ネルソンの街で、移行期がひとつ終わった
2026年6月10日、水曜日。
僕は今、ニュージーランド南島のクイーンズタウンで、この記録を書いている。
数日前から、これまでの延長線上にあった旅が、ひとつの役割を終えつつあるように感じている。
次の流れへ移っていく気配が、静かに立ち上がっている。

クイーンズタウンにて
思えば、昨年の6月10日頃、僕は社長に、自分の役割を手放すことを伝えた。
そこから、何かが動き始めた。
あれから、ちょうど1年が経った。
ネルソンの街を歩きながら、僕は自分のスタンドを英語で何度もつぶやいていた。
“I am creating a joyful world…”
道を歩きながら。
公園のベンチに座りながら。
誰かに聞かせるためではなく、自分の身体に聞かせるように、静かに口にしていた。
僕にとってスタンドとは、自分がどんな世界を創り出して生きるのかを表した、人生の宣言のような言葉だ。
日本語では、何度も口にしてきた。
ひとりひとりが光輝き、
十分な自分でつながりを広げる、
ごきげんな世界を創り出している。
その言葉を英語にした時、不思議な感覚があった。
ただ、日本語を英語に置き換えた感じではなかった。
自分が本当に立っている場所を、別の言語でもう一度、身体で確かめているようだった。
これまで僕は、何度も「真ん中に立つ」とか、「真ん中に還る」という言葉を使ってきた。
けれど、その真ん中がどこなのか、どこかでまだ探していたのだと思う。
でも、英語にしたスタンドを繰り返し口にしていた時、ふと分かった気がした。
僕が言っていた真ん中とは、このスタンドの真ん中だったのだと。
僕が立ちたい場所。
僕が創り出したい世界。
僕が、何度でも還ってくる場所。
それは、どこか遠くにある理想ではなく、もうすでに僕が立っていた場所だった。
その感覚に触れた時、身体の下の方から胸に向けて、振動が突き上げてくるような感じがあった。
そして、涙が流れた。
悲しいわけではなかった。
嬉しい、と言ってしまうのも少し違った。
何かを思い出したわけでも、誰かへの感謝が急にあふれたわけでもない。
僕は、その涙の源にある感情を探した。
けれど、見つからなかった。
感情になる前の、もっと静かな反応だった。
名前のつく前の震え。
理由のつく前の涙。
僕の中では、それは透明な涙だった。
その時、ふと、旅の終わりを感じた。
旅そのものが終わる、というより、移行期という時間が、ひとつの役割を終えたように感じた。
もちろん、それは変化がすべて完了したという意味ではない。
この感覚を日常に定着させ、行動や成果に反映していくには、きっとまだ時間がかかる。
けれど、中心を探し続ける時間は、ここでひとつ終わったのだと思う。
僕はこの旅の中で、どこかに移行しようとしていたのだと思う。
会社を離れ、日本を離れ、いくつかの国を移動した。
53歳になって、もう一度、学生として机に座った。
もちろん、そこには揺れる自分もたくさんいた。
若い人たちに囲まれた時、自分はどうふるまえばいいのかを考えている自分がいた。
英語で矢継ぎ早に話されて、質問されていることは分かるのに、聞き取れず、答えられない時もあった。
相手は悪気なく、もう一度言い直してくれる。
けれど、その表情が少しだけ変わる。
その一瞬で、僕の中に焦りが走る。
自分がダメなような感覚が立ち上がる。
そして、気づけば真ん中からズレている。
できない自分。
戸惑う自分。
申し訳なくなる自分。
相手の反応に、自分の存在の重さを預けてしまう自分。
この旅は、そういう自分を消すための時間ではなかった。
できない自分や、焦る自分に出会いながら、それでも戻る場所を確かめていく時間だったのだと思う。
僕の移行期は、どこか別の自分になるための時間ではなかった。
それは、もうすでに立っていた場所に、身体ごと気づくための時間だった。
どこかへ行く旅ではなく、真ん中へ還る旅だった。
そして、その真ん中には、僕のスタンドがあった。
ひとりひとりが光輝き、
十分な自分でつながりを広げる、
ごきげんな世界を創り出している。
その世界は、どこか遠くにだけあるものではなかった。
たぶん、僕はもう、その世界を少しずつ創りはじめていた。
もちろん、完璧にできているという意味ではない。
揺れなくなったわけでもない。
迷わなくなったわけでもない。
これからも、きっとズレる。
人の反応が気になる日もある。
外側に価値を探しに行く日もある。
自分を見失いそうになる日もあると思う。
でも、還る場所が分かった。
スタンドの真ん中に、何度でも還ればいい。
そう思えた時、移行期は静かに、ひとつの役割を終えたように感じた。
寂しさでもなかった。
安堵でもなかった。
ただ、
「ああ、終わったんだな」
という感覚だけがあった。
そして、その後から少しずつ、次へ向かう感覚が立ち上がってきた。
旅は、僕をどこか遠くへ連れていったのではない。
僕を、僕の真ん中へ還してくれた。
これからも、忘れる日があると思う。
また外側に探しに行く日もあると思う。
それでも、還る場所を知っている。
それだけで、ここから先の旅は、少し違うものになる気がしている。
ニュージーランドを出る直前の大切な現在地として、これを記録しておく。
