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創作BL|波に名前をつけるなら(完結済)

この作品は、オリジナルバース設定のBL小説です。世界観のご案内はこちら(読まなくても大丈夫)

1話ずつ読みたい方はこちら(わたしの個人サイトに飛びます)。

▼あらすじ

彼の名は結城。消えようとしていた僕の前に、突然現れてしまった人。

〝春の海〟と呼ばれる波に、僕は呑まれて生きてきた。
世界は時々、呼吸ができないほどまぶしくて、愛されることすら怖くなる。
だけど結城は、何も言わず隣にいてくれた。
手を伸ばせばそこにある静かなぬくもりが、僕の世界を少しずつ変えていく。

これは、生きることに怯えながらも「二人」で波を越えていく、ささやかで確かな日々の記録。
──もしこの波に名前をつけるなら、僕は迷わず、あなたの名前を呼ぶ。


波に名前をつけるなら

プロローグ

 この世界には、名前のない波がある。ある者はそれを〝春の海〟と呼び、ある者はただ、怯えたまま沈んでいった。

 笑っていたと思えば、急に泣き出す。誰よりも未来を語りながら、翌朝にはすべてを終わらせようとする。
 医者も学者もその理由を知らない。けれど、統計は語っている。春の海に呑まれた人々のほとんどが、二十五歳までに姿を消している。

 そこに、ただ一つの例外がある。──傍らに〝冬の海〟がいた者は、生き延びる。

 冬の海。波を持たない海。その静けさと孤独で、春の波を受け止める者たち。

 科学はまだ、その関係を解き明かせていない。
 愛か、共鳴か、それとも単なる偶然か。

 けれど、僕は知っている。
 あの日、彼が僕の名前を呼んだ時。この波に、初めて意味が生まれた。
 この波に名前をつけてくれたのは──彼、結城だった。


01 最後の夜

 綾音 璃緒、二十三歳。その夜、僕は死ぬつもりだった。正確に言えば、朝が来る前に全部を終わらせたかった。街が目を覚ます前に、もうこの世界と手を離してしまいたかった。
 遥か下にある線路を見下ろす。ヘッドライトが差したら、柵を登る。迷惑だなんて、かまっていられない。けれど出会いは突如訪れた。
 誰も通らないと思っていた歩道橋に、その人は立っていた。コートのポケットに手を突っ込んで、空を見上げていた。ずっといたのかもしれない。気付かなかった。あちらも僕の気配に気付いたのか、彼はゆっくりと顔を向けた。
「……寒くない?」
 その声が、なんだか場違いすぎて、笑いそうになった。笑えるわけないのに。こんなところで、こんな夜に、声をかけてくるなんて。
「あんた、誰?」
「通りすがり」
 たしかにその通りだった。僕の人生なんかに、関係ないはずの人だった。でも彼は、僕の横に立って、何も言わずにもうしばらく空を見ていた。星がほとんど見えない夜だった。空は濁っていて、風が冷たかった。
「……落ちる前に、名前だけでも教えて」
「は?」
「俺が最後に話した人が、誰だったかくらい、覚えておきたいから」
 その一言で察した。この人も、死ぬつもりだったんだ。だけど「名前を教えて」だなんて、そんなこと言ってくれる人、今までいなかった。ずっと一人だった。この人もそうだったのかもしれない。
「僕は璃緒。あんたは?」
「水野 結城。一緒に飛ぶか?」
「……やめとく。明日にする」
「それがいいな。人身事故で電車が止まってる」
 耳を澄ますと、遠くのホームで人がごった返しているように見えた。僕より先に死んだ人がいる、それだけで今日死ぬ理由も失ったように思えた。
「……〝春の海〟、だったのかな」
「かもな」
「来世は──」
 凪の中に生まれてこられますように。自分だって命を絶とうとしていたくせに、涙が出た。結城がポケットからハンカチを取り出して頬を拭った。この人も死のうとしていたんじゃないのか? そんな折にいちいちハンカチなんか持っているだろうか。ああ、お堅い仕事なのかな。
「冷えてる。家はあるのか?」
「うん……でも、一人になりたくないかも」
「じゃあうちに来な」
 手を引かれた時、悟った。この人は、今までに出会った人とどこか違う。そう思ったのは一瞬だけど──確かにこの出会いが〝救い〟になった。そして全てが始まったんだ。


02 朝に残っていたもの

 最初に目に入ったのは、見知らぬ天井だった。窓のカーテンが薄く光を透かしている。外は朝らしいけど、音はない。頭がぼんやりしていて、ここがどこだったか、少しの間分からなかった。
 けれど、頬に残った涙の跡と、毛布の温度で思い出す。僕は昨夜、死のうとしていた。そこに、一人の男がいた。──結城。
 彼の名前と、歩道橋の冷たい風と、最後に握られた手の強さ。ぜんぶ夢だったようにも思えるけれど、ソファの端に折りたたまれたもう一枚の毛布と、テーブルに置かれた緑茶のペットボトルが、それを否定していた。
 家庭的な空気。でも誰もいない。
「仕事、行ったのかな」
 言葉にしてから、自分がその人の生活を想像してしまったことに気付く。まだ一晩しか経ってない。名前を知っただけの他人を気にかけるなんて、おかしいのに。でも、この部屋はそれほどに優しかった。きっと、持ち主もそうなんだと思った。
 スマホを取り出して、「冬の海」と検索してみる。いくつかの記事がヒットする。〝春の海〟との関係性。パートナーがいれば生存率が上がる、という言葉に指先が止まる。
「……ほんとに、そんな人いるの?」
 不意に玄関から音がして、ドアが開いた。
「あ、起きた?」
 結城だった。ネクタイを緩めていて、手には紙袋とコンビニのコーヒー。
「忘れもんした。ついでに朝飯買ってきた」
「……え、ありがと」
「仕事、午後からにした。もうちょい寝ててもいいよ」
 そう言いながら、彼はソファに座った。何か言おうとして、やめたような顔をする。僕はその沈黙に、少しだけ勇気を出して踏み込んだ。
「昨日、なんで声かけたの?」
 結城は少し目を伏せたあと、コーヒーを口に運んだ。
「俺も、何度も飛ぼうとしたから」
「……やっぱり、僕と同じじゃん」
「うん。でも、できれば……助けてみたかった」
「どうして」
「ずっと、誰かにしてもらいたかったことを、してみたかったんだと思う」
 僕は言葉をなくして、彼の手を見た。昨日、あの歩道橋で、僕を生きる道へ導いた手。もしかしたら、この人は〝冬の海〟なのかもしれない。そんな言葉が頭をよぎって、でも口には出せなかった。だって、もしそうだったとしても──そんなふうに名前をつけてしまったら、離れられなくなってしまう気がしたから。


03 別れの時

 目を覚ますと、夜になっていた。ずいぶん眠っていたみたいだ。窓の外は群青色に染まっていて、カーテンの隙間からちらちらと街灯の明かりが覗いている。
 まだこの部屋にいることに気付いた瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。安堵なのか、戸惑いなのか。この部屋の空気が、僕を拒んでいなかったことが、少しだけ怖かった。
 こんなふうに、誰かの部屋で夜を迎えたことなんて、これまでなかった。眠るための場所は自室かホテル。実家を出てから人の気配がある部屋は、ずっと避けてきた。けれどこの場所は、違っていた。ぬるくもない、冷たくもない。音のない優しさに包まれていた。結城の気配。あの人が僕に何も強制しなかったことが、こんなにも居心地をよくしてしまうなんて。
「やば……寝すぎた」
 スマホを見ると、十八時を過ぎていた。少しだけ、胸がちくりと痛んだ。迷惑かけたかも、と。僕は何者なんだろう。昨日、自分の命を終わらせようとしただけの、顔も知らない相手に助けられて、今こうして部屋でぬくぬくしてる。図々しい。情けない。けど、帰りたくなかった。
 玄関の鍵が回る音がして、びくりと肩が跳ねた。
「あー……寝てたな」
 変わらない調子でそう言いながら、結城が帰ってきた。今度はスーパーの袋を手に持っている。
「ほい。夕飯買ってきた」
 言葉が出なかった。優しい人だ。僕の中の「大人」というイメージと重なる、けれどどこか人間くささもあって、完璧じゃないところが心地いい。そんな人が、なんであんな夜に、あんな場所にいたんだろう。──〝冬の海〟。やっぱりその言葉が脳裏をよぎる。
 袋の中には、唐揚げ弁当がふたつ。温かさが伝わる。受け取ると、胸の奥がじんと熱くなった。
「そろそろ帰る。仕事あるから」
「仕事って、何してるんだ?」
「……配信者。一応、顔出しでやってんだけど」
「え、ほんとに? それで生活できてんの?」
 驚いた顔で、結城は僕の顔をまっすぐ見た。その目に、見下しも軽蔑もなかった。ただ、純粋に驚いていた。興味のほうが近かった。
「フォロワーはまあまあいるから」
「昨日、一人って言ってたよな」
 その一言が、胸に刺さる。
「……誰かいたら、昨日みたいなことにはならないでしょ」
 そうつぶやいて、僕は目を伏せた。誰もいない夜が何度あったかなんて、数えても意味がなかった。言葉にすれば惨めになるだけだと、ずっと思っていた。でも、結城の前では、なぜか隠す必要がないような気がした。
 気付くと、彼が名刺を差し出していた。
「役所の人間って、こういうとき名刺出すもんなのか知らんけど。今、これしかないから」
「……役所の人なんだ」
「うん。でも、仕事で連絡してほしいわけじゃない。なんか……困った時とか、そういう時」
 迷わず名刺を受け取った自分に驚いた。やっぱり心のどこかで期待していた。そんな自分を嫌悪しながら、それでも嬉しいと思う気持ちを止められない。
「じゃあ……困ったら、ここに来てもいい?」
 その言葉は、自分でも意外だった。でも、出てきてしまったのだから、仕方がない。この部屋の匂いを、音を、ぬくもりを、忘れたくなかった。結城は眉をひそめた後、顔を逸らしながらぼそりと言った。
「いや、困ってなくても来ていい」
 心臓が、一瞬だけ跳ねた。


04 名前を呼んで

 ある夜。運動がてら外に出るのは夜にしているけれど、部屋に帰ってすぐ、照明をつけるのが嫌だった。蛍光灯の白さが、一人きりであることを際立たせるから。
 静かすぎる空気が、耳に刺さる。結城の部屋にあった、やわらかい静けさとは、まったく違った。ここはただ、孤独が反響する場所だ。
 ベッドに倒れ込んで、スマホを見つめる。フォロワー数。コメント。案件の通知。いつもの「世界」のはずなのに、今日はどこかノイズのように見えた。
 あの日、結城の隣にいた。名前を呼んでくれた。帰ってきてくれた。……ほんの一晩一緒に過ごしただけで、こんなにも「戻れなくなる」なんて思っていなかった。
 なんとか呼吸を整えて、スマホを立てる。ライトはつけない。顔の半分が影になるくらいがちょうどいい。ライブ配信のアプリを立ち上げて、カウントダウンの画面をぼんやり見つめる。3、2、1──。
「こんばんは、りーおんです!」
 声が震えていないか気にしながら、いつもの挨拶をする。画面の向こうには、いつも通りのコメントが流れてくる。
《待ってた!》
《今日もかわいい》
《ちょっと元気なさそう?》
「うん、ちょっとお昼寝しすぎちゃって。寝起きのまま来ちゃった」
 笑ってみせるけど、頬がひきつるのがわかる。何を話していいのか、分からなかった。あの日のこと。結城のこと。名前を呼ばれたこと。そればかりが頭の中で波のように何度も打ち寄せて、上手く言葉が出てこない。
「今日は、ゆるっと喋るね。トークテーマ、えっと……最近あった嬉しかったこと、何かあったっけ……」
 指が、震えていた。コメント欄の言葉が、やけに遠く感じた。誰の言葉も、届かない。僕は今、誰ともつながっていない。ひとりぼっちだ。画面を見つめる目が、ぼやけた。
「……ごめん、ちょっと緊急事態。またつなぐね!」
 その一言を残して、配信を切った。何人が見ていたのか、知りたくなかった。部屋の空気がまた、冷たkしみてくる。息を吸おうとして、上手くできなかった。涙が止まらなかった。息が詰まった。
 気付いたら、玄関に立っていた。スマホだけ握って、コートのポケットに名刺が入っていることを確かめて。
 外に出ると、風が痛かった。けれど、木々を揺らす音が、かすかに漏れる嗚咽をかき消してくれた。足が動いた。走った。理由なんていらなかった。
 結局連絡もせず結城の家の前まで来て、インターホンを押す手が震えた。こんな時間に、迷惑じゃないか。でも、帰りたくなかった。どこにも帰りたくなかった。帰れる場所が、ここしかないと思ってしまった。
 数秒の沈黙のあと、ドアが開いた。パーカー姿の結城が、そこにいた。
「……璃緒?」
 僕はしばらく声を出せないまま、立ち尽くした。泣きじゃくりながら、ようやく一言だけ絞り出した。
「困ったから、来た」
 結城は何も言わずに、僕の腕を引いた。静かに、あの部屋の中へ、あたたかさの中へ、あの夜みたいに導いてくれた。


05 冬の海の部屋

 部屋の空気は、こないだと変わらなかった。結城は言葉を選ぶでもなく、何かを問うでもなく、ただ僕を招き入れた。照明はついていたけど、やさしい色だった。あの白い蛍光灯じゃない。まるで、この部屋の時間だけが、別の軸で流れているみたいだった。
 僕はソファに座って、落ち着かない手でコートの裾を握った。情けなさと安堵と、泣いた疲れがぐちゃぐちゃに混ざって、上手く言葉が出なかった。
「腹減ってない?」
 結城が、キッチンの方から声をかけてくる。僕は首を横に振った。たぶん、何を食べても味がしない。そのまま黙っていたら、彼がソファに腰を下ろした。目が合って、視線を逸らしたのは僕の方だった。
「なあ、璃緒」
 名前を呼ばれたことに、心臓が跳ねた。あの夜と同じ声だった。落ち着いていて、でも、どこか手探りみたいな優しさを含んでいた。
「一緒に暮らさないか?」
「……は?」
 思わず声が裏返った。
「別に今すぐとかじゃなくて、少しずつでも。いきなり無理なら、週の半分とかでもいい。……なんか、そういうの」
 戸惑った。嬉しかった。でも、戸惑いのほうが勝った。
「……迷惑じゃない?」
 僕の声は、羽のように弱かった。結城は一瞬目を伏せて、そしてふっと笑った。
「俺、天涯孤独でさ。で、結構ヒマなんだよな」
 冗談みたいな言い方だった。けど、声の奥に、ほんの少しだけ乾いた音が混じっていた。
「天涯孤独?」
「うん。両親もいないし、親戚とも疎遠。友達は……まあ、たまに飯行く奴くらいはいるけど。仕事して、寝て、また仕事して……みたいな」
 淡々と語るその言葉に、僕の胸がぎゅっと締めつけられた。この人は、間違いなく〝冬の海〟だ。
 冬の海は、穏やかで、広くて、〝春の海〟の荒波を受け止めてくれる。けれど、誰にも見えないほどの深い孤独を抱えていることがある。その孤独を、人に見せないだけ。結城も、そうだった。
「……結城は、強いね」
「別に強くないよ。慣れてるだけ」
「でも、僕のこと……呼んでくれたじゃん」
 その一言が出てきたとき、自分でも少し驚いた。僕はこの人に、もっと近づきたくなっている。名前を呼ばれるたびに、世界の端っこじゃなくて、ちゃんとここにいるような気がする。
「……なあ、璃緒」
「ん?」
「困ったら来ていい、って言ったけどさ。困ってなくても、いてくれたら、嬉しいから」
 僕は答えなかった。けれど、うん、と小さくうなずいた。うなずけた自分に、また少し泣きそうになった。


06 暮らしてみよう

 リュック一つで引っ越してきた、というのもどうかと思うけれど、僕の荷物はそれだけだった。服と、パソコンと、充電器。それから、仕事道具と呼べるほどの機材。ぬいぐるみひとつ。それだけをぎゅうぎゅうに詰めたら、意外と軽かった。
「……これで全部?」
 玄関で靴を脱ぎながら、結城が振り返る。僕は「うん」とだけ答えた。
「ミニマリスト?」
「ただの、諦め体質」
「なんだそれ」
 苦笑する声が、やさしく耳に落ちる。これが「同居」と呼べるものなのか、わからない。まだ僕は帰る場所を他に持っているし、荷物だって、厳密には「持ち出した」というより「置いてきただけ」かもしれない。でも、少なくとも今夜はここにいて、朝を迎えるつもりだった。
 連れていかれたベッドルームの隅に、寝具の一式が置かれていた。結城が朝のうちに買っておいてくれたらしい。新品の布団、まだビニールのにおいが残っている。
「床でごめんな。とりあえず今夜はここで」
「ううん、全然……ありがとう」
 ありがとう、って言うのは、今日だけで何回目だろう。それを言うたび、ここにいていいのか不安になる。けれど、それを言わないともっと不安になる。
「……物、少ないんだな」
 リュックの口を開けたまま手を止めていた僕に、結城が言った。何かを咎めるでもなく、ただの感想のように。
「持ちすぎると、いろいろ失くすのが怖くなるから。だったら、最初からないほうがいい」
「そっか」
「……まあ、って言ってもこれは手放せなくて」
 そっと取り出したのは、小さなイルカのぬいぐるみ。名前はあかり。グレーのふわふわの子で、配信では何度か登場している。
「なんか、見たことある」
「SNSで出してるから、たぶん」
「……かわいいな」
 さらっと言うから、余計に困る。反応に詰まって、ぬいぐるみをぎゅっと抱え直す。
「……布団敷く」
「あ、俺やるよ」
「いいの、自分の場所くらい、自分で整えたい」
 そう言って敷布団を床に広げたとき、自分の声が少しだけ強くなっていたことに気付く。この部屋で〝生活〟することに、ほんの少しの実感が湧いた気がした。
 夜、僕たちはほとんど会話をしなかった。結城は書類に目を通していて、僕は配信を見送って、パソコンでスケジュールの整理をしていた。テレビも音楽もつけないまま、それぞれの時間を過ごしているのに、なんだか心は落ち着いていた。たまに視線が合うと、ふっと笑い合う。それだけで、安心した。
 日付が変わる頃、僕は布団に潜り込んだ。けれど、目を閉じても、なかなか眠れなかった。心臓の鼓動が、耳の奥でやけに大きく響いてくる。明日になったら、ここにいる理由が消えてしまう気がして、怖かった。
 起き上がって、そっとリビングの戸を開けると、まだ灯りがついていた。結城がソファに座って、薄い毛布を肩にかけていた。
「……寝てないの?」
「うん、まだ少し。璃緒は?」
「なんか、寝つけなくて」
 しばらく沈黙があって、結城がぽつりと言った。
「俺もさ……人の気配があったほうが、逆に寝やすいタイプかも」
「え、ほんと?」
「うん。なんか、誰かが生きてるって感じがすると、落ち着くんだよな」
「……わかるかも、それ」
 目が合って、二人で少しだけ笑った。その瞬間、少しだけ心が軽くなった。
「おやすみ、璃緒。すぐ行くから」
「……うん。おやすみ、結城」
 名前を呼ばれた夜が訪れて、不思議とさっきよりもよく眠れる気がした。


07 二人の朝が始まる

 パンの焼ける匂いで目が覚めた。こういう目覚め方をしたの、いつぶりだろう。寝起きの頭でぼんやりとカーテン越しの光を見つめながら、どこかで小さく鍋のふたが当たる音がした。
 結城のいる朝だ、と気付いた。確かにこの家で一緒に暮らすことにしたはずなのに、「誰かの気配がある朝」というのは、まだ不思議で。
「……おはよう」
 リビングに顔を出すと、結城がパーカー姿でキッチンに立っていた。トースターからふわっと香ばしい香りが広がっている。
「お、起きたか。寝癖すごいな」
「……わかってる」
 手ぐしで髪を押さえながら、テーブルにつく。コップに水が用意されていて、勝手に口が「ありがとう」と言っていた。
「朝飯、食う?」
「食べていいの?」
「作りすぎたから、手伝って」
 トースト、卵、ウインナー。それから、インスタントだけど味噌汁。コンビニの袋を見ればわかる。今朝わざわざ買いに行ってくれたんだ。
「……朝ごはん、ちゃんと食べるの、久しぶりかも」
「はは。一人だとサボりがちになるよな」
「だよね……」
 こんなふうに、同じ言葉で頷き合うのは、少しだけ心地よかった。ゆっくり噛んで、ゆっくり飲んで、ただそれだけなのに、妙に静かで、落ち着いていた。
「前さ、医者に言われたことあるんだよ。『一緒に食事をしてくれるような人がそばにいると、生活が安定する』って」
「へぇ……」
 結城って、そういうことをわりとさらっと言うんだ。でもその一言の裏には、ひとりで頑張っていた時間があるんだろうなって、なんとなく分かった。
「じゃあ……僕がそういう人になろっか」
 ふと、そうこぼしていた。照れとかもなく、ただ本気だった。でも言ってから、我ながら大胆すぎたかと目を逸らした。
「助かる。マジで」
 あっさり返されて、逆にちょっと拍子抜けした。でも、悪くなかった。むしろ、心が少しだけ浮いた気がした。
「……明日も、一緒に食べる?」
 言った瞬間、胸がじんとした。「今日だけじゃない」ってことを、自分の口から確かめたくなった。結城は、少しだけ笑ってうなずいた。
「もちろん。パン、明日の分も買ってある」
「用意いいね」
「生活力だけはあるんだよ、俺」
 そう言って笑った結城の顔を見て、僕も少しだけ笑えた。こうして、二人の朝が始まった。


08 ちょっとしたこと

「お前さ……服、黒ばっかじゃね?」
 洗濯物をたたみながら、結城がぼそっと言った。結城の分まで手伝ってるのに、そんなこと言われる筋合いはない。そう思いつつ、僕は返す。
「落ち着くから、黒。配信の時も、そんなに映えないほうがいいし」
「へぇ、でもさ」
 結城は、僕のTシャツを手に取って首をかしげる。
「例えばこれ、ちょっと赤が入ってるだけで印象変わるかもって思うんだけどな」
 不意に、心臓が跳ねた。なんでもない日常のなかで、結城の言葉だけがやけに響く。
「……そういうの、苦手」
 声が少しだけ刺々しくなった。思っていたよりも。
「ごめん、似合いそうって意味で」
「分かってる。でも、なんか……慣れてないだけ」
 似合うって言われたことも、気にかけられることも。そういうの全部、どうしても照れくさくて、まだまっすぐ受け取れない。
 結城はそれ以上なにも言わずに、黙って洗濯物を畳み続けた。その無言の距離が、ありがたかった。少しだけ、申し訳なくもあった。
 夕方、結城の提案で一緒にスーパーへ行くことになった。家にふたりでいると、どうしても生活が見えてくる。調味料の残り、食パンの数、洗剤のストック。
「なんか俺ら、めちゃくちゃ同棲カップルみたいだな」
「……〝みたい〟じゃなくて、そうなんじゃないの」
 言ってから、顔が熱くなった。結城は振り返らずに、カゴを持ったまま笑ってた。
 お菓子売り場で、僕が目をやっていたジュースを、結城は何も言わずにカゴに入れた。
「なんで覚えてんの、これ好きなの」
「前に飲んでたから。冷蔵庫に、同じやつあったし」
「……いつの間に、そんなとこ見てんの」
「実は見てんだよ」
 それが、どうしてだか、すごくずるい返しに聞こえて、僕はもうなにも言えなくなった。
 夕食を終えた後、僕たちはいつものように、リビングと寝室で別々の時間を過ごしていた。僕は敷布団の上で、パソコンで作業していたけれど、さっきの会話が頭から離れなかった。
『実は見てんだよ』
 その言葉が、くすぐったくて、でもちょっとだけ苦しくて、胸の奥で何度も反響していた。
 寝室のドアがかすかに開いて、結城の声が届いた。
「おやすみ、璃緒。そろそろ寝るだろ」
 声が出なかった。返事をすれば、なにかが変わってしまうような気がして。でも、閉じた扉に、返さなかったことのほうが、胸に残ってしまった。
 名前を呼ばれるたびに、心が追いつかなくなる。けれど、それでも、僕はまた明日も、この朝と夜を繰り返したいと思っていた。


09 波の底にいる日

 土曜日。起きようと思って目を開けたのに、体が動かなかった。頭の奥が重くて、手足がしびれているわけでもないのに、力が入らない。寝すぎたせいじゃない。寝足りないのかもしれない。いや、本当はどっちでもいい。どっちでも、今は起きられなかった。
 気配がした。リビングで結城が何かを用意している音。食器が触れる音。コーヒーの香り。
「璃緒ー、パン焼けたぞ」
 ドアが開いて、いつも通りの声。けれど、喉の奥が詰まって声にならなかった。
「……いらない」
 返事をした自分に驚いた。言葉にしたことで、「何かが壊れる気がする」と思ったのに、それでも出てしまった。
 数秒の間があって、結城はそれ以上なにも言わなかった。
「じゃあ、あっちのテーブルに置いとく。腹減ったら食えよ」
 その声が救いだった。僕の波が、全部を押し流す前に、ちゃんと岸があると思わせてくれる声だった。
 ドアの向こうで、足音が遠ざかっていく。その音が、無性に優しく思えた。放っておくんじゃなくて、そばにいるけど、踏み込まない。そういう選び方ができる人なんだと思った。
 布団の中に沈みながら、ふと昔のことを思い出した。
 体が動かない朝。声も出せないまま学校を休んだ日。玄関から聞こえた、母の言葉。
 『怠け癖がついてるんじゃない? 根性でどうにかなるでしょ』
 ……そうじゃない。と思っても、伝える気力すらなかった。
 僕は誰にも理解されなかったというより、理解されようと思わなくなっただけなのかもしれない。でも、結城は──何も聞かなかった。何も言わせようとしなかった。
 気付けば、日が傾いていた。部屋のカーテンの隙間から、オレンジ色の光が差し込んでいる。まだ体は重い。でも、呼吸が少しだけしやすくなった。
 ドアの向こうで、また気配がする。物音ではなくて、気配。結城が、そこにいる。今、寝室から出なくちゃいけない気がして、僕はドアを開けた。
「おはよう。今日は、何もしなくていいから」
 結城が言う。落ち着いた、少し低めのトーン。
「パン食べるなら、食器もそのままでいいし、スケジュールが許すなら配信もしなくていい」
「……うん」
 小さく返事が漏れた。自分でも驚くほどかすれた声だった。
「休んでていい。……ここにいる限り、俺が見てるから」
〝見てる〟という言葉が、不思議とあたたかかった。監視じゃなくて、見守るという意味で言ってくれてるのが分かったから。
 テーブルの上に置かれていたトーストは冷めていたけど、まだそこにあった。何も言わずに、イスに腰を下ろして、一口だけかじる。バターが沁みていて、思ったよりもしょっぱかった。
 結城は、ソファで本を読んでいた。僕が座ったことに気付いても、視線を向けなかった。その静けさが、ありがたかった。でも、何かを言わなきゃと思って、小さくつぶやいた。
「……僕、ここにいていいんだよね」
 結城は、本のページをめくる手を止めて、ぽつりと答えた。
「嬉しい、って言っただろ」
 それだけ。それだけで、また少しだけ、呼吸がしやすくなった気がした。


10 誰にも見えない場所で

 久しぶりに、ちゃんと眠れそうな夜だった。薬が効いてきたのか、結城と少しだけ笑い合えたからか──わからないけど、少しだけ呼吸が楽に感じていた。
「俺、今日は早めに寝るわ」
 そう言った結城は、いつもよりほんの少しだけ疲れて見えた。僕はリビングに残って、スマホの画面をぼんやり眺めていたけど、集中できなかった。ニュースアプリを開いては閉じて、SNSのタイムラインを見ても、誰の言葉も心に入ってこなかった。
 カップに残ったぬくもりだけが、そこに誰かがいた証みたいで、手放せずにいた。
 結城のことが、気になっていた。ちゃんと眠れてるだろうか。あんな顔、初めて見た。僕が泣き出したときも、怒鳴ったときも、あの人は何ひとつ崩さなかったのに。さっきは、ほんの一瞬だけ、何かにつぶされそうな目をしていた。
 気付くと、立ち上がっていた。そっと、足音を忍ばせて寝室の前に立つ。ドアは少しだけ開いていた。
 結城はベッドの中で、ただ天井を見つめていた。目を閉じていない。呼吸は浅く、何かを考え込んでいるようだった。たまに、寝返りでもない動きで、拳を握ったり緩めたりしている。
 僕は、そこから動けなかった。──知らないふりをしてきた。強い人だと思っていた。でも、そうじゃなかった。結城は誰よりも、静かに、孤独の中にいる人だった。
『誰かが生きてるって感じがすると、落ち着くんだよな』
 あの時の言葉が、今になって、胸の奥でじわじわと染みていく。僕がこの部屋で、ようやく生きようとしてるみたいに、結城もまた、誰かと一緒に〝生きる場所〟を探していたんじゃないか。
「……結城」
 ほんの小さな声だったけど、彼の耳には届いたらしい。結城が、そっと顔をこちらに向けた。
「どうした?」
「……眠れそうになくて」
 結城は、僕を責めるでも、驚くでもなく、ただ一度だけ瞬きをして、やわらかく布団をめくった。
「入るか?」
 その優しさに、胸がぎゅっとなった。
「……うん」
 掛け布団の端をそっと持ち上げて、僕は隣に横になった。結城の体温が近くて、鼓動が少しだけ早くなる。
「ありがと」
 そう呟くと、結城は「ん」とだけ返した。その目は天井を見つめたままだった。
 しばらくの間、どちらも何も言わなかった。時計の針が進む音と、静かな呼吸だけが部屋にあった。やがて、結城がぽつりとつぶやいた。
「俺さ……人に頼るの、苦手なんだよな」
 突然の言葉に、横目で彼を見た。
「昔さ、親が事故で死んで、その後はずっと一人だった。誰かに何かを頼んでも、応えてくれる人がいないのが当たり前で。だから、自分でどうにかする癖がついた。……っていうか、諦め方だけ、上手くなった」
 低くて穏やかな声だった。でも、その中にある静かな重みが、胸を締めつける。
「結城のこと、強い人だと思ってた」
 僕がそう言うと、結城は目を伏せて、少し笑った。
「強がりは得意かもな。慣れてるから」
 ──冬の海。優しくて、深くて、でも底のほうには、誰にも触れられない孤独が横たわっている。僕はそっと、自分の手を結城の手のそばに置いた。触れるか触れないかの距離。まるで、お互いの境界線をなぞるみたいに。
「俺……璃緒のこと見てるって言ったけど、俺のほうが助けられてんのかもな」
 その言葉が、夜の静けさの中でじんわりと溶けていく。
「……それなら、いいね」
「何が?」
「お互い様、ってこと」
 僕たちは、しばらく黙ったまま、並んで横になっていた。眠ってはいないけれど、どこか穏やかな気持ちだった。
「ねえ、結城」
「ん?」
「また、名前呼んでよ」
 結城は一瞬驚いたように目を丸くして、それから、ゆっくりと口を開いた。
「……璃緒」
 その一言で、心が静かに波打った。誰にも見えない場所で、互いの境界線が確かに触れ合った気がした。


11 二人の場所を探そう

 春が近づいてきた。空気の冷たさがやわらいで、窓を開けると、どこか懐かしい風の匂いがした。朝、カーテンの隙間から差し込む光に目を細めながら、僕は静かに決めた。もう、戻らなくていい。あの部屋には。
 朝ごはんを食べ終えた食卓で、僕はコーヒーを一口飲んでから、口を開いた。
「……もといた部屋、引き払おうと思ってる」
 結城はパンを口にしたまま「ん?」と聞き返して、それからわずかに目を見開いた。
「マジで?」
「うん。もう、あそこに帰る理由ないし。それに……配信部屋、ちゃんと作りたいなって」
 言葉にすると、自分の中でも輪郭がはっきりしていく。ここにいることが一時的な避難所じゃなくて、「暮らし」になる実感。
「そっか。……じゃあ、部屋探すか。ここ、手狭だろ」
「え、それって──」
「一緒に住む用の部屋。……ほら、もう俺ら〝ほぼ同居〟してるしな」
 その言い方があまりに自然で、僕は思わず噴き出してしまった。
「〝ほぼ〟って……もう〝完全〟でよくない?」
「だよな」
「寝室は一緒でいいよね?」
「もちろん」
 そんなやりとりの中で、僕たちは笑い合っていた。あたたかい光が差し込む朝。やっと、僕は「帰る場所」を誰かと一緒につくれるんだと、心の底から思えた。
 週末、僕たちは二人で不動産屋を回った。条件はシンプル。「駅近じゃなくてもいいから、ふたりで静かに暮らせること」「璃緒の配信部屋が作れること」──それだけ。
 内見に行ったのは、築浅の2LDK。マンションの最上階。風通しがよくて、リビングの窓からは街が小さく見下ろせた。
「……いいね、ここ」
 僕が言うと、結城はリビングの壁を軽くノックして「防音もいけそうだな」と笑った。
 奥の部屋は少し狭めで、壁紙が淡いグレー。陽当たりはそこそこだけど、昼間でも照明なしで作業できそうな光が入ってくる。
「ここ、璃緒の部屋にする?」
「うん。配信部屋にぴったりかも。編集作業もはかどりそう」
「はかどる璃緒、見てみたいな」
「やめて、プレッシャーかけないで」
 笑いながら、僕たちは廊下に出る。もうひとつの部屋──寝室にする予定の場所の前で、僕は立ち止まった。
「……こっちが、寝室だよね?」
「ああ」
「寝室は……」
 言いかけた僕に、結城がかぶせるように言った。
「一緒でいいよな?」
「うん。……一緒が、いい」
 部屋の中はまだ空っぽで、エアコンの音すらしない。だけど、並んで立つだけで、そこにあたたかいものが流れ込んでくる気がした。これから、ここに僕たちの生活が積もっていくんだと思うと、胸の奥がじんわり熱くなった。
「結城。この部屋にしよう」
「即決だな」
「うん。……なんか、〝ここから〟って感じがする」
 そう言うと、結城は僕の頭を軽くくしゃっと撫でて、窓の外を見た。
「じゃあ、春が来る前に、引っ越しだな」
「うん。一緒に暮らそう」
 その言葉は、風に乗って、まだがらんとした新しい部屋の空気に溶けていった。少しずつ、暮らしが「二人のもの」になっていく。そんな始まりの一日だった。


12 新しい夜に

 引っ越し当日は、久々に晴れた。
 家具の配置は前もって決めておいたから、業者の作業もスムーズだった。配信部屋には機材用の棚とデスクを運び入れ、寝室には二人分の布団とクローゼット用のボックスを。それから、リビングに猫の形をしたクッション。あれは結城が「衝動買いした」と言って持ってきたものだけど、妙に部屋になじんでいる。
 作業がすべて終わった夕方、コンビニで買ってきた弁当を床に並べて、僕たちはラグの上に座った。
「これが新生活って感じ?」
「初日だけ、な。明日はテーブルの上、ちゃんと片付けよう」
 結城が笑いながら箸を割った。僕もつられて笑ったけど、そのあと、ふと胸がざわついた。──ちゃんと、ここでやっていけるだろうか。
 僕は「変化」が苦手だ。新しい場所、新しい空気、新しい時間。全部、慣れるまでは頭がうるさくて、眠れなくなってしまう。配信も、仕事も、ちゃんとできるのか。不安がうずまく。
「……ん?」
 ぼーっとしていたら、目の前に温かいお茶の入った紙コップが差し出された。
「顔、固まってた。たぶん、〝春の海〟の揺れが来てるなって」
「……え?」
「〝春の海〟って、新生活とか、新しい環境に弱いんだろ?」
 結城の声はさらりとしていたけど、その言葉のひとつひとつが、まるで薄い毛布みたいに僕の心を包んだ。
「……調べてくれたの?」
「そりゃあな。お前のこと、ちゃんと知りたいし」
 そう言って、結城はラグの上にごろんと仰向けになった。天井を見ながら、ぽつりとつぶやく。
「無理に慣れなくていいよ。寝れない時は寝ない、腹減ったら食べる、そんくらいのペースでいい」
「……でも、迷惑かけるかも」
「うん、かけて。俺らの部屋だし」
 その開き直りみたいな言い方が、なぜだか嬉しかった。
 夜になって、寝室の灯りを落としたあとも、僕の鼓動は少し速かった。新しい布団、新しい匂い、新しい窓の外の音。全部が、慣れない。
「……結城、起きてる?」
「うん」
 すぐに返事があった。僕は布団の中で、もぞもぞと身をよじって、その背中に少しだけ近づいた。
「……少しだけ、触れてていい?」
「いいよ。つーか、こっち来な」
 結城の腕がそっと持ち上がる。僕は緊張しつつも、その胸に頭を預けた。心臓の音が、僕の不安を追い出すように、一定のリズムで鳴っている。
「なんか、思ってたより……怖いかも、新しい場所って」
「それでいいよ。怖がれるのは、生きてるってことだから」
 その言葉が、ゆっくりと僕の内側にしみ込んでいった。今日だけは眠れなくてもいい。でも、明日は少し笑えたらいい。そんな夜だった。


13 ここにいる自分

 引っ越してから、三日が経った。
 朝、キッチンに立つ結城の背中を見ながら、僕はリビングの床に置いたクッションに座っていた。天井の灯りはまだつけていない。窓から入る朝の光だけで、部屋の中は十分明るかった。やわらかい日差しに照らされたこの空間が、少しずつ「自分の場所」になっていく気がしている。
「璃緒。パン、焼く?」
「うん、お願い」
 寝起きの声がまだ眠っているように重たくて、自分でも少し笑いそうになる。
 少し前なら、こういう日常が怖かった。形のない安心なんてすぐに壊れてしまうから、手に入れるのも怖かった。でも今は、結城のいるこの部屋で朝ごはんを待っている自分を、ほんの少し好きになれる気がする。
 トースターが「チン」と鳴る。バターの匂いがふわっと広がった。
「カップ出しといてくれる?」
「あ、うん」
 慌てて立ち上がって、食器棚の一番下の段からマグカップを二つ取り出す。右手で少し手が震えるのを感じながら、それでも落とさないように、丁寧に。
「ありがとう」
 コーヒーを注ぎながら、結城が言った。その一言が、今日のはじまりの合図みたいだった。
「……ねえ、結城」
「ん?」
「そろそろ、配信部屋使ってみようかなって」
「無理すんなよ?」
「無理は、してない……と思う。ちょっとだけ、声出してみたいって思っただけ」
 小さな告白だった。でも、結城は真剣な顔で頷いてくれた。
「そっか。めっちゃいいじゃん」
 そう言って、焼きたてのパンを皿に乗せる。
「声を届けるってすごいことだと思う。璃緒の声、好きな人たくさんいるだろうし」
 その言葉に、少しだけ顔が熱くなる。
「……結城も、そう?」
「俺? 俺は、前から好きだよ」
 さらっと言われた言葉に、思わずコーヒーのほうへ目を逸らした。朝の空気が、ちょっとだけ甘くなる。
「ありがと」
 そう返した声は、前よりもほんの少しだけ、ちゃんと届いた気がした。
 配信部屋は、まだどこか「仮の場所」だった。マイクの位置もカメラの角度も、前の部屋と少しずつ違う。けれど、その違いを一つずつ受け入れるたびに、この空間が「僕の場所」になっていく気がしていた。
 ライトを調整して、カウントダウンを見つめる。3、2、1──。
「こんにちは、りーおんです」
 少しだけ、緊張の混ざった声だった。でも、画面にコメントが流れ始めると、不思議と呼吸が楽になっていく。
《おかえり!》
《久しぶり!》
《今日、背景ちょっと違う?》
《あれ?部屋変わった?》
 ──あっ。つい目を逸らしてしまう。ああ、やっぱり気付かれるんだ、と思うと同時に、画面越しの誰かが、ちゃんと僕のことを見てくれていることに、胸の奥がきゅっとした。
「あ、えっと……そう。ちょっと、引っ越しまして」
 ごまかしの利かない返答に、自分でも苦笑いが漏れる。
《えー! 引っ越し!?》
《おめでとう!? でいいのかな?》
《新居祝い配信?(笑)》
「そんな大げさな話じゃないんだけど……ちょっと、ルームシェアを始めてみたというか」
 ぽろっとこぼれた言葉に、自分で驚く。……言っちゃった。でも、変に隠すほうが気疲れするし、別に悪いことをしてるわけじゃない。
《えー! 同居!?》
《それは生活の変化すぎるw》
《りーおんが人と暮らすなんて意外!》
「自分でも、そう思ってる……」
 つい本音が漏れる。まさか誰かと暮らすことになるなんて、数か月前の僕には想像できなかった。でも、今はもう当たり前みたいに朝ごはんを食べて、同じ屋根の下で夜を迎えている。
 モニター越しの自分が、ふとリアルに感じた。ここで話しているのは、ちゃんと「ここに住んでる璃緒」だ。
「……まだ慣れないこともあるけど、思ったより心地いいよ」
 その言葉に、僕は少し驚いた。口に出してみて、ようやく気付く。そうだ。僕、心地いいんだ。たぶん、ちゃんと、生きてる。
《なんか、声がやわらかくなった気がする》
《りーおん、少し元気そう》
《それならよかった!》
「ありがとう。……ほんとに、ありがとう」
 モニターの向こうに届くかはわからない。でも、今の気持ちは、ちゃんと本物だった。


14 気付けばそばに

 休日の朝、目を覚ましたら、リビングからお皿を置く音がした。寝ぼけ眼のままドアを開けると、結城がキッチンに立っていた。
「おはよ」
 振り返った顔が、いつもより少しだけ柔らかい気がして、僕は小さく手を振った。
「……おはよう」
 まだ声がかすれていて、うまく返せなかったけど、結城は気にする様子もなく食パンをトースターから取り出している。朝ごはんの準備をしてくれていたらしい。ゆっくり近づいて、コップに水を注いで一口。喉に流れた冷たさでようやく頭が起きてきた。
「結城、もしかしてあんまり眠れなかった?」
「いや。ちょっと気になる仕事があって、目が覚めてさ。何も食わずに作業始めたら、璃緒が怒ると思って」
「……うん。えらい」
 笑ってみせると、結城も小さく笑った。気付けば、こんなふうに一緒に朝を迎えるのが、当たり前になっていた。
 パンを皿に乗せようとして、彼の指先が少し熱い場所に触れたのか、「あっ」と短く声が漏れた。「大丈夫?」と手を伸ばした僕の指と、結城の指が、ほんの一瞬触れた。それだけだったのに、心臓が跳ねた。
 結城の手はあたたかくて、僕の皮膚よりもすこしだけ荒れていた。働いてる手だ、って思った。その言葉が浮かんだだけなのに、なぜか胸がざわついた。
「……ごめん、トング買っておけばよかったな」
 そう言って手をひっこめた結城は、何一つ気にしていないふうだった。僕だけが意識してるみたいで、気恥ずかしくなる。
 食卓に並んだトーストと、目玉焼きと、サラダ。何気ない朝のはずなのに、「ふたりでいる」ってことが、やけに現実味を帯びて見えた。──二人で起きて、二人でごはんを食べる。そんな日々の中に、気付けば溺れそうになっている。
 テーブルの向かいで、結城が口を動かすたびに、僕の視線はそこに引き寄せられてしまう。いつから、こんなふうに見てしまうようになったんだろう。
「トースト、焦げてない?」
 尋ねる結城に、僕は首を振った。
「ううん、おいしい」
 それは本当だった。ほんのりバターの香る耳までしっかり焼けたパン。焦げてるかどうかなんて、どうでもよくなるくらい、今この時間が心地よかった。
「そっか、よかった」
 ふっと息をつくように笑った結城が、マグカップを両手で包み込んでいる。その仕草が、やけに静けさを帯びて見えた。いつもと同じはずなのに、少しだけ違う気がして。
「……ねえ、結城」
「ん?」
「誰かと一緒に朝ごはん食べるの、いつぶり?」
 自分でも、どうしてそんなことを聞いたのか分からなかった。けど、聞いてみたかった。結城は少しだけ考えるように目を伏せて、それから首を振った。
「言ったろ、天涯孤独だって。社会人になってからは、璃緒が初めてだよ」
 その言葉が、胸の奥を軽くノックした。
「……そっか」
 さみしいけれど嬉しいような、照れくさいような、複雑な気持ちがじわじわと広がっていく。
「俺さ、朝は静かなのが当たり前だったけど、誰かがいてくれるのっていいな、って思ってる」
「……うん」
 それ以上、何も言えなくなって、僕はただ小さく頷いた。うつむいたままでも、きっと顔が赤くなっているのは伝わってしまっている。カップの中のコーヒーをひと口飲むふりをして、視線を隠した。それでも、結城の言葉は胸の奥に残り続けていた。
 ──僕は、好きなんだ。この人の隣にいる朝が。


15 名前を呼ばれるたび

 配信を終えた後の部屋は、どこか満たされたような、でも少し空っぽにも似た静けさがあった。パソコンの前で一息ついた僕に、結城がドアから顔を出して「お疲れ」と声をかけてくれた。
「喉、乾いてるだろ。お茶淹れるから」
 聞こえてくる水音とカップの音。それだけで、帰ってきた気がする。配信中はたしかに「外の世界」とつながっていたのに、今こうして「ここ」にだけある気配に包まれると、すごくほっとする。
「はい、ノンカフェインにしといた。熱いから気をつけて」
 差し出されたマグを両手で受け取る。指先に、あたたかさがじんわり染みてきた。
「ありがとう、結城」
 名前を呼ぶと、すぐに返ってくる。
「……璃緒」
 何気ない呼びかけだったのに、なぜか心臓が跳ねた。目が合う。だけど、すぐに逸らしてしまう。あたたかいはずの紅茶を飲んでも、なんだか喉がこそばゆかった。
 でも、結城の前ではちゃんと呼吸ができる。そう思った。呼吸の仕方なんて、今まで考えたこともなかったのに。たぶん、今までちゃんとできていなかったんだ。
「落ち着いた?」
 結城が床に座って、僕の顔を見上げる。
「……うん。緊張してたかも、今日の配信」
「そう? 見てたけど、全然分からなかった」
「慣れてるから、そう見せてるだけ。……ほんとはちょっと、不安だった」
「でも、ちゃんとやれたんだな」
 その言い方が、ひどく優しかった。僕は言葉を失って、ただお茶に口をつけた。名前を呼ばれるたびに、目を見られるたびに、心の奥が震える。
 ふと立ち上がった結城の手が伸びてきて、僕の前髪にふれた。
「……寝ぐせ。朝からついてんのか? こっち向いて」
 そう言って、そっと指先で撫でるように整えてくれる。たったそれだけの仕草なのに、心臓が喉の奥でバクバク鳴って、声が出せなかった。あたたかくて、やさしくて、何も壊さないような手だった。
 ──好き、って。言いかけた言葉が、胸の奥で止まる。言ってしまったら、戻れない気がした。関係が壊れてしまうのが、今みたいに笑い合えなくなってしまうのが、怖かった。
「……やめてよ。恥ずかしいじゃん」
 ごまかすようにそう言うと、結城は少し笑った。
「何が?」
「……別に。なんでもない」
 これは恋なのかもしれない。──でも、それを言葉にするにはまだ早い気がした。ただ一つだけ確かなのは、この人が、僕にとって「大事な人」になりつつあるということ。
 少し前まで、知らなかった名前。今では、呼ぶだけで心が揺れる名前。
「……結城」
「ん?」
 今度は、それ以上何も言わなかった。ただ、その声が返ってきたことに、ほっとしていた。


16 触れたくなる夜

 灯りを落としたリビングには、さっきまでの会話の温度がまだ残っている気がした。結城が食器を洗う音、水の跳ねる小さな音だけが、部屋の静けさをゆっくりと撫でていく。
 ソファに座ったまま、僕はぼんやりと結城を見つめていた。何か言いたいことがある。でも、それが何なのか、まだわからない。ただ、胸のあたりがずっとざわざわしている。
「……璃緒、どうした?」
 顔を上げた結城と目が合った瞬間、呼吸が浅くなった。慌てて目を逸らして、ううん、と首を振る。
「なんか、落ち着かないだけ」
 そう答えたけど、違う。落ち着かないんじゃない。触れたくて、しかたないんだ。気持ちが、言葉になる前にこぼれてしまいそうで、怖い。
 ──今夜、もし結城がもう一歩近づいてきたら。
 ──もし名前を、あの声で、もう一度だけ呼ばれたら。
 きっと僕は、もう、平気でいられない。結城が手元に視線を戻したのを見て、僕はそっと立ち上がった。冷めかけたお茶を持って、テーブルのイスに座る。
「……飲み終わるまで、もうちょっとだから」
「うん」
 それだけの会話だった。でも、沈黙は重くなかった。いつの間にか、僕たちはそういうふうに、無理に話さなくても平気になっていた。音のない時間が、心地よく思えるようになっていた。
「さっき、言わなかったけど。今日の配信、途中で声、震えてた」
 不意に、結城が言った。
「え……、分かった?」
「分かるよ、聞ける時は聞いてるから」
 からかうでも、責めるでもない声だった。少しだけ、嬉しかった。
「……なんか、そういうとこ、ずるいな」
「ずるい?」
「優しいから……ずるい」
 結城は目を細めて笑った。僕の言葉の奥にあるものを、全部わかっているみたいな笑い方だった。少しだけ距離が近くなった気がして、体の芯があたたかくなる。だけど同時に、怖くもなる。近づきすぎたら、壊れてしまうかもしれない。
 そのくせ──ふと、手が触れたら、もう逃げられない気もしていた。
「……あのさ、結城」
「ん?」
「さっき……髪、触られたとき」
「うん」
「なんか……変な感じだった」
 変な感じ。ひどく曖昧な言い方だったけど、それ以上上手く言葉にできなかった。
「嫌だったか?」
 結城の声は、少しだけ低かった。
「……ううん。嫌じゃない。むしろ……」
 でも、それ以上は、言えなかった。言ってしまったら、本当に変わってしまう気がして。僕はキッチンへ入って、結城の背中にそっともたれた。ほんの少し、頭を預けるだけ。けれど、それは僕なりの精一杯だった。
 結城は、何も言わずにいてくれた。受け止めてくれた。──ああ、やっぱり、この人が好きだ。でも、言葉にするには、まだ勇気が足りない。夜の静けさの中で、ただ少しだけ、心が触れ合った。
 時間がゆっくり流れている気がした。結城の背中に体重を預けたまま、僕は目を閉じた。遠くで冷蔵庫の音が鳴って、それすらも安心材料みたいに感じる。
「璃緒」
 名前を呼ばれて、ほんの少しだけ目を開ける。
「ん」
「俺、今……言いかけてたこと、あったんだけどさ」
 結城の声が、少しだけ低くなった。
「……でも、やめとく。今は、まだ」
 僕は顔を上げて、彼の横顔を見つめた。何かを迷って、でも僕を傷つけたくないから黙ってくれたんだって、すぐに分かった。そういうところが、ずるいくらいに優しい。そういうところが──。
「……ねえ、結城」
「うん」
「今日、布団、くっつけてもいい?」
 少し間が空いたあと、結城はやわらかく笑って頷いた。
「もちろん。寝室、あっためとくよ」
「……ありがと」
 僕たちは並んで、寝室に向かう。布団に入るまでの動作すら、なんだか今日は特別に感じた。シーツの肌触りも、隣にいる人の気配も、心地よすぎて怖くなるくらい。
 結城が電気を消す。真っ暗にはならずに、間接照明が淡く灯ったまま、静かな夜が始まった。何も言わずに、ただ並んで横になる。手は触れていないけれど、息づかいがすぐそばにあるだけで、もう安心だった。
 ──どうして、呼吸しやすいんだろう。
 ──どうして、こんなにも。
「璃緒」
「なに?」
「ちゃんと、おやすみって言っとこ」
「……うん」
 僕はそっと、息を整える。少しだけ、声が震えていた。
「おやすみ、結城」
「おやすみ、璃緒」
 名前を呼ばれるたび、胸があたたかくなる。それだけで、深く眠れそうな気がした。


17 春の海は、僕

 朝、目を開けた瞬間から、感覚が鈍かった。ちゃんと眠れたはずなのに、まぶたが重い。布団のぬくもりが妙にまとわりついて、起き上がることができなかった。
 結城が声をかけてくれていた気がするけれど、よく覚えていない。何か答えたかすら、あやふやだった。
 とりあえず起きなきゃと体を動かしたのは昼近く。だけど、何をするにも指先が動かない。スマホの通知が視界の端にあっても、見に行く気力がなかった。食欲も、言葉も、どこか遠くにあるみたいだった。
 〝春の海〟。そういう名前がついてるこの体質のことを、たまに他人事みたいに思う日がある。──でも、今日は違う。これが「僕」だ。ずっと続いてきたことだ。いつか終わるかもしれないけれど、今はここにある。この部屋にいるから、そう思える。
 リビングの隅で、カーテンがかすかに揺れている。光が差し込んでいるはずなのに、目がまぶしくて開けていられなかった。ソファにうずくまり、膝を抱えたまま、時間が過ぎていくのをただ見送っていた。
 ──いつからいたのか、結城がすぐそばにいた。少し離れた食卓のイスに座り、膝の上に両手を置いたまま、こちらを見ていた。
 声はかけない。でも、たぶん、ずっと見てくれていた。そう思える距離だった。何も言われないことが、少しだけありがたかった。でも同時に、何か言ってほしい気もしてしまう。この矛盾を、自分でどうしたらいいかわからなかった。
 何か言わなきゃ、と思って、喉を震わせる。でも、出てきたのは乾いた音だけだった。それでも、少しだけ顔を上げた。
「……ごめん。なんか」
 本当は「なんか」じゃなくて、ちゃんと理由があるのに。結城がそれを問い詰めたりはしないと分かっていても、言い訳みたいな口振りになってしまう。
 結城はすぐには返事をしなかった。ただ、ゆっくりと立ち上がって、キッチンへ行き、コップに水を汲んできてくれた。差し出されたコップを、両手で受け取る。ほんの少し冷たくて、心地よかった。
「ありがと……」
「無理してないか?」
 その一言に、胸の奥がちくりとした。
「無理、してない……つもりだったんだけど」
 情けない声が出た。コップを持ったまま、もう一度うつむく。言いたいことがたくさんあるのに、うまく口にできない。言葉が体の中で迷子になって、出口が分からなくなっていた。
 しばらくして、結城がそっと僕の隣に腰を下ろす。それでも、触れない。踏み込まない。優しさを帯びた距離感だった。
「璃緒」
 その声は、呼びかけというより、ただそこに僕がいることを確認してくれるみたいな響きだった。答えなきゃ、と思う。でも声が出ない。だから代わりに、小さくうなずいた。
 その仕草に安心したように、結城が少しだけ息をついた。
「……今夜は、何もしなくていいよ」
 その言葉に、胸の奥がぐしゃっとなった。何もしないことを許されたのに、涙がにじんできてしまう。
 僕は、誰かに「いいよ」って言ってほしかったんだ。ただ、それだけだったのに、こんなにもこわれそうになるなんて。


18 好きって言えた夜

 毛布の重みが、静かに肩に落ちた。不意に触れられたわけじゃなかったのに、体がびくりと反応してしまう。怖いわけじゃない。驚いたわけでもない。ただ、優しさが急にそばに来ると、僕の心は耐えられない。
 気付けば、ぽたぽたと涙がこぼれていた。泣くつもりなんて、なかったのに。結城がそっと僕の前にしゃがむ。目線が合う高さになるまで、ゆっくりと身を沈めて──僕の手をそっと取って、言った。
「璃緒、言っていいよ」
 その言葉が、胸の奥にすとんと届いた。優しい声音だった。でも、逃がさないという覚悟も、そこにあった。
「……言葉にならないんだもん」
 僕は絞り出すようにそう言った。涙で喉がひりついて、上手く声が出ない。
「それでもいい。ちゃんと聞くから」
 結城の目がまっすぐで、苦しくなるほどだった。
「言って、壊れたらどうするの」
 それが、本音だった。穏やかでいられる日々が、壊れてしまうのが怖かった。
「壊さない。俺が受け止める」
 言い切るように、結城は言った。たぶん、結城の中ではもう答えが出ているのだろう。僕がどんなふうに言葉を選ぼうと、それを責めたりはしない。だから──こわいけど、言ってみようと思った。
「……あのね」
 結城が黙ってうなずいた。
「こわいけど……ずっと、好きだった」
 言葉にした瞬間、こぼれていた涙が止まらなくなった。声も震えていて、上手く届かなかったかもしれない。目を閉じて、体をこわばらせる。拒まれるかもしれないって、どこかでまだ怯えている。──でも、次の瞬間。あたたかな腕が、そっと僕を包んだ。
「……俺も」
 耳元で、低く静かな声がした。
「ずっと、璃緒のこと好きだった」
 その言葉に、肩の力が抜けて、ぐしゃぐしゃの顔のまま、結城の胸に顔をうずめた。声にならない声が、喉から漏れた。
 自分が誰かに好きって言ってもらえるなんて、知らなかった。こんなふうに、ちゃんと受け止めてもらえる日が来るなんて、思っていなかった。〝春の海〟が、嵐が、少しだけ静かになった気がした。
 波はまだ続くかもしれない。でも今夜だけは、このぬくもりに身を委ねて、眠れそうな気がした。結城の胸に顔をうずめたまま、僕はしばらく泣き続けていた。
 二十歳も過ぎてしゃくり上げるような声を出すのは恥ずかしいはずなのに、不思議と平気だった。むしろ、そういうふうに泣ける場所があることに、安心してしまった。結城は、ずっと背中を撫でてくれていた。言葉もなく、ただ、手のひらのあたたかさだけがそこにあった。
 少しだけ涙が落ち着いて、そっと顔を上げたら、目が合った。結城の瞳は、変わらずまっすぐで、優しかった。
「……ごめん、泣きすぎた」
「いいよ。俺、泣かせたかったんだと思う」
「え……?」
「溜め込んでたろ。ずっと。言わないまま、我慢してたから」
 僕はうなずいた。うまく言葉にできなかったけど、確かにそうだった。言ったら壊れると思って、ずっと言えなかった。でも──。
「結城に、言えてよかった。ちゃんと、伝えられて」
「俺も、聞けてよかった」
 結城は、少し照れたように笑った。
「ずっと、俺のこと呼ぶ時だけ、声が変わってたから」
「え、……それでバレたの?」
「うん。名前呼ばれるたび、俺も嬉しかった」
 胸の奥が、あたたかくなった。そっと結城の手を握る。ちゃんと指の一本一本を確かめるようにして。
「これからも、たくさん呼んでいい?」
「もちろん。俺も、たくさん呼ぶ」
「やだ、照れる」
「俺は呼べるの、嬉しいけどな。璃緒って、いい名前だろ?」
「……うん。結城に呼ばれると、特別な名前になる」
 そう言ったら、またちょっとだけ泣きそうになった。けれど、今度はちゃんと笑えていた。
 今夜、僕たちはようやく「好き」と言えた。それは告白というよりも、お互いの存在を受け入れる合図だった。この先、また波が来るかもしれない。だけど──今だけは、確かなぬくもりの中にいられる。
 もうすぐ、夜が明ける。


19 好きの続きを、ちゃんと

 目を覚ますと、カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいた。やわらかくて、どこか現実感がなかった。頭の奥が、まだ夜のままでいる。
 ……ああ、そっか。言ったんだ、僕。泣きながら、「好き」って。結城の胸にしがみつくようにして。
 横を向くと、まだ結城は眠っていた。寝息は深くて、でも穏やかだった。布団の中の体温が、二人分あることが嬉しくて、そっと目を閉じ直した。今だけ、もう少し、このままでいさせてほしい。
「……起きてた?」
 声がして、驚いて目を開ける。結城がこちらを見ていた。眠たげな目をしてるのに、どこか笑っていた。
「う、うん……。起きたばっかり……」
 まだ喉がちゃんと動いてなくて、掠れた声になった。結城が枕に顔を沈めたまま、くすっと笑う。
「じゃあ、おはよう。璃緒」
 名前を呼ばれるだけで、胸がじんわりあたたかくなる。
「おはよう、結城」
 そう返すだけで、今日という日が始まっていく。
 結城が先に布団を出て、キッチンに向かった。僕はその後ろ姿を、ぼんやり見つめながら歩いた。あんなに静かだったはずの暮らしに、いつの間にか音が増えている。湯を沸かす音、器が触れる音、食器棚の扉を開ける音。全部が「二人分の朝」だ。
 食卓には、パンとスープと、昨日の残りのサラダ。結城が「簡単でごめんな」と言いながら出してくれた朝食を、僕はぎこちなく食べる。昨日までと同じようで、でも何かが変わった気がして、箸の持ち方すらぎくしゃくしてしまう。
「食べにくい?」
「……ううん」
「そっか」
 会話はそれだけ。沈黙は怖くなかった。変わったのはきっと、僕の中の「想いの形」だ。結城は、ちゃんとそこにいる。だから僕も、ここにいていい。
 食べ終わって、片付けをしながら、ふと手が止まった。シンクの前で、結城が僕を見ていた。
「璃緒」
「……なに?」
 少しの間。何かを迷っているような、そんな空気が流れる。やがて、結城がゆっくりと口を開いた。
「キス、してもいい?」
 瞬間、心臓が大きく跳ねた。答えようとするけど、喉が熱くなって、何も言えない。それでも、僕はうなずいた。小さく、小さく、何度も。
 結城が一歩近づいてくる。僕の頬に、そっと手が触れた。そのまま、唇が重なる。やさしくて、あたたかくて、壊れそうで、でも、ちゃんとそこにある確かな感触だった。
 目を閉じたまま、僕は心の中で何度も名前を呼んだ。結城、結城、結城──。好きになってよかった。伝えてよかった。この人と、朝を迎えられてよかった。
 唇が離れる。目が合う。
「……夢じゃ、なかったんだ」
 ぽつりとこぼれた言葉に、結城は微笑んだ。
「夢なら、これからもずっと見よう。一緒に」
 その言葉に、涙が出そうになった。でも今日は泣かない。笑って、ちゃんと二人の朝を生きたい。
「……うん」
 僕はもう一度、うなずいた。心の奥で、ようやく「好き」が居場所を見つけた気がした。


20 名前のない波を越えて

 春の朝の光は、まぶしすぎてときどき苦しい。カーテン越しに差し込んできたその明るさに、僕は思わず毛布を引き寄せた。隣にいる結城の体温が、心の隙間をそっと塞ぐように伝わってくる。──そうだ。僕たちは恋人になったんだ。毎朝そんなふうに噛みしめてしまう。
 そう思った瞬間、胸の奥がふわっと浮かぶようにあたたかくなった。でも、それと同時に、心のどこかがざわめいているのを感じる。理由は、たぶん分かってる。
〝春の海〟は、揺れやすい。新しい季節に入ると、決まって心が落ち着かなくなる。昨日まで平気だったことが、今日はどうしてか苦しくなって、何もないのに泣きたくなったりする。それが〝春の海〟の症状だって、結城も分かっていて日々気遣ってくれた。
「……璃緒、起きた?」
 小さな声がして、僕は毛布の中から顔を出す。結城は、僕の顔を覗き込むようにして笑った。寝癖のついた髪が、やけに無防備で、愛おしくなる。
「おはよう」
「おはよう、結城」
 名前を呼ぶだけで、少しだけ呼吸が整う。だけど、今日はやっぱり、いつもより世界がノイズだらけだった。
 昼間、僕は何もできなかった。配信の準備も、洗濯も、なぜか体が重くて、ただぼんやりと座っているだけで精一杯だった。
「……ごめん、何もしてなくて」
 そう言うと、結城はコーヒーを差し出してきた。
「別に、今日くらい休んだっていいだろ」
 その言葉に、救われる。でも、同時に情けなさもこみ上げる。〝春の海〟は、そういう波を何度も連れてくる。だからきっと、今日もその一つなんだと、自分に言い聞かせた。
 結城は、静かに隣に座っていてくれた。無理に話しかけることもなく、ただソファで本を読んだり、僕に毛布をかけたりしてくれる。ああ、この人はやっぱり〝冬の海〟なんだ。僕の波に飲まれることなく、穏やかにそこにいてくれる。
 夜になって、心が少しだけ浮上してきた頃。
「ねえ、結城」
「ん?」
「……桜、見に行きたい」
 不意にこぼれたその言葉に、結城は一瞬だけ驚いた顔をして、それからやわらかく笑った。
「いいよ。行こうか」
 夜風は少し冷たかったけど、それが気持ちよかった。人気の少ない公園に咲いた桜は、街灯の灯りに照らされて、昼間とはまた違う表情をしていた。僕たちは並んで歩いた。手をつなぐでもなく、言葉を交わすでもなく、ただ、静かに。
 それでも不思議と、安心できた。結城が隣にいるだけで、嵐は少し穏やかになる。満開の桜の下、ふと結城が口を開いた。
「春ってさ、璃緒にとっては揺れる季節かもしれないけど……」
「うん」
「俺にとっては、特別な季節になったんだ。璃緒と恋人同士になれたから」
 その言葉が、花びらみたいに胸に落ちた。ふわりと優しく、でも深く響いた。
「……僕もね、春って苦手だった。でも、結城と一緒に歩けるなら、ちょっとだけ好きかもしれない」
 帰り道、ふと思った。──〝春の海〟に、この波に名前をつけるとしたら?
 きっと、僕にとっては〝結城〟がその名前だ。それまでこの波は、ずっとただ僕自身だった。泡になって崩れていくだけの命だった。けれど今は、揺れてしまっても、手を伸ばせばこの人がいる。波はこの人の形をしている。心の中で触れると、少しずつ静かになっていく。
「結城」
「ん?」
「ありがとう。……ずっと、見ててくれて」
「これからも見てるよ、ずっと」
 その声とともに、桜の花びらがそっと舞った。


後日談01 夜の海で

 静かに波が寄せては返す音だけが、夜の海辺に響いていた。人影のない浜辺を、街灯の代わりに月明かりがぼんやりと照らしている。潮の匂いが、春の空気にまじってふわりと漂ってきた。
「……海、ほんとは苦手だったんだ」
 僕は砂の上にしゃがみこんで、波打ち際を見つめながら言った。
「でも、連れてきてもらってよかったかも」
 隣にいる結城が、小さく笑った気配がした。砂に沈むような足音とともに、そっと肩が触れる距離に近づいてくる。
「怖くない?」
「ちょっとは、怖い。でも、結城となら……」
 続きがうまく言えなくて、代わりに小さく息を吸った。波の音のせいにして、胸の高鳴りをごまかす。なのに結城は、いつも通りの声で静かに言った。
「……キス、してもいい?」
 その言葉だけで、心臓が一気に跳ね上がる。すぐには返事ができなかった。うなずこうとして、でもうまく首が動かなくて──代わりに、そっと目を閉じた。目を閉じることでしか、うまく伝えられない気がした。けれど、それでも伝わったらいい。
 波の音が、遠くなったように感じた。結城の気配が近づく。頬のあたりに指がそっと触れて、それから──やわらかく、唇が重なる。
 ほんの数秒だった。けれど、あまりにもいろんなことが起こった気がして、頭の中がぐるぐるしていた。離れた後、上手く呼吸ができずに、僕は小さく咳き込んだ。
「……ご、ごめん」
 顔が熱くて仕方なかった。夜風は涼しいのに、きっと赤くなってる。
「まだ、慣れない……っていうか……ちょっと緊張して……」
 言葉にできなくてしどろもどろになっていると、結城が小さく笑った。それは、からかうような笑い方じゃなくて、どこか安心したみたいな、優しい笑い方だった。
「大丈夫。……俺も緊張してた」
「うそ」
「ほんと。璃緒が目閉じたとき、ちょっと泣きそうだった」
「……なんで?」
「好きすぎて」
 ずるい、って思った。そういうことを、あっさり言ってしまえる結城がずるい。でも、そのずるさに、今は救われている自分もいた。
 僕たちは口をつぐんで、波の音の中に沈んだ。手をつなぐよりも自然な形で、僕は結城の肩に寄りかかった。さっきとは違う意味で、今度はちゃんと、落ち着いた呼吸ができていた。
「海、怖くなくなってきたかも」
「うん?」
「結城がいると……波の音も、ちょっとだけ、優しく聞こえる」
 夜風が二人の間を撫でていった。春の波は、まだ少し冷たい。けれど──心は、ちゃんとあたたかかった。


後日談02 近すぎる温度

 春の朝は、すぐに明るくなる。カーテンの隙間からこぼれた光が、僕たちの布団を優しく照らしていた。うっすらと目を覚ました僕は、隣で寝ている結城のほうへ顔を向ける。
 ──ほんとに、よく寝てる。無防備に寝息を立てるその姿を、僕はぼんやりと見つめていた。まだ体は半分眠っているけれど、どうしても視線だけは離せない。結城の呼吸が、僕の耳元にふわっと届く。あたたかくて、少しくすぐったい。そのぬくもりに、胸の奥がじんわり溶けていく。
 そっと、指先で結城の髪に触れてみた。やわらかくて、ちょっと寝ぐせがついていて。そういうところも、好きだなと思ってしまう。
 ──その瞬間。
「……ん」
 かすかな声とともに、結城の腕が伸びてきた。何が起きたか分からないうちに、僕の腰に回された腕に引き寄せられる。
「……もうちょっと寝てよう」
 寝ぼけた声だったけど、優しくて、甘くて。僕は胸のあたりが一気にあったかくなって、でもちょっとだけ困ってしまう。
「朝からこんなの、ずるい……」
 そう呟くと、結城が薄く目を開けた。目が合う。少し笑ったような、でもまだ夢の中にいるような顔で。
「お前が見てくるからだろ」
「……見てない。見てたけど」
「ほら、やっぱり見てたじゃん」
 からかうように言われて、僕は思わず顔を毛布に埋めた。結城の手が、毛布越しに僕の背中をとんとんと優しく叩く。
「じゃあもう少し、このままな」
「……うん。あと五分だけ」
 本当は、もっとずっとこうしていたい。春の朝の光に包まれて、二人でいられる時間の中で、ただ呼吸を重ねていたい。そんな気持ちで、僕はそっと目を閉じた。
 結城の腕の中は、安心するほどあたたかくて、心地よかった。僕はそのまま、うとうととまどろみかけていた。──でも。
「……璃緒」
 結城の声が、さっきよりも少しだけ低くなった気がした。背中に回っていた腕が、するりと腰のあたりをなぞる。指先が、僕のパジャマの上から軽く撫でるように動いた。
「っ……」
 びくんと体が反応してしまって、僕は思わず結城の手を軽く押さえた。何か言おうとして、でも言葉が出てこない。
「……ごめん。今の、やだった?」
 結城の声が、急に慎重になる。僕は、首を横に振った。嫌じゃない。──けど、まだ、心の準備が足りなかっただけで。
「ちが……、ただ、びっくりしただけ」
 そう言っても、結城は少しだけ間を置いてから、手を引っ込めてくれた。気まずくなったわけじゃない。でも、布団の中の空気が、少しだけひんやりと感じた。
「タイミング、早すぎたな」
 苦笑混じりにそう言った結城に、僕はそっと顔を向けた。寝ぼけた笑顔じゃなくて、ちゃんと僕のことを考えてる顔。だからこそ、なんだか申し訳なくなってしまう。
「結城のせいじゃない。……僕が、慣れてないだけ」
 そう呟くと、結城はやわらかく目を細めた。
「そっか。……じゃあ、待つよ。何年でも」
「……そんなに待たせないってば」
 ちょっと拗ねたみたいにそう返すと、結城がくすっと笑った。その笑顔にまた安心して、僕はもう一度そっと結城の胸に顔を埋めた。


後日談03 もうちょっとだけ平気

 夜の静けさが、カーテンの隙間から忍び込んでくる。結城の腕の中で、僕はそっと息を吐いた。少しだけ体を動かすと、ぴたりと密着していた体温が、くすぐったいほどに肌に伝わってくる。
 ──今夜は、もう少しだけ。そう思えるくらいには、心も体も、穏やかだった。
「ねえ、結城」
「ん」
「……今日、もうちょっとだけ、平気かも」
 ささやいた僕の声は、布団の中でこぼれた秘密みたいに小さくて、でも結城にはちゃんと届いていた。そっと僕を見つめてくる瞳が、いつもより深くて、でも優しくて。
「……ほんと?」
 僕はうなずいた。結城のあたたかな指先が、そっと頬に触れる。
「じゃあ、触るな。ゆっくり」
 結城の声を聞いているだけで、体の奥がじわりと熱を帯びてくる。パジャマのボタンが一つ、また一つ、ゆっくりと外されていく。そのたびに、布の隙間から肌に夜の空気が触れて、体が小さく震えた。
 結城の手が、僕の鎖骨のあたりに触れた。なぞるように、撫でるように。肌が、結城の体温を記憶するみたいにぴくんと反応して、声が漏れる。
「……んっ」
 自分で出したその声に、顔が熱くなる。だけど止められない。胸の上にそっと落ちた唇が、やわらかく吸い上げてくる。ちゅっ、と音がして、体の奥にじわっと甘いしびれが広がっていく。
「璃緒、ここ、感じる?」
「う……ん、ちょっと……や、……でも、気持ちいい……」
 指先が胸の先端にふれた瞬間、声が跳ねた。
「ふ……あっ……」
 びく、と体が反応する。結城は一瞬止めて、目を見てくる。
「大丈夫?」
「……びっくり、しただけ。嫌じゃない、から……」
 そう答えると、結城はそっと微笑んで、またゆっくりと動き出す。指先と唇で、同じ場所を繰り返し愛されて、身体の奥がじわじわと熱くなる。触れられるたび、まるで僕の輪郭がくっきり浮かび上がるような感覚がした。
「……結城、なんか……変な感じ、する」
「変な感じって……どんな?」
「身体の中、ふわふわして、さみしいのが、消えてく……」
 言葉にすると、涙が出そうだった。肌の上に残されたキスの跡が、まるで「愛されてる」って証みたいに感じて、胸がきゅっとなった。結城は、僕の手をそっと握ってくれる。絡めた指が、優しく熱をくれる。
「璃緒、かわいい。……好きだよ」
 その言葉に、心も体も、とろけるみたいにほどけていった。深く求められなくても、ちゃんと感じられる。満たされている──それだけで、今夜は十分だった。
 結城の手が、僕の肌をなぞるたびに、心の奥までじわじわとあたたかくなっていく。優しいくちづけが、鎖骨から胸元、そしてお腹のあたりへと降りていって──触れられているのに、まるで包まれているような気がした。
 ──こんなふうに、人に触れられることが、怖くなくなるなんて。
「……璃緒、ここ、くすぐったい?」
「ん……ちょっと。……でも、いやじゃない……」
 息が浅くなる。さっきまで見せたくなかった顔が、きっともう全部、結城に見られている。だけど、それでもいいって思える。見られても、触れられても、崩れないものがあるって、信じられるようになってきた。
 お腹のあたりで、くすぐるように撫でる指先。腰に回された腕が、そっと引き寄せてくる。ぴたりと密着した体温に、僕は思わず声を漏らした。
「……ん、……ふっ……あ」
 自分でも、どうしてこんなに感じているのか分からない。でも、優しく重ねられる熱に包まれていると、もう何も考えられなくなる。
「璃緒……かわいすぎる。俺、やばいかも」
 結城の声が、耳元にかすれる。息がかかるたびに、耳まで熱くなって、指先がぎゅっと毛布を掴む。
「でも、今日はこれくらいにしとく。璃緒が、こうして俺に預けてくれてるってだけで……すごく嬉しいから」
 そう言って、結城はおでこにそっとキスを落とした。ぎゅっと抱きしめられる。その腕の中で、僕はやっと息を深く吐いた。
「……結城、大好き」
 思わず漏れた言葉に、結城の腕の力が少し強くなる。
「俺も。……好きだよ」
 心と体の境界線が、静かにとろけていく。結城に触れられるたびに、少しずつ、僕は「生きること」に慣れていってる気がした。


後日談04 ちゃんと、大好き

 夜の静けさが、布団の中まで染みこんでいた。寝室の灯りは落として、淡い照明だけが天井にやさしい光を投げている。
 結城の腕の中にいると、時間の感覚がなくなる。温度も、呼吸のリズムも、少しずつ同じになっていく。
「……璃緒」
 名前を呼ばれただけで、心臓が跳ねた。いつもの呼び方なのに、今夜はどこか違って聞こえる。熱を孕んでいる。僕は、そっと目を伏せて、胸の中にしまってきた気持ちをゆっくりほどいた。
「ねえ、結城」
「ん」
「……いいよ」
 息を呑んだ気配が伝わってくる。その意味を、結城はすぐに察してくれたみたいだった。
「……ほんとに?」
 僕は、小さくうなずいた。
「準備、した。……ちょっと前から。……今日じゃなくてもいいけど、でも、もし……結城が、したいって思ってくれるなら」
 言いながら、恥ずかしさで顔が熱くなる。でも逃げなかった。逃げたくなかった。
 結城は僕を見つめていた。まっすぐに。いつものように、何も急かさず、何も壊さず、ただ僕の答えだけを受け止めるように。
「……したい。璃緒と、ちゃんと愛し合いたいって、ずっと思ってた」
 その言葉だけで、胸がいっぱいになる。僕はそっと目を閉じた。結城が近づいてくる気配。指先が頬に触れて、ゆっくり顔を引き寄せられる。そして深く、静かなキスが落ちた。
 くちびるが重なるだけじゃ足りなくて、結城の舌がそっと僕の奥にふれる。驚くほどやさしく、でも確かに求められているのが伝わってくる。
「……んっ、ふ、ぁっ」
 自然と、声が漏れてしまう。だけど、もう恥ずかしくない。ちゃんと応えたいって思ってる。僕の全部で。
 キスが深くなるたび、身体の奥に火が灯るような感覚。それでも、不安はなかった。怖さも、なかった。──この人となら、だいじょうぶ。
「結城……」
「うん」
「……好き。ちゃんと、好きだよ」
「俺も。璃緒のこと、大事にする。ずっと」
 抱き合いながら、もう一度キスをした。心の奥があたたかくて、やわらかくて、やさしさでいっぱいになっていく。やっとたどり着いた場所で、僕たちは、そっとお互いを確かめ合った。
 翌朝、目を覚ますと、カーテンの隙間から差し込む光が、床に僕たちの影を落としていた。肌に触れる布団の重みと、隣にいる体温。どれも、昨夜の続きのようで、でも少しだけ違っている気がする。
 ──そうか、僕たち、初めてひとつになったんだ。もう一歩、踏み出したんだ。
 寝返りを打つと、結城がこちらを向いていた。まだ眠そうなまなざしで、けれどちゃんと僕を見ていた。
「結城、起きてたの?」
「ん。なんとなく……璃緒の寝息が、ちょっと変わったから」
「なんかヘンだった?」
「……いや。かわいかった」
「どゆこと……?」
 思わず枕に顔をうずめたくなる。けれど、そのやわらかい声色が、胸の奥までじんわり届いて、なんだか嬉しかった。
 数秒の沈黙のあと、結城がそっと聞いた。
「璃緒、しんどくない?」
「……ううん。だいじょうぶ」
 嘘じゃない。ちゃんと、だいじょうぶだった。心も、体も、どこも痛くなかった。むしろ、信じられないくらい落ち着いていた。
 だからこそ、分かった。結城がいま気にしているのは、〝春の海〟──僕の波のこと。新しい日々が始まったから。
「ほんとに、ほんとに、だいじょうぶだよ。……なんかね、安心しすぎて、びっくりしてるくらい」
 結城の眉がすっとゆるんで、小さく笑った。
「そっか。……よかった」
 その声に、安堵がにじんでいた。たぶん、ずっと心配してくれてたんだ。昨日の夜だって、僕の表情や体調を気にして、何度も確認してくれてた。ちゃんと僕が自分で「いいよ」って言うまで、何もしてこなかった。僕が怖がらないように、急かさないように、待っていてくれた。
「……結城のこと、ほんとにすごいって思う」
「え、なに」
「だって、ちゃんと僕のこと考えて、待ってくれたじゃん。……それって、簡単じゃないと思う」
 言いながら、自分でも顔が赤くなるのがわかった。でも言いたかった。伝えたかった。結城は少し照れたように目を細めて、それから僕の髪にそっと触れた。
「……待つの、ぜんぜん平気だった。璃緒が、俺を信じてくれてるって分かったから」
「信じてるよ。……すごく」
 僕たちは少しだけ近づいて、軽くくちびるを合わせた。昨日の夜よりも、もっと自然に。もっとやさしく。
 波は、来ていなかった。荒れるような感情も、心の奥のざわめきも、今日は静かだった。──こんな朝が、これからもずっと続いたらいい。難しくても、僕はもう、そう祈ることを恐れない。


後日談05 岸辺を見つけた日

 春の風がぬるくなった。朝のカーテン越しの光にも、花のにおいが混ざっている気がした。
 ──一年経ったんだ、結城と出会ってから。そう思うたびに胸の奥がざわつく。
 去年の今頃、僕は生きていることに実感が持てなかった。結城と暮らし始めてから、季節の色がやっと少し見えるようになったと思っていたのに──春が深まるほど、心の奥が不意に沈むことが増えていた。
 ある朝、何でもない顔でコーヒーを飲む結城を見ていたら、喉の奥から急にこぼれそうになった言葉があった。
「……あのさ、言っていい?」
 結城はカップを置いて、僕の目を見る。いつもと同じ、静かでやわらかい目。逃げないし、急かさない。だから、言えたんだと思う。
「昔、初めて〝消えよう〟とした日のこと……まだ、ちゃんと話したことなかったよね」
 それは十代のある夜。世界と断絶されているような孤独のなかで、僕は川辺の橋のたもとに立っていた。誰も気付かないような時間帯に、誰もいない場所に行って、消えてしまいたいと願った夜。
「その時、……一度きり、飛び込むだけって思ってた。でも、何もできなかった。夜風が、寒かっただけだった」
 声が震えた。だけど、結城は黙ってうなずいて、僕の手を取った。
「……じゃあ、行ってみる? その場所。璃緒が、ひとりだった場所に」
「え……」
「今は、ひとりじゃないからさ」
 僕は涙が出そうになって、でも首を縦に振った。
 夕方、二人で電車に乗って、懐かしい町に降りた。あの頃は見上げる余裕もなかった空。通学路だった坂道。遠くに見える鉄橋。ひとつひとつが、やけにやさしい色をしていた。
 川は変わらず流れていた。だけど、あの日よりも水の音が静かに聞こえた。季節のせいか、それとも──僕の心の変化なのかは、分からない。
 結城がそっと、僕の肩を抱く。
「ここで、ひとりで立ってたんだな」
「うん……」
 不意に、二人とも黙った。だけど、静寂は痛くなかった。風が吹いて、草のにおいが混じった。遠くで鳥が鳴いた。
「〝春の海〟って、やっぱり続いてるんだね」
 ぽつりとつぶやくと、結城が少し笑った。
「でもさ、璃緒には岸辺がある。そこに、俺がいればいいと思ってる」
「……うん」
 僕は肩に頭をあずけた。過去を否定しなくてもいいと、少しだけ思えた。
 あの日の僕が見た水面に、今の僕が手を差し伸べられたなら。もし、そんな奇跡があるなら──この春のざわめきの中でも、生きていける気がした。


後日談06 それでも声を届けたい

 いつものように配信を終えて、カップを持ったまま、僕は少しだけ首を傾げた。
 何かが、違う。視聴者数。コメントの勢い。……いや、それだけじゃない。終わった後、通知の数が異常だった。それにSNSのタグ欄、まとめサイトの転載、動画の切り抜き。知らない誰かが、僕の声や言葉を、「面白い」か「気持ち悪い」かのどちらかに振り分けて、好き勝手に語っていた。
 結城は、すぐに気付いたらしい。僕がスマホを握りしめていたのを見て、そっと隣に座った。
「……気にしなくていい。距離を置いたっていいんだ。ちゃんとそばにいるから」
 その言葉が嬉しくて、でもどこか、悔しくて。守られなきゃ続けられないなら、最初から僕は〝声〟なんて届ける資格なかったんじゃないか──そんなふうに、弱気な自分がささやいた。
 でも配信は、僕にとってただの仕事じゃなかった。孤独の真ん中で手を伸ばした、その先に誰かがいてくれる感覚。そのために、マイクをつないでいた。顔の見えない誰かと、少しだけ世界を分け合いたかった。
 だけど今は、それを見て笑う人がいる。叩く人がいる。炎上ってほどじゃない。でも、何百、何千という視線が、僕を勝手に測ろうとしていた。──怖い、と思った。
 それから数日は、配信ができなかった。マイクの前に座っても、声が出なかった。何を言っても、どこかに〝正解〟を探してしまう。こんなふうになるなら、もうやめたほうがいいのかもしれない。
 そんな夜、結城が僕に、そっと毛布をかけてくれた。
「やめるって選択も、全然アリだと思うよ。生きるために、全部投げてもいい。俺はそう思う。でも……」
 彼は一拍置いて、僕の頬に手を添えた。
「璃緒が〝届けたい〟って思ってた気持ち、俺はずっと見てきた。それがどんなに美しいことかも、知ってる。だから璃緒のペースで、もう一度考えてみて」
 涙が出た。何もしていないのに、何も言われていないのに、ただ「見てくれていた」という事実だけで、心が崩れて、でもどこか整えられていく。
 数日後、僕は小さな告知をSNSに書いた。
『また少しずつ話していきます。無理をせず、でも、やめません』
 それを見た人が、どんなふうに受け止めるかは分からない。でも、たった一つだけ、僕の中で変わらない事実がある。──この声は、僕のものだ。
 大きな音じゃなくていい。でも、誰かの波に呑まれなくていい。ただ、小さな灯台の灯りみたいに、自分の言葉で、また話し始めたいと思った。


後日談07 これからも二人で

 四月の風が、部屋のカーテンをやわらかく揺らしていた。
 もうすぐ、一緒に暮らし始めて一年になる。最初は「配信部屋も必要だから」なんて言って、半ば勢いで決めた物件だったけれど──今では、すっかり僕たちの〝家〟になっていた。
「なあ、璃緒。ここ、もうちょい広い部屋に引っ越してもいいかもな」
 結城が、ふと物件のカタログを眺めながらそんなことを言った。僕は、今座っているソファの角に手を置いて、その生地のやわらかさを撫でた。
「うん。……でも、この部屋、好きだよ。初めて、家族以外の誰かと一緒に暮らした場所だから」
「俺もすごく好き。でも、〝二人の家〟って、これからも更新していっていいんじゃないかなって」
 更新。それは書類上の言葉かもしれないけれど、結城が言うとどこか、生活そのものの話に聞こえた。
 それから何度もカフェに入って、間取りの理想を話したり、壁紙の色を想像したりした。「和室もいいかも」とか、「キッチン広めの方がいいよね」とか。けれど何より楽しかったのは、「こういう朝を迎えたい」とか、「疲れた日は海に行こう」とか、生活の中のささやかな〝約束〟を、一つずつ言葉にしていく時間だった。
 僕たちは、そうやって未来の輪郭を描きながら、少しずつ「二人でいること」に自信を持ち始めていたのかもしれない。
 そして──ある日、静かな夜だった。
 結城の誕生日。ささやかなケーキと、コーヒーの湯気の立つリビング。
「結城」
 声をかけると、隣でスマホをいじっていた結城が顔を上げた。
「ん?」
「……僕から、言ってもいい?」
 不思議そうに見つめられながら、僕はゆっくりと膝の上に手を置く。
 準備していたものなんてない。ただ、今日という日が、ちゃんと続いていく時間だと信じたくて、ちゃんと未来を差し出したくて──僕は口を開いた。
「結城と一緒にいると、世界が静かになるんだ。……波があっても、大丈夫って思える」
 結城の目が、ふっと優しく細められる。僕はそこに、すべてを込めるように言った。
「これからも、ずっと隣にいてほしい。……僕と、一生一緒に、暮らし続けてくれますか?」
 プロポーズというには、少し拙くて、たどたどしい言葉だったと思う。けれど、結城は何も言わずに僕の手を取って、くちびるを落とした。
「……そんなの、こっちのセリフだよ、璃緒」
 泣きそうになりながら笑った結城の顔を、僕は死ぬまで忘れないと思った。
 指輪はない。でも、そっと手をつないでいるだけで、確かな未来の重みを感じた。暮らしを更新していくように、僕たちは今日を積み重ねていく。
 きっとこれからも、〝春の海〟の波が来る。動けない朝も、言葉にできない夜もあるかもしれない。でも──この人となら、大丈夫だ。
 僕たちは、〝二人の家〟をつくっていく。何度でも、明日を塗りかえていく。


最終話 ただいま、新しい季節

 段ボールの山に囲まれたリビングで、僕はソファに座ってぼんやりと天井を見つめていた。照明の色も、床の感触も、昨日までと違う。分かっていたはずなのに、体がまだ追いついていない。
 新しい部屋。新しい朝。新しい生活。胸の奥にひっかかるのは、よく知っているざわめきだった。
 ──〝春の海〟は、新しい季節に弱い。
 どれだけ一緒にいたって、どれだけ幸せだったって、不安は不意に襲ってくる。ちょっとした変化に、心は敏感に揺れる。
「……璃緒?」
 キッチンの方から、結城の声がした。返事をするまでに、ほんの少しだけ時間がかかる。
「うん、大丈夫」
 その返事が嘘じゃないって、自分でも信じたかった。
 結城はカップを二つ持って、こっちにやってきた。僕の隣に座ると、肩が少しだけ触れた。
「引っ越し、疲れたよな。無理すんなよ」
 手渡されたカップの中身は、ほんのり甘いミルクティーだった。結城に出会って知った僕の落ち着く味を、ちゃんと覚えてくれている。
「ありがとう、結城」
 名前を呼ぶと、彼はふっと笑った。まるで「おかえり」って言ってるみたいに。
 段ボールはまだ積まれたままだけど、僕たちはしばらくそのまま、ソファに背中を預けていた。カップの中のミルクティーが少しずつぬるくなっていく。
「……外の空気、吸いたいかも」
 そう呟くと、結城がふと顔を上げて、窓の方を見た。
「ベランダ、出てみるか?」
 うなずいて、二人で並んで立ち上がる。まだカーテンも仮のままの大きな窓を開けると、夕暮れの風がふわりと頬を撫でた。海はないのに潮の香りがする気がして、僕は思わず深呼吸した。
 ベランダに出ると、小さな折りたたみ椅子が二つ置いてあった。引っ越し祝いにと、結城が密かに買っていたものだ。「並んで座りたかったんだ」なんて、照れくさそうに笑いながら。
 腰を下ろして、風に髪をなびかせる。結城が隣に座ると、足先がほんの少しだけぶつかった。
「……波が、来てるんだよね」
 ぽつりと、口にしたのは僕だった。〝春の海〟のこと。今朝からずっと、どこか不安定だった気持ちの正体。
「うん。分かってた」
 結城は静かに、でもはっきりと答えた。その声に救われる。
「新しい部屋、嬉しいのに。ちゃんと一緒にいたいのに。……それなのに、勝手にざわついて、息が苦しくなって、情けなくなるの」
「情けなくなんかないよ」
 すぐに返ってきたその言葉に、思わず目を伏せる。
「〝春の海〟は、揺れるもんだろ? それ、璃緒のせいじゃない。環境とか、季節のせいだよ」
「……それでも、苦しいから」
 言葉が細くなる。けれど結城は、否定しなかった。ただ、そっと僕の手を握ってくれた。
「じゃあ、苦しいときは言って。俺は隣にいるから。ベランダでも、布団の中でも、配信中でも。揺れるなら、俺が浮き輪になる」
 思わず、くすっと笑ってしまった。浮き輪なんてたとえ、結城にしてはめずらしくて。
「……結城って、たまにヘンなこと言うよね」
「おい、フォローする気ある?」
「ない」
 二人で笑った。ほんの少し、胸が軽くなる。空が薄紫に染まり始めていて、春の夜がゆっくりやってくる。
 たとえ波がきても、結城の隣なら、揺れながらでも暮らしていける。結城の手のぬくもりが、何度だってそれを教えてくれる。
「僕、波に〝結城〟って名前つけたんだ」
「俺の名前? なんで」
「触れたら、結城の形をしてたから」
 なんだそれ、って笑いながらキスをするこの人と、僕はただ一度きりの命を生きていく。そして何度も春をめぐる。「ただいま」ってつぶやきながら、何度も、何度も。


波に名前をつけるなら 了


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