このほど、国松の物語を書き上げました。
今、学んでいる大学院での課題作品として、今秋以降に取り組んだ中編です。
国松は、豊臣秀頼の息子(秀吉の孫)で、世が世なら天下人の跡取りともなり得た人物です。
まだ八歳の頃に、大坂夏の陣で秀頼とその母淀殿が自害し、大坂城から脱出していた国松も潜伏していた伏見で捕らえられ、数日後に京の六条河原で斬首されます。
「えっ、幼い子どもなのに」と思いますが、それが、この時代の現実だったのでしょう。情けをかけて敵の幼子を生かした結果、その子らに滅ぼされてしまった平家の前例が日本にはあります。
今回書いた物語は、大坂城の落城後の国松の逃避行と、伏見の近くの大池(巨椋池)のそばで匿われていた日々を描いたフィクション作品です。
史料にも国松の足取りは、ほとんど残っていませんし、どんなルートで徳川方の監視の目をかいくぐって大坂から伏見まで移動したのかも、よくわかりません。
そのため、自分でルートをシミュレーションして、実際にそのルートを自らの足でたどりながら、想像をして物語を創作しました。
この作品が発表できるのか、お蔵入りになるのかは、まだわかりませんが、もしいつか日の目を見ることがあれば、ぜひ読んでいただくとうれしく思います。
さて昨日は、作品が無事完成した報告とお礼を兼ねて、京都東山の阿弥陀ヶ峰のふもとにある国松の墓所に参ってきました。
京阪電車を七条駅(地下駅)で降りて、5番出口か6番出口から地上に出ると、そこは正面通りのすぐそばです。
このあたりから東側は、豊臣家ゆかりの史跡の多い場所です。
正面通りをまっすぐ東の方向に進むと、狭い道が突然広く開けます。
通りの突き当りにあるのが秀吉を祀った豊国神社。

そのすぐ北側にあるのが方広寺です。
豊国神社の前には、耳塚があります。これは朝鮮出兵の慶長の役で討ち取られた朝鮮兵・明兵の耳や鼻を葬ったとされる塚です。

方広寺にはかつて、秀吉・秀頼が作らせた大仏がありました。この大仏は〝京の大仏っあん〟として親しまれており、江戸時代後期(18世紀末)までありましたが、大火事で大仏殿もろとも焼け落ちてしましました(この火事は京の人々にも印象に残っており、今もわらべ歌になって残っています)。
方広寺には、大坂の陣のきっかけとなったとも言われる「国家安康 君臣豊楽」の文字が刻まれた鐘が現存しています。

豊国神社の南側の広大な敷地は、今は京都国立博物館になっています。博物館の東側にある東大路を渡ると、山の方に向かって伸びる上り坂があります。豊国廟参道という碑が建っていますが、地元では女坂という通称で有名な坂道です。

全国的にも、多くの神社仏閣で正面の門から伸びる道を男坂、脇を通る道を女坂と呼ぶ場合がありますが、この坂道の場合は、京都女子学園へ向かう通学路になっている意味合いが強いと思います。
女坂の途中には新日吉神宮(いまひえじんぐう)があります。もともとは後白河院によって平安時代末期に創建された神社で、日吉を「ひえ」と読むことからもわかるとおり、比叡山の守護神を勧進した社です。

狛犬の代わりに比叡山の神の使いともされる猿の像が社殿の前に鎮座しています。
この神社には、随所に秀吉との関りが感じられる要素があります。
まず社名が、秀吉の幼名・日吉丸とも共通すること。
境内内の小さな祠に「樹下社(このもとのやしろ)」がありますが、秀吉のかつての名前木下藤吉郎の「木下」ともつながるところ。
あとは猿の像が、どことなく秀吉の風貌を思わせるところ、などです。
新日吉神宮を過ぎると京都女子学園の施設が道の両側に続きますが、さらにその奥、阿弥陀ヶ峰の563段の石段を上り切った頂に、秀吉の遺骸が眠る豊国廟があります。

豊国廟の傍らからは、京都御所や清水寺、祇園、岡崎公園、京都大学方面の眺望が開けています。

国松の墓所があるのは、阿弥陀ヶ峰の石段の登り口の手前の左側です。
秀吉の妻の一人であった松の丸殿(京極竜子、寿芳院)の供養塔に寄り添うように、小さな国松の供養塔が置かれています。

秀吉の存命中は、松の丸殿は淀殿とライバル関係にありました。醍醐の花見では盃の順番を巡り、淀殿と激しく争ったという逸話も残っています。
しかし、大坂の夏の陣の後、幼くして処刑された国松の遺骸を、自らが暮らす誓願寺に引き取り丁寧に供養したのは、松の丸殿でした(当時は出家して寿芳院と名乗っていました)。
淀殿の血をひく国松を、ライバルであった寿芳院が供養する心理には、非常に興味が惹かれるものがあります。

国松の供養塔は、散った紅葉の葉に囲まれて、ひっそりと佇んでいました。
帰途、鴨川にかかる正面橋から北側の川面を眺めました。
この辺りが、六条河原。
国松が、短い生涯の最期に見た景色です。

天下人であった祖父が創建した方広寺、葬られている阿弥陀ヶ峰から目と鼻の先の河原で、幼い孫の命が絶たれたのは、なんとも皮肉なことです。
