第3回|抗いの中にいたことに、気づき始めた頃
第2回で綴った日々を、
あらためて振り返ってみると、
あの頃の自分は、決して落ち着いていたわけでも、
何かを受け入れられていたわけでもなかったと思う。
むしろ、
強く抗いながら過ごしていた、
という方が正確かもしれない。
湧き上がってくる感情や感覚を、
どう扱えばいいのか分からず、
前に進もうとしては立ち止まり、
戻ろうとしては、どこかで踏みとどまっていた。
それでも不思議だったのは、
以前のように「なかったこと」にして
元の場所へ戻る、という選択が、
もう自分の中でできなくなっていたことだ。
抗っている。
確かに抗っている。
でも同時に、
その抗いの中にいる自分を、
どこかで見ている感覚もあった。
あの頃、
仲間と話している中で、
自分が「抗う」という言葉を
よく使っていることに気づいた。
多くの場合、
それは
「自分の欲求と抗い、選択をする」
という文脈だった。
欲求は、
そのまま従うと危ういもの。
人生を誤らせるかもしれないもの。
そんな前提が、
いつの間にか自分の中に
根づいていた。
欲望に基づく行動が、
より良い人生をつくる上で
障害になることを恐れ、
欲望に対して
半ば自動的に抗う。
その選択ができることこそが、
誠実さであり、
正しさであり、
強さだと
信じてきたのだと思う。
その感覚には、
仏教の思想から受け取った
観念の影響も、
少なからずあったように思う。
欲を手放すこと。
執着しないこと。
欲望に巻き込まれないこと。
それらは、
人生を整え、
人として成熟していくための
大切な姿勢として、
自分の中に住み着いていった。
だからこそ、
欲求が立ち上がるたびに、
抗うという選択が、
自然に起きていた。
抗える自分であることが、
強さだった。
けれど、
仲間との会話の中で、
「抗うことで、ありたい自分を築いてきた」
という構造に気づいた時、
なぜか胸の奥に、
小さな違和感が残った。
抗い続けることで、
自分は本当に
ありたい自分に
近づいているのだろうか。
その問いは、
はっきりと言葉になる前から、
感覚として、
すでに立ち上がり始めていた。
そして、
抗うことを強さだと
信じてきた自分の在り方が、
あの頃から、
少しずつ揺らぎ始めていた。
