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美術館内にある美術作品の前での記念写真

 森美術館で開催されているロン・ミュエク展のこの<Mass>という骸骨オブジェ100個の作品の前で記念写真を撮っている年齢層の高いお友達二人組の方々を見た。というか、作品を鑑賞しようとしている私の前でこの作品を背景にちょっとだけポーズをきめて互いに写真を撮りだした。10秒くらいの時間であったが驚いた。写真はOKだしマナーの問題ではない。美術館の美術作品を、自らの(お友達と一緒に来たことの)背景・装置・記念写真の道具として彼女らが使ったことに違和感があったのだ。その結果、私が美術作品を見てmemento mori を考えていた時に、memento moriは、この二人組の記念写真の単純な映える大道具に変化していた。ローマのカタコンベを訪れたことがあるが、カタコンベ内では自分を入れた写真はとらなかった。以前、ヨーロッパの教会や美術館で、オブジェのみなら写真撮影していいと係の人に言われたし、ピースをして有名絵画の前で写真を撮っている人が係の人から注意されているのを見たことがある。
 一方で、この二人組のように、美術館の美術作品とともに自分たちが写る記念写真を残した方が「楽しい美術館体験」になったという人もいるかと思う。小難しいことは無しにして、友達と出かけ、作品を見て、写真を撮り、「よかったよ~」「楽しかった」とか、「楽しかった」という気持ちで、誰かに話したくなるところまで含めて、美術館での文化的な経験とする人も大勢いるかと思う。その方がリピーターになる確率が高いかもしれないので美術館にとってはいいかもしれない。文化観光推進法にある文化・観光・経済の好循環かとも思う。
 そうなると、ロン・ミュエク作品は、「すごい造形技術の見世物」で終わり、そこから先は存在しないことになるかもしれない。鑑賞者側が作品を理解したり、考えたりしない限り、見世物は見世物以上には世俗の中ではなかなかなれない。美術館は入館料を支払えば、誰でも見れるので、公序良俗に反しない限りどんな見方もOKと思う。更に、野外彫刻美術館やアートフェスティバル・地方の芸術祭があり、ここでは美術作品とともに自分を入れた写真を残すことが、その場・機会にはマッチするように思える。地元に安田侃彫刻美術館という登録博物館があるが、野外の大理石安田作品にmemento moriを探すより、小さな子どもたちがピースをしてその作品と一緒に写真に納まることの方がその作品が置かれている環境を含め、馴染んているように見える。ただ、美術館を観光地とする、「楽しい体験」で済ませるのも違う気がする。美術館は社会教育施設なのだ。
 美術作品と鑑賞者の直接的な関わり方を通して、「美術館は何のための場所なのか」を改めて考えるきっかけになった。
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(以下はSNSのあるグループで私がこの記事に関して答えた内容である)
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・作品の大きさを後から確認するには、遠景でちょっとだけ他の鑑賞者を入れるということはできます。私もしてきました。自分で見る分にはそれでいいかと思います。私が出会った方々は、年配の女性の仲良し記念に見えました。それはそれで全く善きことです。教養を駆使して対象作品を分析的に見るより、友達同士で同じものをみて、「すごいね~」とか、「楽しかった」とか、「カフェの○○美味しくなかった」とかを一緒に言うことがお二人の仲良しの証だったように見えました。写真撮影の時間も10秒ほどでしたので全く問題はありません。ただ、芸術作品を他の観光地と同じく、見世物として見物(物見遊山)していたのかなとは思いました。美術を鑑賞する際の成熟度が訓練されていないだけだろうと思います。美術作品を思考するとか、批判的に見るとか、そんな見方を大人というものはするもんだという意識が私の中にあったので、この二人組のような年齢の割に若者のような見方・ふるまいに違和感を感じたのだと思います。おそらく、日本では?美術・アートを考えたり、批判的に見たりする教育がなされてきていないので、「すごい」という表現だけで、それ以上考える意識が培われていないのではないかと考えています。お二人の方々に罪はありません。多くの人にとってはごく一般的な見方だろうと思います。
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・例えば、草間彌生の「南瓜」という作品が直島の海に突き出た古い桟橋に設置されている場合、多くの人がそこで作品とともに記念写真を撮ると思います。一方、同じ作品が美術館という室内に置かれたら、なかなか自分や友達を入れ込んでの撮影はできないと思います。同じ作品で同じように草間彌生という権威と敬意を持たれている「南瓜」なのに。もし、室内にある「南瓜」の前で、誰かがピースをして写真をとっていたら、同じように私に投稿されていたかもしれません。このように設置されている場所によって、鑑賞者側の態度やふるまい方が違うということです。どうして、ある時は芸術作品とともに写真にうつってもよくて、ある時は、それがだめなのか。美術館という建物の外か内かで、鑑賞者の態度を変えるというのはどういうことか。鑑賞者側の二枚舌。これは、ご指摘の「作品・作者に対するリスペクトは大切」というのとは違う話だろうと思います。私の前でミュエク作品を背景に記念写真を撮っていた方は、ミュエク作品に対してリスペクトがなかったわけではないと思います。どちらかというと、自己愛?かなと思います。私はミュエク作品について考えながら見ていましたが、この方たちはそこまでの見方はしていなかったというだけのことだと思います。芸術作品を見世物として見物(物見遊山)していただけかもしれません。この方たちだけを矯正したからといって、鑑賞者全体の見方の成熟度があがるわけでもありませんので、解決しません。
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・Please take a look at this. This is a photo that allows you to objectively gauge the size of the artwork. You don't need to strike a pose like a tourist and include yourself in the photo with the artwork.
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・美術館は警察ではありませんので、取り締まることはできません。何もしていないのに罰を与えるとなると、戦前の特高警察になります。学芸員の仕事は取り締まりでも説得でもなく研究です。写真はOKとなっているので、マナーの問題でもありません。私の記事の年配の女性たちは、作品に触ってもいないし、他者(私)に直接的な迷惑をかけたわけでもありません。ただ楽しそうにほんの10秒間互いに、来場の証として記念写真を撮っただけなのです。何も問題はありません。私はミュエク作品について考えながら見ていましたが、この方たちはそこまでの見方はしていなかったというだけのことだと思います。芸術作品を見世物として見物(物見遊山)していただけかもしれません。この方たちだけを矯正したからといって、鑑賞者全体の見方の成熟度があがるわけでもありませんので、解決しません。ヨーロッパの美術館だからといって、鑑賞者が成熟しているという証拠はありませんので、思い込みは危険だと思います。

私が撮影したロン・ミュエク<Mass>





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