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完了編①|流れの中に身を置いたフィリピンでの暮らし

1月24日から始まったフィリピンでの暮らしは、想像していたものとは少し違っていた。
それでもその違いの中で、意味を探す力が静かにほどけ、流れの中にいる感覚が残っていった。
完了編①として、その時間をいまの現在地からふりかえる。

— 静けさが身体に還っていった旅 —

1月24日からはじまったセブでの暮らしは、
ふりかえってみると、流れの中に身を置き続けた時間だった。

フィリピンという、
これまで訪れたことのない国で暮らす。

どんな日々が現れるのか、
正直なところ、想像はついていなかった。

ただひとつ、
そっと決めていた感覚があった。

流れの中に身を委ねながら、
自分の中心に居続けたい。

それだけだった。

セブに対して、
僕はリゾート地のイメージを持っていた。

朝や夕方には海沿いを歩き、
静かに日の出や日の入りを眺めながら
ゆっくりと暮らす。

これまで背負ってきたものや、
自分を縛ってきたものを、
この地で弛めていく。

そんな時間になるのだろうと、
どこかで思い描いていた。

実際に始まった暮らしは、
その想像とは少し違っていた。

レッスンの時間は決まっているし、
課題もある。
眠りが浅くなり、
疲れを感じる日もあった。

街には生活の音が満ちていて、
人の営みは、日本よりもずっと近い場所にあった。

街中の景色


それでも、
全体としては
慌ただしさとは無縁の時間が流れていた。

人と出会い、
言葉を交わし、
そして自然に離れていく。

関係をつくろうとする力は、
以前よりも弱まっていた気がする。

それでも、
出会いは豊かだった。

むしろ、
関係をどうするかを考えなくなったことで、
ただその瞬間に存在する関係を
そのまま味わうことができていたのかもしれない。

共に過ごした人たち


英語を話すという行為も、
どこかで
「うまくやること」から
少しずつ離れていった。

伝えようとし、
受け取ろうとする。

そのやりとりの中に、
ふっと思考が止まる瞬間があった。

その瞬間、
自分が少し薄まるような感覚があった。

消えるのではなく、
境界がゆるみ、
ただその場に在る感覚に近かった。

人と関わるときの力みが
静かに抜けていったことだけは、
はっきりと覚えている。

セブでの時間は、
何かを得るためのものではなかった。

むしろ、
意味を見つけようとする衝動が
ほどけていく時間だったように思う。

なぜここに来たのか。
この体験にどんな意味があるのか。
何を学び、何を得るのか。

そうした問いは、
これまでの僕を前に進めてきた力でもあった。

けれど、
セブでは、その問いを握るほど
いまここから離れていく感覚があった。

意味を見つけることより、
ただ暮らしていること。
ただ学んでいること。
ただ人と会っていること。

そのほうが、
ずっと深くこの時間に触れている気がした。

気づけば、
身体の奥が静かになっていた。

それは、
留まる静けさではなかった。

ゆっくりと流れている静けさだった。

身体の中に、
穏やかな川が流れているような感覚。

思考も感情も現れる。
揺れることもある。
けれど、それらを押しとどめる必要はなく、
ただ流れていく。

セブでの日々は、
そんな静けさを
身体の感覚として思い出していく時間だった。

セブでの時間を終えた後、
僕はボラカイ島を訪れた。

そこにあったのは、
ただ美しい海ではなかった。

景色に吸い込まれるような感覚があった。
懐かしい、という言葉が
一番近かったかもしれない。

絵の中にいるような景色


ただそこに立っているだけで、
自分が景色の中に溶け込んでいくようだった。

何かを感じ取ろうとしなくてもいい。
意味を見つけようとしなくてもいい。
ただそこにいるだけで、
すでに十分だと感じられる時間があった。

あの景色は、
セブで静かに起きていたことを
象徴するような時間だった気がする。

流れの中に在ること。
そして、
ただ在ること。

その二つが、
矛盾せずに同時に存在できることを、
あの場所で身体が理解したように思う。

セブを離れ、日本に帰国したとき、
最初に感じたのは
「整っている」という感覚だった。

音も、
空気も、
人の動きも。

すべてが静かに配置されているように感じた。

それは安心というより、
空気と同期している感覚に近かった。

日本の静けさに触れることで、
自分の中にある静けさの存在を
あらためて感じることになった。

目を閉じると、
セブで感じていた流れの感覚が、
そのまま身体の中にあることに気づく。

場所が変わっても、
それは消えなかった。

むしろ、
より自然な形で
日常の中に溶け込んでいるように思える。

以前の自分は、
帰国したらすぐに
次の行動を考えていたと思う。

時間を無駄にしないように。
次のフェーズへ進むために。
何かを積み上げるために。

けれど、
今回はそうならなかった。

何かを始めなければならないという焦りも、
どこかへ向かわなければならないという衝動も、
以前ほどは立ち上がらない。

それは意欲がなくなったということではなく、
今は動く必要がないと
身体が知っているような感覚だった。

この旅の中で起きた変化を、
まだうまく言葉にすることはできない。

ただ、
ひとつだけ確かなことがある。

生き方の重心が、
静かに移動し始めているということだ。

以前のように、
流れをつくろうとする感覚は
ほとんどない。

気づけば、
すでに流れの中にいる。

そのことを、
頭よりも先に身体が理解し始めている。

フィリピンでの時間は完了した。
でも、そこでほどけ始めたものは、いまも自分の中で続いている。

そして、
次の旅はすでに始まっている。

海に身を委ねた時間

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