようだ。
とてもわかるような気がする。
祇園井特『お菊幽霊図』には、デスメタルの匂いがする。

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遊郭の女性たちを生き生きとリアルな魅力で描いた画家・祇園井特の描く幽霊に驚いた。怖いには怖いが、とっても生き生きとしているのだ。たぶん「呪い」なのか、ちゃんと目的を持って生きてる感じがする。下北沢あたりで頑張ってそうだ。
2015年【動物絵画の250年】展で紹介した長沢蘆雪【老子図】や【ファンタスティック】で紹介した曽我蕭白『後醍醐天皇笠置潜逃図』も登場。
〈二、おとぼけ感覚〉
2012年【三都画家くらべ】展でも紹介した長沢蘆雪『なめくじ図』が登場。やっぱりこの絵は最高だ。
そして、長沢蘆雪『蛸と蓮華図』は、本当にとぼけている。

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だって、どう考えても蛸と蓮華の関係性が思いつかない。たぶん、この組み合わせを思いついたのは、この絵を描こうとした蘆雪だけだ。で、どんな絡み方がいいのか?を考えた末に、蘆雪が上の構図を考えた。可愛らしく咲く蓮華の花の上に何かの事故で落ちた蛸がぐにゃり。蓮華も蛸も台無しだ。もう、どうしていいのやら?…という構図の楽しさかな、蘆雪が描きたかったのって。違うか?
⋯それにしてもこの年、2019年の【へそまがり日本美術】展は、名前の通り、へそまがりな問題作だった。さて、翌年はどんなテーマで来るのかと思ったら⋯
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春の江戸絵画まつり
ふつうの系譜
「奇想」があるなら「ふつう」もあります
(2020年3月14日〜5月10日 ※コロナ禍により、4月7日をもって閉幕)

ふつうの系譜 「奇想」があるなら「ふつう」もあります』
※画像引用
4年前に東京都美術館で開催された2016年の『生誕300年記念 若冲展』に続いて、前年の2019年には『奇想の系譜展』も開催された。そう、世間では伊藤若冲と奇想の画家たちの人気がピークに達していた頃だ。

2019年2月9日~4月7日
そんなタイミングで、府中市美術館が放つ《春の江戸絵画まつり》最新作とは⋯
若冲や蕭白が登場した時代に、誰もがきれいだと思うような、ふつうに美しいものを作った画家たちを取り上げます。題して「ふつうの系譜」です。『奇想』があるなら『ふつう』もあります⋯と、こんなサブタイトルもつけてみました。
面白い!
府中市美術館らしい、逆張り的でチャレンジングなテーマ!
そして、図録の冒頭にはいつもと違う「本展の趣旨と構成」なる文章がついていて、そこには敦賀市立博物館の話が書いてある。実は、《春の江戸絵画まつり》には近年、敦賀市立博物館から借りてきた作品が数多くある。

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私自身が気になった作品だけでも、以下のような作品が同博物館から借りられてきている。
原在中『天橋立図』
岸駒『白蓮翡翠図』
岸駒『寒山拾得図』
長沢蘆雪『老子図』
渡辺南岳『芸者と若衆図』
冷泉為恭『高台・日・月』⋯など。
どれも印象深い!
実は、同博物館には江戸から近代の絵画作品が300点以上あるのだが、昭和初期の貴重な銀行の建物を活用した博物館であるため、展示スペースに限りがあり、なかなかその全貌を見せることが出来ない。
そこで、同博物館との縁をきっかけに、今回の展覧会が企画されたという訳だ!
そして、例によって金子学芸員による開会宣言とも言うべき文章「ふつうの系譜とその美しさ」が始まる。
奇想の人気の影になってしまった「そうではないもの」をちゃんと知れば、奇想の良さも、もっと楽しめるかもしれません。
では、「ふつう」の絵画とはどんなものなのか?
もともと平安時代の初めまでは、日本の絵は、大陸のものを真似ることが中心だった。だが、平安中期になって日本独自の描き方やテーマが生まれた。
→これが「やまと絵」の系譜になる
鎌倉時代になって、当時の中国(宋、元)から新しい絵画「水墨画」が入ってきた。そして、禅宗と密接な関係を持ちながら、武士たちにも愛された。
→これが「漢画」の系譜になる
こうして日本には、2つの「ふつう」の系譜が生まれた。
◎土佐派(やまと絵)
=宮中や貴族らの仕事を請け負う画家たちの中から生まれた
◎狩野派(漢画)
=室町幕府の将軍、足利義政の仕事をした狩野正信から始まる
江戸中期から後期にかけて、これら2派とは別の「ふつう」の系譜が生まれた。その筆頭が、円山応挙である。遠近法や陰影法など西洋画の技法の影響を受けつつも、「絵なのにまるで本物のように感じさせる」という絵画をとことん追求した結果、やまと絵でも漢画でもない独自の絵画スタイルを生み出し、新しい系譜を作った。
◎円山四条派
=円山応挙から始まる
また、原在中や岸駒の名前も忘れることができない。両者ともに、公式には記録がないが、応挙の弟子だった時代があるかもしれない、という二人だが、独自の美学で応挙とは違った作品を残しながら、それぞれ原派・岸派という系譜を残していく。中には、岸駒『寒山拾得図』のような、「ふつう」の系譜というよりも「奇想の系譜」かと思われるような作品も。
とにかく、「奇想」がいつまでも「奇想」とは限らないし、「ふつう」がいつまでも「ふつう」とは限らない。もっと広い目で江戸絵画を楽しんでみたら、新しい何かが見つかるかもしれない。
こうして、今回の展覧会が始まる!
〈「ふつう」ではないもの たとえば又兵衛と蕭白〉
『ふつうの系譜』の展覧会だが、冒頭は〈ふつうじゃない系譜〉=〈奇想の系譜〉から始まる。
まずは、伝岩佐又兵衛『妖怪退治図屛風』である。 辻惟雄さんの名著「奇想の系譜」のトップランナーでもある岩佐又兵衛の作品。

※画像引用
突然だが、今年の大河ドラマ『豊臣兄弟』にもまもなく登場予定の悲劇の武将・荒木村重は、織田信長によって一族郎党とともに皆殺しにあっているのだが、当時2歳だったおかげ末子だけは助かった。岩佐又兵衛はそんな荒木村重の末子である。
そんな又兵衛は安土桃山時代、人間同士のバイオレンスドラマを描かせたら右に出る者なしという天才絵師となったが、この作品は得意のスプラッター系の作品とは違って、画面右側を占めるダークファンタジーなバトル軍団が背景色も含めて凄まじくパワフルに描かれている!
さらに、この冒頭の〈普通じゃない〉ブロックには、『騎驢人物図』など曾我蕭白の作品が5つも並ぶ。ま、江戸時代の〈普通じゃない〉画家の代表としては確かに適任だが、ネットでは画像が見つからず。残念!
〈Ⅰ ふつう画の絵画史〉
〈1、土佐派とやまと絵 専門は「まろ絵」〉
金子学芸員はやまと絵の特徴を以下のようにまとめている。
その特徴は、線や形の柔らかな感触や、細やかで繊細な描き方、純真無垢なほどの明るい色づかいなどにある。また、宮中や貴族らの「雅び」な題材、和歌に詠まれた名所、歴史の物語が描かれることも多かった。
土佐光起『伊勢図』には、〈やまと絵〉らしさが満ちている。

※画像引用
とにかく主人公・伊勢のファッションがとにかく繊細に美しく描き込まれている。一方、風景は幽玄なモノクロームで描かれていて、その対比が楽しい。
光起は。江戸中期の画家。戦国時代に一時衰退した土佐派中興の祖。
冷泉為恭『五位鷺図』は、五位鷺の名前の由来を描いた絵。

※画像引用
個人的にも、可愛くて大好きな絵だ。
醍醐天皇が官位六位の蔵人に、庭の池の鷺を「捕えて参れ」と命じたが、鷺は言うことを聞かない。そこで蔵人は「天皇の命令であるぞ」と告げたところ、鷺は飛び立つことなく捕まったため、天皇は喜んで鷺を五位に叙した。そんな逸話を描いた絵だが、この話の軽快さをうまくビジュアル化している。
冷泉為恭(ためちか)は、幕末に活躍した復古やまと絵の絵師。
〈2、狩野派 専門は中国を見せること〉
今度は狩野派=漢画である。金子学芸員は狩野派を以下のようにまとめている。
大まかに言うと、狩野派の基本は、中国の絵の魅力を日本で再現すること。がっちりした山水画はもちろん、中国の絵に倣った花鳥画や、中国の故事や仙人を描くのも得意だった。
狩野探幽『朝陽鷹図』は、江戸狩野派の特徴らしい作品。

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京時代の狩野派は言わば「豪華絢爛」だったが、江戸幕府とともに下った江戸狩野派は、「瀟洒淡麗」とも呼ばれる新しいスタイルを開拓した。
中心人物である狩野探幽の名前を冠して、「探幽様式」とも言う。そのスタイルは、ひとことで言う余白を活かした画面構成。見てわかるように、使ってる色数からして京狩野派とは哲学が違う。
〈粉本と「ふつう」の絵〉
探幽が開発した江戸狩野派の新スタイル「探幽様式」を、同派の絵師たちは「粉本」(ふんぽん)を通して学び踏襲していった。
「粉本」とは、ひとつの作品を作るために使りあげるために使う見本や、下絵のなどの図のこと。過去の作品の模写、肖像画を描くためのスケッチ、作品を作り上げる前段階での下絵など色々あって、一言では説明し難い。
そんな粉本を基本とした江戸時代の画家たちの創作スタイルを批判的に「粉本主義(ふんぽんしゅぎ)」と呼ぶ場合がある。金子学芸員はそんな議論について、こんな言葉を図録に残している。
一人の画家が自分の才能だけで描く素晴らしい絵もあれば、歴史の中で信頼を培ってきた見事な造形もある。
図録には、応挙の可愛い子犬の絵の「粉本」(木槿狗子図粉本)などの画像を載せた上で、こうまとめる。
狩野安信の『画道要訣』という秘伝書に、「質画」より「学画」が大切だ、というくだりがある。「質画」、生まれつき起用な天性の資質をもつ者が描く絵、「学画」は、精進し、学習して描き方を習得した者が描く絵のこと。つまり、狩野派では、一人の天才だけが描く絵より、学んで描く絵のほうが大事だと考えられていたのである。
そう言えば、やまと絵のブロックでは、土佐光起が自身の作画スタイルをマニュアル化した『本朝画法大全』のことが紹介されていたが、「ふつうの系譜」において、ある種のマニュアル化ということはとても大事なことになってくるのかもしれない。クライアントがおもに皇室や公家、武家政権だった主流派としては当然の帰結だったかもしれない。
〈3、円山応挙と円山四条派 「斬新」からあっという間に「ふつう」へ〉
応挙はやまと絵や狩野派のような、先人が描いた絵を踏襲して作品を描くやり方ではなく、人間の目が捉えたもの、科学的な思考を働かせて一枚の絵した。それまでの絵のありようを壊してしまうほど斬新な方法だし、手本を見て描くより遥かに難しいことのように思える。ところが応挙の創作は、すぐに一つの「描き方」となって、長澤蘆雪や源琦ら弟子たちに伝わった。
これはとても不思議なことである。
が、金子学芸員はその理由をこんな言葉で説明している。
少々乱暴に言えば、たとえパソコンという物を信じられないくらい素晴らしいと思っていても、それを作り出した人間の工夫や凄さなど知らないまま、当たり前のように便利さの恩恵にあずかっているようなものかもしれない。
なるほど、と思う。
ちょうど、万有引力のようなものか?ある時期まで神をも恐れぬ発見だったとしても、あまりに原理の根本過ぎるために、しばらく経つと誰もが当たり前の原理だと思ってしまう。そんな感じか?
円山応挙『西王母・寿老図』は、そんな応挙らしさの溢れる絵だ。

※画像引用
とても美しく繊細な絵であると同時に、西王母(女性仙人のボス)&従者、寿老人&鹿という異色の2セットを、応挙らしい3D空間の中で楽しく配置している。ケミカルな容器に詰めたファンタジーのような作品。これも、応挙がよくやる手だが、4者の目線の組み合わせも楽しい。
源琦『藍采和図』を見てると、思わず「エルフ?」と呟きたくなる。

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源琦(げんき)は応挙の門人の中でも、師匠そっくりな絵を描くことで知られる。絵の中で靴を片方だけ履いてる藍采和(らんさいか)とは、唐の時代の仙人の一人。そのピュアな風体を見ていると、西洋のエルフやフェアリーを思い出す。
〈もふもふは世界を変える〉
このミニコーナーで金子学芸員は、大事な言葉を残している。
応挙や狙仙は、単に描き方を新しくしたというよりも、「もふもふの絵」という新ジャンルを生み出した、というべきかもしれない。
そう、こうして《春の江戸絵画まつり》は、次々と江戸絵画の中でいろんな発明をしていく。
〈4、原在中と原派 パーフェクトな形〉
原在中『富士三保松原図』は、再構成された美しさ。

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原在中は、応挙の弟子とも言われる江戸後期の京画家。《春の江戸絵画まつり》にもたびたび登場する。現実の風景を美しく描きながらも、見事な再構成によって現実以上に美しい風景画を創作する。上の絵はわかりやすくて、リアルな風景の中に、上下に「2本の直線」を引くことで新しい美しさを作り上げている。
〈5、岸駒と岸派 「奇想」と「ふつう」の間〉
岸駒『富士山図』は、力強い美しさ。

※画像引用
岸駒は、原在中と同様、江戸後期の京の画家。個人的には、その絵は美しさとともに力強さや鮮やかさの印象が強い。
岸駒『猛虎図』は、パワフルだけど可愛い。

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岸駒の描いた虎は、パワフルだけど愛嬌がある。目の表現が抜群だし、毛並みの良さと顎の突き出し方が絶妙である。
そして岸駒と言えば、『寒山拾得図』である!

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〈6、明治以降の画家 「ふつう画」のゆくえ〉
「美しい絵画はどう描けばよいか」「ものをありのまま描いてはいけない」という江戸時代の常識が体にしみついた画家たちにとって、明治時代は気の毒な時代である。ヨーロッパの迫真的な絵画が渡来して、しかもそれが「進んでいる国」の「見習うべき文化」として眼の前に現れたのである。
そんな金子学芸員の言葉から始まる6章は、複雑な気持ちで眺めてしまう。
幸野楳嶺『敗荷鴛鴦図』は、生と死の対比が鮮やかだ。

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たぶん私の勝手な思い込みだが、明治時代の日本画家たちの葛藤を想像してしまいそうになる。西欧化の波とどう戦うべきなのか?
高谷篁圃『三美人図』は、時代を超えたかった?

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時代を越えた日本の女性ファッションを、ひたすら美しく描き1枚の絵の中で調和させている。こういうところもチャレンジか?オールジャパンで世界と戦おうとしたのかもしれない。
〈Ⅱ ふつう画の楽しみ方〉
「ふつうの画」の楽しみ方とは?という、とっても難しそうな問題提議について、図録はこう答えている。例えば、精密に描かれた画の場合はその細かい情報を読み取ることで知的な興奮を味わえるし、ぼーっとした画の場合はたゆたうような気持ちを味わってみたら?
⋯と提案している。さっそく見てみよう。
〈1、「精密さ」と「たゆたう感じ」〉
土佐光貞『粟に鶉図』は、やっぱり鶉(うずら)を見る。

※画像引用
土佐派の描く鶉の羽の模様は生地で美しい。ひたすら緻密に書き込まれた模様がまるで、寄せ木細工のようなぎゅっと詰まった美しさを表現している。
一方、田中訥言『嵐山図』は、リラックスの塊みたいな画だ。

※画像引用
この画像のサイズではわかりづらいが、淡い曲線と塗りで作られた世界は、拡大して見るとよくわからない風景だが、引いて見てみるとぼんやりとした美しい世界が静かに浮かび上がる。
田中訥言(とつげん)は、江戸後期の絵師。最初は狩野派に、続いて土佐派の土佐光貞の門に入る。復古大和絵の祖とも言われる。
原在中『菊に鶏図』は、ほぼ正円に近い親子の目に注目。

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風景を美しく再構成する原在中の描いた鶏の親子が美しい。でも、もっとも注目したいのは、その親子のまん丸な目である。
どちらもまん丸な目の黒い縁取りの中に、直径の1/3ほどの黒い瞳があるのだが、この瞳もまん丸である。結果、雛の目は無垢さを、親の目はちょっと狂気すら感じる。そんな狂気の親鶏の口にとても美しい緑色のバッタがいる。
「ふつうの絵」のはずだが、私には「ふつうじゃない絵」に見える。美しく狂ってる!
〈2、「絵の具の美しさ」と「墨の深さ」〉
「ふつう画」を楽しむポイントとして、画材の違いに注目することを提案している。絵の具、そして、墨の使い方に注目してみよう、と。
岸恭(がんきょう)『四季花卉図屏風』は、輪郭の太ささえも自由に描く。

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このサイズで、しかも上図の右隻だけではわからないのだが、右隻の牡丹(中央あたり)は輪郭線がほとんど目立たないのに、左隻の葉牡丹ではその葉の肉厚さを表現するためにとんでもなく太い輪郭線で描いている。これは西洋画ではありえない自由さだと、図録は説明している。是非とも現物を見てみたい。なので、本当は左隻の画像をアップしたいが、ネットで見つからず。残念!
なお、岸恭は岸駒の婿養子(岸良:がんりょう)の実子だ。幕末〜明治初期に活躍した絵師。
橋本長兵衛(初代)『仙人図』は、墨使いの極地。

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絵の軽みばかりが目立つが、濃淡、線の太さ、ぼかし具合、かすれ具合など、墨の表情をさまざまに駆使して描いていると図録に説明がある。これも是非現物を見てみたい。
ちなみに橋本長兵衛(初代)は、桃山時代〜江戸時代前期に越前敦賀で活躍した絵師。
〈まとめ〉
2020年頃、東京を中心に「奇想の系譜」が盛り上がっているのを尻目に、府中では《春の江戸絵画まつり》をさらに深めるための企画【ふつうの系譜】展をぶつけた。面白い挑戦だ。
ところが、「ふつう」をテーマにしたこの意欲作の真っ最中に、世の中では「ふつう」じゃないことが起こる!
新型コロナ禍である。2020年1月後半から陽性者が国内でも発見されるようになり、3月14日にこの【ふつうの系譜】展は開幕したものの、3月末からは断続的に休館、4月7日に発出された緊急事態宣言の発出を受けて、8日から完全休館となり、同展は7日をもって閉幕となった。残念!

2026-04-04
