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AI時代に本当に必要なのは、「問い」を立てる力ではなかった。

「これからは、問いを立てる力が大事になる」

最近、AI時代の生き方として、そんな言葉をどこでも耳にするようになった。

確かにその通りだと思う。けれど同時に、胸の奥に小さな「引っかかり」が生まれていた。

問いは、頭で「さあ、考えよう」と思って生まれるものなのだろうか。

私は、どうしても違う気がしているのだ。



思い返せば、これまで私が心を動かされてきた問いは、いつだって個人的な「違和感」から始まっていた。


どうして私は、大人になるのが嫌だったんだろう。

どうして将来の夢を、一つに絞りたくなかったんだろう。

「運がいいね」と言われるたびに、なぜ少しだけ胸がモヤついたのだろう。

誰かに「頼ること」へ、どうしてこれほどの罪悪感を抱いてしまうのだろう。


最初から、綺麗に整理された問いがあったわけではない。

先にあったのは、「あれ?」という小さな心の引っかかりだった。

その違和感をどうしても無視できなかったから、結果として問いになったのだ。



AIは、驚くほど優秀だ。

問いさえ渡せば、一瞬で整った答えを何十通りも返してくれる。

けれど、「何を問うべきか」までを教えてはくれない。

それは、自分が日常のどこで立ち止まり、何に躓き、何を見過ごせなかったかという、極めて人間的な身体感覚からしか生まれないものだからだ。


だから私は、AI時代に価値が残るのは「問いを立てるスキル」そのものではないと思っている。

その一歩手前にある、「違和感を無視しない力」なのではないだろうか。


私たちは普段、違和感を早く消そうとしてしまいがちだ。


「考えすぎだよ」
「気にしすぎ」
「みんな上手くやっているよ」

そうやって言葉を上書きし、流してしまう。

けれど、その消し去りそうになる小さな違和感の中にこそ、自分だけの問いが眠っている。そしてその問いは、いつか同じように立ち止まっている誰かの救いにもなるはずだ。



AIは、答えに辿り着くスピードを圧倒的に速くしてくれた。

けれど、「何を知りたいのか」という原動力を授けてはくれない。


だから私は今日も、素早く答えを探す前に、自分の手元にある違和感をじっと観察している。


未来に残る価値とは、賢い答えを持っている人ではなく、自分にしか拾い上げられない「小さな引っかかり」を大切に抱え込める人なのだと思う。




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