透明に戻るには、混ぜないこと
透明な水が入ったコップがある。
そこに、
真っ黒な水滴を一滴、落とす。
最初は、
黒い墨が、ふわっと広がる。
そのまま、何もしなければ、
やがて黒は浮き上がるか、
静かに沈んでいく。
コップの中心は、
まるで何もなかったかのように、
透明なままだ。
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でも、
そこに手を入れて、かき混ぜてしまったらどうだろう。
黒は一気に広がり、
透明はどこかへ消えてしまう。
混ぜれば混ぜるほど、
黒は透明と混ざり合い、
濃く、濁り続ける。
まるで、その黒が
最初からそこにあったかのように。
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心も、よく似ている。
恐れを源にした感情が、
一滴、落ちてくることがある。
不安。
怒り。
羞恥。
ざわつき。
それ自体は、ただの水滴だ。
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でも僕は、
ずっと混ぜてきた。
取り除こうとして、
手を突っ込んだ。
意味づけをして、
正解を探して、
考え続けて。
あるいは、
無かったことにして、
透明な水を妄想でつくろうとした。
どちらも、混ぜる行為だった。
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混ぜれば混ぜるほど、
黒は広がる。
妄想で塗り替えても、
透明には戻らない。
ただ、色が変わるだけだ。
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透明に戻る方法は、
ひとつしかないのかもしれない。
混ぜないこと。
静かにしておくこと。
揺らぎのリズムが整うのを、
待つこと。
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静けさは、
何もない状態ではない。
穏やかに、
心地よく、
波を打っている状態。
その揺らぎの中で、
黒は、やがて分離していく。
浮くか、沈むかは分からない。
でも、中心は透明に戻っていく。
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長く生きていると、
いろんな色がコップに落ちてくる。
混ぜ続けていると、
もう何色か分からなくなる。
透明だったことさえ、
忘れてしまう。
でも、
元々は透明だった。
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セブに来て、
静かに自分の中心に還る時間が増えた。
その中で、
少しだけ透明度が戻ってきた気がする。
黒が消えたわけじゃない。
ただ、
混ぜるのをやめただけだ。
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いまは、
それで十分だと思っている。
