『これからの私たち - All Shall Be Well』認められない同性婚 しっかり怒って理解する

長年連れ添ってきたレズビアンカップル、パットとアンジー。事業や交友関係も良好で、穏やかで安定した日々を送っていた。しかし、これから新しいビジネスを始めて人生の次のステップを踏み出そうとしていた矢先にパットが急死してしまう。
アンジーはパットの親族――兄とその妻、結婚して2人の子供を育てる姪、未婚の甥――とも親しく付き合ってきたが、パットの死後、葬儀の形式について意見が対立。さらに、香港の法律に従い、親族である兄がパットの遺産を相続することになる。パットとの思い出が詰まったマンションを終の住処と考えているアンジーにとっては、到底受け入れることができない。愛する人を失い、悲嘆に暮れるアンジーの前に立ち塞がる法律の壁と根深い偏見。一方、暮らし向きの厳しいパットの兄夫婦とその子供たちも、それぞれの事情をかかえて葛藤していた。
ことしの11月末、同性婚を認めないことは憲法に違反しない、という判決が東京高裁で下された。最終的にどうなるか、最高裁までもつれこむこの裁判の結果が待たれる。国が同性婚を認めないのは、単純にそのときの政権のスタンスにもよるし、法整備に時間がかかるという難点もあるだろう。だからこそ、国という地盤がぬかるんでいて法整備のスピードが遅くとも、われわれ一般市民は二人三脚で常に前へ歩み続けなければならない。すべての人間が幸福を追求する権利を阻害する法律なんて間違っている、と考え続けなければいけない。
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『これからの私たち - All Shall Be Well』では、法の傘の下に入れないレズビアンカップルの受難を描く。生涯寄り添ったパートナーと死別し残された主人公が、法的な婚姻関係が認められていなかったことからさまざまな問題に直面していく。遺産や不動産が相続できない、パートナーの貸金庫にアクセスできない、といった生活に直結する問題もあれば、葬式や風水で優先される血縁に入り込めない、という香港風俗上の不利にも追い込まれる。
そういった制度や風習の問題に対峙するために、身内やコミュニティ内での連帯は必要不可欠だ。なのに本作では、その身内=パートナーの兄家族から裏切られるような形で主人公のアンジーが追い込まれる。家族と思っていたにも関わらず遺産と不動産をせびられるアンジーの様子は、見るに耐えなかった。本作で心を痛めて怒りを覚える主な要因は、国や法の遅れもさることながら、そういったすぐ近くの人間の悪意や倫理のすれ違いにある。
ただ、その「怒り」をそのままパートナーの兄家族にぶつけられるほどシンプルな構造ではないのもまた、この映画を観て苦い気持ちになる理由のひとつ。パートナーの兄は飲食店経営に失敗し貧困に喘いでおり、その娘夫婦も、息子とその恋人も、亡くなったパートナー=パットの家族全員が困窮している。アンジーとパットがビジネスで成功して香港の都市部にマンションを購入しているかたわら、親戚家族はその周縁でひっそりと暮らさざるを得ない。そういった事情を勘案すると、親戚家族がパットの遺産にたかる様子も理解できなくはない。アンジーの怒りは、こういった事情が渾然一体となった非常に複雑な感情である。そしてこの複雑さをいろいろな当事者の目線からほどいていこうと、この映画と登場人物たちは丁寧に試みている。
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この映画は、同性愛カップルを美化し、その存在を祝福することも、声高に政治への関心を呼びかけることも、その本質として描いていない(もちろんそういった描写は、必要な分が丁寧に挿入されている)。そういった同性婚のことをいわば捨象して昇華するのではなく、すぐそこにいる同性カップルの問題と怒りをそのままつまびらかにする。当事者たちにはパートナーとの生活が明日も保証されているとは限らないことを考えさせるし、われわれマジョリティの視点から、家族同然の同性カップルと自分の生活とを天秤にかけたとき、果たして人間的な決断を下せるかどうかを問う。そして、家族と幸福について改めて考察し、その定義が今日か明日には揺らいでしまうかもしれない人たちがいることを明らかにする。そういった人々が隣にいるのなら、われわれは法や国家の代わりに、手を取り合わなければいけない。冒頭にも書いたとおり、あらゆる人間が幸福を実現することを阻む法など、そんなものは間違っている。国がその間違いに気づくまでには時間がかかるから、普通の権利を持てるわれわれが、持てない人々のことをケアする。少なくとも自分の周りにいる人たちの幸福が社会で保証されるように。
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わたしのオールタイムベストの1つに、『異人たち(2023)』がある。まるであの映画に再会したような感覚だった。地味〜な作品だからこその良さ。すばらしかった。
