闇 575(詩編23讃美歌編)
闇 575(詩編23讃美歌編)

2026/05/29 fri
※これは世界で一番泣きたい小説グランプリを処女作で取った作家が13年ぶりに書いた作品は世界で一番駄作と自覚しながら書き出したビットコイン小説です。
※スキ二度押しユーザーは本当にウザいのでブロックする事にしました。
前回の章

二千二十二年九月二十一日、水曜日先負。
起きてからメッセージが届いていないかチェックする。
ちかも渚も、神田もでったんからも無し。
本当に俺、知り合いがいないよな。
フェイスブックの過去の思い出で、今日でピアノ発表会から丸十九年というのを知る。
品川春美の為にピアノを三十歳から始め、楽譜も読めないままドビュッシーの月の光を暗記した。
結局春美が会場へ来てくれなかった事で、俺はピアノへの情熱を失ったのだ。
だからこそ、そのあとで小説が生まれた。
ピアノでは彼女の心を動かせなかったショック。
しかしその春美への未練が、俺に新たなあがきを起こさせたのである。
坊主さんがパソコンを教えてくれたから、フォルダとファイルの違いぐらいは認識できた俺。
そこへ当時働いていた裏ビデオ屋『メロン』の北中の愚痴を同僚の山本へ言った時の会話がきっかけだった。
俺はいつだって中途半端な人間だった。
パソコンはある程度使いこなせるようになった。
だけど上には上がいる。
坊主さんなんて、俺のスキルを一としたら、千ぐらいの違いがある。
あんな腐った性格の北中に扱き使われ、俺はこれからもずっとこんな調子なんだろうか。
「岩上さん、どうかしましたか?」
「え、いえ、何でもないですよ。北中のやってきた事をそのまま書いたら、面白い小説になるんじゃないかなと思いましてね」
「中々あんな酷い人間いませんからね」
「今度、北中のこれまでの所業を書いてみましょうか?」
俺は冗談で言ってみた。
「岩上さんならできますよ」
「え?」
「岩上さんって努力家じゃないですか。そう思ったら小説も書けるんだろうなって」
「俺が小説? 今までそんなのやった事もないですよ。冗談で言ってみただけです」
春美と出逢い、俺は彼女に聴かせたいという想いからピアノを始めた。
未だ彼女にはザナルカンドを捧げていない。
パソコンは、坊主さんから徹夜で週末になると教わっている。
あまりにも色々な事ができるパソコン。
俺は何をしたいのかある程度目標を絞り、坊主さんから色々教わっていく。
詳しくなる度、この人は本当に凄いという事が分かる。
少しでも追いつきたかったが、無理だと感じた。
これほどレベルの違いを感じるのも珍しい。
「俺は中学生の頃から毎日のようにいじってんだぜ? 差があって当たり前じゃん」
そう言って坊主さんは笑っていた。
ん、待てよ?
パソコンのスキルなら坊主さんに追いつけなくても、ワードを使って小説を書いてみたらどうだろうか?
さすがの坊主さんも小説を書くなんて思ってもみないだろう。
正攻法で駄目なら、違う角度で追いつければいい。
これは全日本プロレス時代に知り合った偉大なる師匠、ジャンボ鶴田師匠を見てそう思った事である。
今は亡き、鶴田師匠。
初めて接した時あまりのスケールの大きさに対し、いかに自分がちっぽけな存在かを思い知らされたものだ。
追いつきたかった。
しかしまともに同じ事をしていたのでは永遠に追いつけない。
完全なる善玉だった師匠。
だから俺は真逆であるヒール、悪党の道を意識して歩んできた。
プロレスが駄目になってからも、ヒールでいようと決めた。
どんな形でもいい。
俺は鶴田師匠に少しでも追いつきたかったのだ。
あの人が生きていたなら俺は、未だ頑張ってリングの上で戦う事を選んでいたかもしれないな……。
全日本プロレス時代にいた誇りを最近忘れていたようだ。
決して自分を見失うな。
俺はあくまでも俺でしかない。
だから自分なりの亜流で頑張ってみればいい……。
「山本さん、俺、小説をやってみますよ」
俺は新たなジャンル、小説に挑戦してみようと決めた。
「……」
その小説さえまったく書かなくなり、もう十一年間も執筆から離れている。
ピアノを弾かなくなって十九年ほどではないが、こうして俺は日々衰えていくだけ。
約二十年も時間が過ぎたんじゃ、年も取るよな。
三十三歳の時の自分の演奏動画を恨めしく眺める。
楽譜も見ずによくこんな市民会館のような大会場で、俺も演奏できたもんだよな……。
シャワーを浴びて身支度を整える。
今日は早出出勤。
いつもなら十五時が、四時間早く出るようだ。
面子は俺と湯浅と星野。
この日、首が回らないぐらい忙しかった。
キャッシャーには俺が座り、湯浅と星野がホール。
ビップ客がとにかく多く、三つある個室は満席、他の席も二席しか空いていない状況。
INの単位が一万二万でなく、百万から数十万単位で飛んでくるので、金を数えるのが追いつかない。
マネーカウンターは二台あるものの、新札が多いと途中で噛んでしまい、正常に動かない。
よって手で一枚ずつ数える作業まで加わる。
次から次へ飛んでくるコール。
星野の声はボソボソなのでインカムを通して非常に聞きづらかった。
何度も聞き直し、パソコンのキーボードを叩いて客の席へクレジットを入れる。
このような時、キャッシャーが一番地獄だ。
何故なら各客のINとOUTだけでなく、全サイトの残りクレジットと客側のクレジットの動向を見ながら、パソコンでの作業。
オマケに来た一千万円に近い金額も数え、パソコンの数字と金を合わせないといけない。
入口のインターホンが鳴る。
モニターを見ると、中里たちの不動産軍団。
「すみません、只今席のほうがいっぱいでして、時間ズラしてお願いします」
湯浅が断りを入れた。
暇な時ならいざ知らず、こんな状況であんな面倒な客など入れたら洒落にならなくなる。
店にとって忙しく面倒な客の定義。
INが細かい事。
一度に十万円を入れず、一万円ずつ小分けにINをするような客は、純粋に手間が十回になるので店から嫌われる。
三万以上のINを入れると、必ず出前を頼む客。
いくら店が経費で出すといっても、勝負の前に飯ぐらい食ってこいというのが本音だ。
やたらチャイムを押し、無駄な用件の多い客。
爪切りだ、この薬をくれだ、何でも屋じゃねえんだよと言ってやりたい。
インターホンが鳴る。
ビップ客の石垣軍団三人だった。
これは入れないとさすがにマズい。
個室は埋まり、ノーマル席が二つしか空いていない状況を伝えると、石垣軍団手下が席へ座り出す。
満席状態になり、尚更落ち着いて処理をしなくてはならなくなった。
パソコンの〇の桁を一つ多く押すだけで、洒落にならなくなる。
百万のINに対し、このサイトはドル計算だから千ドルで送る、こっちのサイトは円計算だから百万で送る作業。
例えば百万を間違え、十万円分のINしか送らないと、クレジットを見た客はそれだけで烈火の如く怒り狂う。
逆に十万のINを間違えて百万分送ると、ラッキーとばかり客は一気に賭けだすので質が悪い。
ミスは絶対に許されないのだ。
俺はその間も空いた時間はひたすら金を数え、十万円毎のズクにして揃える作業で手一杯。
そこへ元名義社長の小西が店に顔を出す。
空気の読めない小西は、キャッシャー室へ入ると折り畳み椅子に腰掛け、まずタバコを吸いだす。
今月で名義を上がった小西。
現在は倉敷がパクられ要員の名義を受け継ぎ、周りのスタッフたちも真面目な彼がなって良かったとみんなが内心思っていた。
暇な小西は元社長だという威厳だけ持って店に顔を出すだけ。
何もしないなら、忙しいんだからとっとと帰ってくれと言いたい。
「岩上さん、悪いけどコーヒー淹れてくれるかな?」
「すみません、小西さん。今、インカム入ったんで!」
俺は小西の会話を遮り、湯浅へ聞き直す。
「えー、八卓様、MG五千、八卓様MG五千ドルお願いします」
インカムを通し、湯浅からのコールを受ける。
「はい、八卓様MG五千…、MG五千ドル入れました」
パソコンへまず顧客の番号の欄へINの数字を打ち込み、続いてマイクロのサイトのクレジットの欄をリセットしてからパソコンへ数字を打ち込む。
そこで顧客の収支とサイトの誤差がないかの確認をしていると、小西が手を伸ばしてきた。
「今、売上どうなのよ?」
「ちょっとすみません、小西さん! 今、INとかやっている時なんで」
「あー、悪いねえ」
戦力になるどころか、身内の邪魔にしかならない小西。
頼むからそれなら出て行ってくれと言いたいのを精一杯我慢した。
まず本当に邪魔なのが、クソ狭いキャッシャー室に居座られるとホールとの連携がちゃんと取れない。
奥に俺がいて、真ん中に小西、ホールの二人は一人しか中に入れないのだ。
せめて溜まったグラスぐらい洗ってくれればいいが、そのシンクの位置にいる小西はタバコを吸いながらコーヒーを飲むだけなので、仕事じゃなければ「どけ、クソメガネ」と蹴りをお見舞いしたいほど。
「えー、九卓様三万、MG三万」
星野のボソボソ声。
インカムだと聞こえ辛いから、二回ハッキリ繰り返せと決まっているのにいつもこうだ。
「もう一度お願いします。九卓にMG三万ドルですか?」
「MG三万、三万ドル」
石垣の連れ、三百万円も一気に入れるのかよ……。
慎重にパソコンの画面を見ながらINを入力して送る。
続いて顧客収支表へ『⑨MG30000』と手書きで記入。
そこからパソコンでの顧客収支表へ打ち込み、マイクロのトータルクレジットを打ち込んで数字を合わせた。
ドアの椅子では湯浅と星野が二人で一生懸命金を数えている。
小西はその様子をボーっと見ながら「忙しいねえ」とタバコを吸う。
他の席からも次々呼ばれる店内。
俺は一つ一つの作業を丁重に神経を尖らせつつ、ホールの様子をチェックしながらパソコンも見る。
湯浅が「五卓様、クルーズ千ドル、クルーズ千ドルお願いします」と言えば、被るように星野が「三卓MG八千、四卓一万五千」と言う。
「え、星野さん? 三が一万五千ですか?」
慌ててインカムで聞き直すも、近くに小西が「岩上さん! 何客を待たせてんだよ! 早くINしなよ!」と急かしてくる。
聞き直す前に仕方なくINを入れた。
次々に他の席からもINが飛び、俺は金を数えるのは一旦諦め、パソコンの操作だけに集中する。
その時ビップペア室の四卓からチャイムが鳴り、星野が行くと客が怒っていた。
俺が三卓と四卓のINを間違って送ってしまったようだ。
三卓が八十万、四卓が百五十万円なのを逆に入れていたらしい。
自分のミスもあるが、コールの星野がハッキリとドタバタの時に言わないせいもある。
俺は慌ててクレジットを抜こうとするが、勝負する気がなくなったのでOUTしてくれとなった。
クレジットをOUTして画面上の数字をまず合わせる。
「ほら、モタモタしないで、岩上さん」
「分かってますよ! ちょっと待って下さい!」
さすがに声を張り上げ、小西の意味のない介入を防ぐ。
正直名義社長でも何でもなくなったコイツの機嫌よりも、ミスをしないほうが大事だ。
金を数え、三卓と四卓の分の金額を星野へ渡す。
キャッシャーはこれで瞬間区切りがついたので、再び金を数え、ズクを作り出した。
湯浅はまだ各席から集めた金を椅子の上に置き、立った状態のままズクを作っている。
「あー、チクショウ! 新札ばかりでカウンター通らない。星野さん、まだそっちの金数えてないすから」
「あいよー。あ、岩上さん、四卓の客凄い怒ってるから、本当にINだけは気を付けて」
「すみません……」
「いや、岩上さん、すみませんじゃなくてさー。もっと気を引き締めないと駄目だよ! あ、湯浅、落ち着いたらコーヒー淹れてくれよ」
「ちょ、ちょっと小西さん待って下さいよ!」
「何だよ、そんな怒った言い方するなよー」
うるせえよ、小西。
おまえがいるからどんどん訳分からなくなるんだろ。
本当に邪魔だから帰れ、小西と誰もが思っているだろう。
九卓のチャイムが鳴る。
星野が向かう。
「えー、九卓OUT、OUT」
「はい、九卓様OUT、OUT致します」
モニターを見てギョッとした。
三万千百二十二ドル。
現金で三百十万二千二百円。
何で三百万のINを入れといて、十二万ちょっと上がっただけですぐOUTしてんだよ……。
まずパソコンの数字を合わせる。
うん、間違いない。
紙にも数字を書く。
「湯浅さん、そっちのズクって今、どのぐらいできてます?」
「まだこっち全部数え終わってないんですよ」
ドアが開き、星野が急かす。
「湯浅君、まだ?」
「まだっすよ! 追いつかないっすよ」
二人は必死に金を数えながらズクを作っている。
俺も手伝いたかったが、間にいる小西が邪魔で近付けない。
呑気にそれを眺めながらタバコに火をつける小西。
俺はキャッシャーにある現金を数え直す。
するとまた九卓からチャイムが鳴り、早く現金をと星野が急かされる。
「湯浅君、あといくらできてないの?」
「えっと…、こっちで三百万すよね? だからズクが三本作れば」
「ほんと急かしてるからさ!」
俺はキャッシャーにある金から三十万円を取り、湯浅へ手渡しながら「あとは俺がズク作っときますよ」と言った。
三十万架空で渡したものとして、パソコン画面と現金を合わせる。
「岩上さん! 現金合ってんの!」
「合ってますって。二度確認してますから」
「もう一度やって!」
「……」
本当に小西、コイツ面倒臭いなあ……。
えーと、店の数字が八百万七十二万で、さっきの三十引いて八百四十二万。
うん、間違いなしと。
三卓と四卓のビップ客が帰り、石垣軍団は相変わらず急かしている。
現金を渡し、少し余裕できてから湯浅へ「じゃあさっき渡した三十万戻してもらえますか?」と言うと、七万しか戻ってこない。
「え? 残りの二十三万は?」
「星野さんが渡しちゃいましたけど?」
「はあ? どういう事です?」
「九卓が、最初に紙袋に入れたままの金をホッシーさんへ渡してきて、ここから三百万以上あるから、三百だけマイクロにINしてくれと。で、紙袋の中、札がバラバラだったから、自分とホッシーさんで一生懸命数えながらズクにしていたんですよ」
何だ、それ?
初耳だった。
俺はズクがあと三十万足りないと言うから、気を利かせて渡しただけなのに、星野が慌てて二十三万円まで渡してしまった。
帰りそうになる石垣軍団。
俺は立ち上がり状況を伝えに行こうとした。
「キャッシャーの岩上さんが何をやってんの?」
小西が止める。
「だから金を返してもらわないと、二十三万のショートが出ますって!」
「だからちゃんと金は合っているのか数えろって何度も言ったろ!」
「だから三十万をこっちの金で渡した状態で合ってると俺は言ったんですよ。責任持って俺が石垣さんところ言ってきますよ」
「駄目に決まってんだろ! 店側のミスを客に言うつもりか! あー、岩上さんのせいで二十三万も損害出たんだよ? ショート。どうすんの?」
「……」
俺のミスもあるかもしれないが、これは明らかに連携ミスだろ……。
「金が合わないのはキャッシャーやってる人間の責任だから! どうすんの?」
おまえが邪魔だから、連携が全然取れなかったんだろうが!
「……。自分で埋めますよ……」
「あのねー、そういう問題じゃないんだよ!」
もう嫌だ、こんな職場……。
貯金おろして自分の金で損失埋めて、とっとと辞めよう。
あれだけ忙しかった客があらかた引き、落ち着いた状況でハッキリしているのは、店の二十三万円のショートという現実だけ。
暇になると小西は「ちゃんとやんなきゃ駄目だよ」と捨て台詞を残して去っていく。
夜の十一時までの時間が苦痛で堪らない。
中番の南沢が暗く沈んだ俺を気に掛け色々話し掛けてくるが、正直放っておいてほしかった。
あれは俺だけのミスなのかという疑問。
確かに基本的にインカジは金を扱うキャッシャーさえちゃんとしていれば、ショートが出る事はない。
しかし今日に限っては手元に全部金が無い状況と、特殊な客のINによって起きた連携ミスなのだ。
これまで渡り歩いたインカジで、ここまで大きな金額の穴を空けた事など一度もなかった。
過去の失敗ですぐ思い浮かぶのが『8エイト』の時だ。
以前来た反社会的な三人組が来る。
百万単位で勝負をするので、俺は楊とキャッシャーを代わった。
INを入れるのをモタモタするだけで、彼らと揉める原因になり兼ねないからだ。
「何や、岩ちゃん。ワイだってキャッシャーくらいできるんやで」
「楊さん、それよりもホール見て下さい。坂本と松尾じゃ、いまいち慣れていないんで」
皮肉な事に、こんな時に限って他の客も同時に入ってきた。
前回ナイフを出してきた加藤明。
『8エイト』元々の太客の前川。
ホストの湊と姫川。
ここは絶対にキャッシャーを俺がやらないと、間違いが起きる。
とてもじゃないが楊じゃ、悪いけど処理しきれないだろう。
三人組は十六、十七、十八卓。
加藤明は二卓。
前川は二十二卓。
「あー、十六卓五千」
「二卓六百」
「あー、十七は三千。十八は四千」
松尾と坂本がキャッシャーへ金を持ってきて、同時にコールをし出す。
「ちょっと待って! 一人ずつしか処理できないんだから、順番にお願い!」
インターネットカジノのキャッシャーは、あくまでもパソコンを使ってINを送るので一人一人順番にやっていくしかない。
一気に客が来たので、ホールにいる三人はかなり混乱している。
持ってきた金を目の前に置かれ「十六、五千」と松尾が言う。
「十六卓が五千ドルですね」
俺はマウスで操作しながら、十六卓へ五千ドルを送る。
「二、六百」
坂本が、先ほどの五十万円の上に札を重ねた。
「ちょ…、ちょっと何をしてんの!」
「はい、十七、三千」
俺が制止しようとすると、松尾までその上に札束を重ねだす。
「おい、何をしてんだよ! 重ねるなよ! 重ねるなって、松尾!」
「えーと、十八、四千」
「……」
すべての金を重ねてしまう二人。
しかも十万ずつのヅクも作らず、そのまま一万円札を無造作に重ねてしまった。
仕方なく客へのINを優先し、それぞれの卓へクレジットを送った。
十六卓が五千ドルに、二卓が六百ドル。
十七卓が三千ドルに、十八卓が四千ドル。
紙に卓番と客の名前、それぞれのINを書く。
そのあとでマイクロのポイントの照らし合わせをする。
次に置かれた現金を数える。
全部で百二十六万円なきゃいけない。
本来なら、客のIN別に金は置くものだ。
それを坂本と松尾の馬鹿二人は、すべての金を重ねて置いた。
例えば二千ドルと言いながら、受け取った金が十九万しかない場合、一万円ショートする。
そうなると現場で身銭を切って埋めなければならないのだ。
「岩ちゃん、二十二卓一万ドル」
「はい、二十二卓、前川さんで一万ドル。あ、楊さん! お金を重ねないで下さい!」
え、百二十四万しかないじゃん……。
二万円足りていない。
こういう事があるからこそ、客から受けた金は別々に置かないといけないのである。
何度数えても百二十四万円。
俺は坂本と松尾に、文句を言う。
「二万円足りてなかったよ? ちゃんと金数えたの?」
「自分は数えた」
「俺も数えました」
「だから金を重ねるなって何度も言ったのに……」
本当にコイツらまったく使えない。
どうするんだよ、二万円もショートさせて……。
「何や何や?」
楊が口を挟んできたので状況を説明する。
「現金が二万足らんのか? それはキャッシャーやってる岩ちゃんの責任やな」
「……」
一日十二時間働いて一万二千円。
こんなくだらないミスをすべて俺のせいにされ、二万円を埋めなきゃならない仕打ち。
本当にくだらない店だ。
本当にいい辞め時なのかもしれない。
坂本と松尾のミスで、俺は先日二万円の金を埋めされられた。
何で働いていて赤字にならなきゃならないんだ?
楊は責任をすべて俺一人へ被せ、ミスの原因となった坂本と松尾には何のお咎めも無し。
本当に理不尽な仕打ち。
それでも俺を慕って来てくれる客がいる。
腐る訳にもいかない。
何とも言えない複雑な気分のまま、仕事を続けていた。
下手な責任感など持つからこのような目に遭うのだ。
あまりに阿呆らしいので、ミスしようがキャッシャーを楊へやらせるよう促す。
太客前川が来店。
毎回百万単位の勝負をするので、接客にも神経を使う。
太客に対し、坂本や松尾を行かせられない。
一回で二十万円張れる奥の列へ進む。
十五卓へ座った前川。
隣の十四卓ではホスト風の客がスロットを回している。
「ほい、入れて」
前川は百万円の帯び付きを出す。
「十五卓様、前川様でマイクロ一万ドル。十五卓様マイクロ一万ドル、お願いします」
コールを飛ばし、数えてからキャッシャーへ金を持っていく。
「えーと十五…、一万はゼロを四つやな?」
おぼつかない手つきでパソコンを操作する楊。
俺は金を置いて再び十五卓へ戻った。
ちゃんと十五卓の席に一万ドルのクレジットが反映したかを確認する為である。
しかし一分経っても二分経っても、クレジットは出てこない。
何やってんだよ、あいつ。
太客なんだから早く入れろよ。
チラッと隣の十四卓のモニタを見る。
クレジット百十だったのが、一万ドル増えた。
あの馬鹿、間違って隣にいれやがったのか。
俺は走ってキャッシャー室へ向かう。
「楊さん! 一万ドルどこへ入れました?」
「何や何や……」
「あー、もうどいて!」
緊急時なので俺は楊を突き飛ばしてどかす。
INとOUTの履歴を確認。
やはり、楊は間違えて十四卓へ一万ドルを送っている。
俺は十四卓のクレジットをOUTした。
「楊さん、十五卓に一万ドルINしといて下さい」
履歴の部分をプリントアウトして、十四卓へ持っていく。
「プレー中すみません。先ほどキャッシャーで間違って一万ドルのINが入ったんですね」
「え、そうなんすか?」
十四卓の客は惚けたが、知らないはずがない。
目の前で二桁は違うクレジットがいきなり反映されたのだから。
俺は先ほどプリントアウトした紙を見せながら説明を続ける。
「それでこちらの手違いとはいえ、ご迷惑をお掛けしましたので、元のクレジット分二百二十ドルに加え、二十ドル分のサービスを致しますのでご了承下さいませ」
「あ、何かすみません」
「いえいえ、それではごゆっくりとご遊戯をお楽しみ下さい」
一礼して下がる。
「おい、まだIN入んないの?」
十五卓の前川が声を掛けてきた。
「すみません、確認致しますので少々お待ち下さい」
楊の奴、まだ一万ドル入れてないのかよ……。
俺は再び走ってキャッシャー室へ行く。
「楊さん! 何で十五卓に一万ドル入れてないんですか!」
何故か楊は俺を睨み付けている。
「岩ちゃん、ワイをさっき突き飛ばしやがったな?」
「楊さん! そんな事よりも十五卓のIN!」
「何を言うてんのや、おい?」
「もういい。どけよっ!」
俺は楊を突き飛ばし、十五卓へINを入れた。
「おまえ、また人を突き飛ばしたな?」
目を剥き出して敵意を見せる楊。
コイツのミスを俺が救ってあげた事が何も分からないのか?
最初に一万ドル…、百万円のINを間違って十五卓ではなく隣の十四卓へ入れたのは楊自身。
だからすっ飛んでここへ来たのだ。
十四卓の客が小狡かったら、突然増えたクレジットをもっと大きなベッドをして使う事も可能だ。
とにかく時間を争う事だった。
だから状況を理解していない楊をどかし、俺がすべて処理したのである。
そこまでやってから十五卓の前川にINを入れろと言い残し、十四卓のフォローへ行ったのだ。
一つ間違えば、百万円のショートになっていた事態。
そうなった場合、誰がその百万円を埋めるのだ?
それを最優先で防ぐ為の行動である。
それを何一つ仕事できていない楊が、突き飛ばしたという部分だけを切り取って、勝手に怒っていた。
馬鹿だとは思っていたが、使えなさ過ぎる。
「のう坂本。さっき岩ちゃんは間違いなくワイを突き飛ばしたよな?」
「ええ、突き飛ばしました!」
駄目だ、コイツら……。
脳みそに蛆虫でも湧いてんじゃねえのか?
「もういいわ……」
「何だって、おい?」
「どけよ……」
楊を乱暴に突き飛ばす。
「ちょっと!」
「おまえもどけ」
目の前に立ち塞がる坂本も、手で払いのける。
もうこの店は限界……。
勝手にすればいい。
こういう馬鹿だけで勝手にやればいいのだ。
俺は仕事時間途中にも関わらず『8エイト』をあとにした。
ふと以前不倫関係にあった牧師妻の望の言葉が頭によぎる。
「智さん、聖書の詩編二十三篇は、神が守ってくださるから、私は何も恐れないって、絶対的な安心感を歌った非常に有名な一節なんだ」
確か彼女が俺を元気付けようと、ホテルのベッドの上で微笑みながら言った台詞だ。
何でこんな時に望の言葉を?
神が守ってくれるから、何も恐れない?
違う!
神などいないから、こうも理不尽な事ばかり襲い掛かってくるのだ。
では何故試合前日にゴリが邪魔しにやってきて、徹夜で俺は試合へ臨んだ?
試合には負け、坂道を転がり落ちるように世間は興味を示さなくなり、挙句の果てに印税すらもらえなかった。
おじいちゃんが亡くなり、店を頑張ろうと思った俺に待っていたのは何だ?
身銭で三百万以上の損失だけだったじゃないか。
ヤクザのゲーム屋では搾取され続け、金が無いのに解放されなかった。
十一で貸すと小馬鹿にされ、思わず殴ったら百十万円を奪われた。
かつて俺を蘇らせてくれた地横浜へ行ったら、四つの種類の違う地獄が待っていただけだった。
聖書の詩編二十三篇で俺に当て嵌まるのは、今日損害を与えた二十三万という現実的な数字だけ。
そこに神も仏も存在しない。
よく望は無宗教の俺に対し、イエスキリストの言葉を例えて慰めてくれた。
キリスト教が神聖?
どの辺が?
おまえは俺のチンコに狂って、神父と離婚までした女じゃねえか。
一番思い出すのが大日本印刷の時だ。
遅番の仕事中、彩色をしていても頭の中は小説の事を考えていた。
休憩を取り、タバコを吸いに行く。
火をつけて携帯電話を開くと、メールが一通届いている。
中身を見て驚いた。
『深夜中々寝付けなくて、ドライブをしています。智さんの事を考えていたら、気付けば狭山の方向へ向かっていて、今ちょうど大日本印刷の近くを走っていました。ここで智さんが働いているんだあって思いながら。 宮下望』
時間を確認する。
まだ五分前のメール。
すぐ近くに望がいる……。
俺は居ても立っても居られなくなる。
どうする?
考えるまでもなく決まっている。
俺はA班の班長のところへ向かい「すみません、ちょっと親戚の叔父さんが急に倒れてしまいまして」と嘘をついて会社を早退した。
罪悪感よりも性欲が勝ってしまう。
すぐ望へ電話を掛ける。
「あれ、智さん。仕事中じゃ……」
「仕事中だったよ。でも望が今近くにいるなんて言うもんだから……」
「え…、本当に近くに来たからメールしてみただけなんですよ」
「早退しちゃったよ。望に会いたくて」
「まだ…、実は近くにいます。場所を言ってくれれば車で行きます」
こうして俺と望の不倫は、歯止めが本当に効かなくなりつつあった。
ホテルへ着くなり、自分から跨る望。
前はもっと恥じらいがあり、完全に寝ているだけの受け身だった。
彼女は俺とのセックスで、性欲にとり憑かれているように見えた。
「望、待って。まだ仕事終わりで手が汚れているから先に洗わせて……」
喋っている途中、俺の口をキスで塞ぐ望。
会う度大胆になっている。
「今日安全日だから、中へ出して……」
さすがに戸惑う俺。
何度も数え切れないほど抱いたが、望は人妻なのだ。
彼女は俺との逢瀬をどう考えているのだろう。
始めは二人きりで食事から。
この関係へ持ち込んだのは俺。
今では望のほうが積極的なくらいである。
「大丈夫だから…。お願い。智さんのが欲しい……」
最悪できたら俺もこんな状況の生活だけど、覚悟を決めよう……。
課長に頭を下げて、社員にしてもらえれば少なくとも生活は安定する。
俺は望の中へ射精した。
俺の精子を何度自分の身体の中へ受けた?
旦那も子供もいる中で、何度キリスト教を汚した?
「……」
やめろ…、かつて愛した女をこれ以上侮辱するな。
確かに望は俺から離れて行った。
俺との関係よりも、自分の子供を優先して。
確かに性欲には溺れた。
しかし最後は腹を痛めて産んだ子供の元へ彼女は辿り着けたのだ。
俺の母親と違って……。
汚れはしたかもしれない。
それでも俺は望の崇高さを目にし、納得して身を引けたじゃないか。
これ以上あの子を汚すなよ。
汚れるのは俺一人でたくさん。
セブンスターに火をつける。
煙を吐き、ゆっくりと天井に消えていくのを眺めた。
南沢が煙いと換気扇を大にして、大袈裟に手でパタパタ振る。
大麻は吸うが、タバコは辞めた?
客も従業員もほとんどが吸う空間でそれはないだろう。
それなら裏稼業へ戻ってくんなやと思う。
店の電話に今日休みの新名義社長になった倉敷から着信が入った。
星野が出て、トイレへ向かう。
今日の二十三万の損失の件で、話をしているのか。
正直星野の本性を俺は知っている。
クソ生意気な客の金子が二度目に来店した時だった。
インターホンが鳴りモニターを見ると、客がカメラのところに身体を押し付けていてまったく誰だか分からなかった。
しばらく様子を見ていると、少しだけ顔の輪郭が見えたがいまいち分からずじまい。
俺は星野に聞いた。
「誰か分かります?」
「さあ? 名前聞いてみればいいじゃないすか」
「お客様、大変申し訳ございませんが、ご登録名をフルネームで……」
「またテメーか、この野郎!」
声で金子だとすぐ分かる。
星野の顔を見ると、顔を背けていたので俺がドアを開けに行く。
「おまえ、二度も人の名前聞きやがって、どういうつもりだ、あ?」
「大変申し訳ございません。ただ、モニターでよく確認できませんでしたので……」
「言い訳ばっかしてんじゃねえよ! おまえ、ちょっと外出ろ」
この三十歳そこそこのクソガキの自信は、一体どこから来ているんだ?
俺は言われるまま外へ出る。
「おまえ、舐めてんのかよ? あ?」
よく動く顎を粉砕してやるか。
隙だらけの構え。
人を恫喝しているようで、相手がどう動くかの警戒心の欠片もない。
頭を抱え、膝で打ち抜くか?
それとも左耳を掴み、右の肘をそのまま叩き込むか?
喧嘩を売るなら、相手がどう動くかまで最善を尽くさないと命取りになる。
何故この男は、大声を出して目をひん剥き、威嚇する事しかできないのだろう?
「テメー、人の話聞いてんのかよ?」
俺は不動の姿勢のまま、ジッと金子の目を見据え、静かに口を開く。
「ええ、気分を害された事にはお詫び申し上げます。ただ、インターホンを押した後は、カメラから距離を取って頂けない事には誰も分かり兼ねます」
一番いいのがこれで、短気なこの馬鹿が殴り掛かってきてくれればいい。
俺は目線を外さず、相手の肩の位置を確認する。
少しでも動いて殴り掛かってきたら、言い訳がきくように一発だけ食らってやろう。
そのあとは止めるふりをしながら、頸動脈を締めて落としてやればいい。
しかし金子は怒鳴るだけでそのあと店内へ入ってしまった。
この一件で星野がフォローを入れる事はまるでないままこの日を終える。
翌日この話を聞いた小西は、俺にまた意味不明な説教をしてきた。
「まったくそんなんだから、金子さんにドヤされんだよ!」
全身の血が逆流したような感じだった。
この馬鹿があの金子をそこまで図に乗らせ、間違った対応をしていない俺が無能だと言うのか?
あの時はグッと堪えた。
伊達に酒へ誘われた時、愚痴って終わりにした。
でも、今日のケースはもう無理だと思った。
自身の矜持を守る限界点に達していたから……。
星野の性格だ。
自分の連携ミスは言わず、俺の失態だけを倉敷へ話しているに違いあるまい。
俺がこれからする事は、身銭で金を埋めて、この店を辞める事。
残りの金いくらになるんだ?
引越しをしたばかりなのに。
まあいいさ、歌舞伎町ならどこだって仕事はある。
何もこんな理不尽な店にいる必要性はない。
ドアが開き、星野が電話を代わるように言ってくる。
俺はトイレへ行き、倉敷へ今日の状況を詳細を包み隠さず話す。
それから最後に言った。
「倉敷さん! 今回の件は自分の失態です。なので二十三万身銭で埋めます。ただ、それで店を辞めさせて下さい」
そのケースを想定していなかった倉敷は慌てて俺を静止した。
そして機嫌を取るように「結局のところ、悪いのは邪魔だった小西さんって事ですから。あと埋めなくていいです。それを上から説教もらう為に、自分がいるんですから」と言ってくれる。
俺は自身の非礼を詫び、丁重にミスした事を謝罪した。
項垂れたままアスクルームへ戻ると、伊達からLINEが入る。
店に入ったばかりで、俺の失態を見たので驚いていたようだが、時間合わせて飲みに行きましょうと書いてあった。
自分で裏稼業の中ではかなり優秀だという自負がある俺。
それは近くで仕事ぶりを見てきた伊達には分かるはず。
近い内時間を作り、彼に愚痴りたかった。
ベランダから新大久保駅のホームを眺めながら、何とも言えない一日を振り返る。
『仕事でミスして二十三万の損害出しちゃった……。自己嫌悪。 岩上智一郎』
神田へメッセージを送ってから、シャワーを浴び続けた。
ミスはミス。
俺がもう少ししっかりしていたら、あの二十三万の損失は防げていたのに……。
シャワーを終え、部屋へ戻る。
しかしこの日、神田からの返信は無いままだった。
久しぶりに望と会いたいな……。
俺は携帯電話を手に取り、彼女の連絡先を出す。
「……」
馬鹿だな、俺は……。
あの本を出して戦ったあと、転がり落ちた俺に対し、望は受け入れ慰めてくれたじゃないか。
あの時、神は救ってくれなくても、キリスト教徒である望には救われたのだ。
感謝も未だある。
こんな俺が今さらどの面下げて、あいつに送る言葉などあるのだ?
子供たちと幸せに生きているであろう望。
こんな人間が近付いてはいけない。
携帯電話をベッドへ放り投げる。
早く来月の祭りにならないかな。
無性に渚の顔が見たかった。

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