掌編小説 【わたし、月から来たの】 前編
掌編小説「わたし、月から来たの」前編
「わたし、月から来たの」
「……は?」
空いた口が塞がらない。
なに言ってるの、この人。
「うそだと思ってるでしょ? でも、ほんとうなの!
……これ、月行きのチケット!」
彼女はそう言って、新幹線の切符のような紙切れを差し出した。
東京発 ― 月の宮行
大宮の間違いじゃないよね?
目を擦ってもう一度見ても、印字は変わらなかった。
「ほんとはね、人間を連れていくのはよくないんだ。
でも、巳波は特別。月の宮まで、連れてってあげる!」
そう言ってにっこり笑うのは、親友の唯月。
色白の肌に、華奢なスタイル。腰まである長い黒髪は、光を集めて輝いている。
学年で一番、いや、校内で一番と噂されるその美貌は、竹取物語の“かぐや姫”のよう。
そんな彼女の“親友”でいられることが、今でもちょっと信じられない。
「じゃあ、今日の夜ね! 満月の夜じゃないと、列車は出ないから。晴れるといいな〜」
……本当に月に行けるの?
そんな列車、聞いたことも見たこともない。
というか、“月から来た”って、何? 現代版かぐや姫!?
心の中でツッコミながらも、家に戻って出かける準備をした。
両親は今夜、仕事で帰ってこないし、ちょうどよかった。
待ち合わせの場所は、小高い丘の頂上。
雲ひとつない夜空に、金柑のような月がぽっかりと浮かんでいる。
肌を撫でる夜風が、少しだけ寒い。
待つこと数分、唯月が現れた。
「あんた、なにその格好……!」
思わず声が出た。
唯月は、国語の資料集で見たような――十二単のような着物をまとっていたのだ。
カラカラと転がすキャリーケースが、かろうじて現実感をつなぎとめている。
「まぁ、細かいことはあとあと! そろそろ来るはず……あ、見て巳波! あそこ!!」
唯月の指差す先に、小さな光が瞬いていた。
星のようにちらちらしていたそれは、だんだん大きく、明るくなり――こちらへ近づいてくる。
やがて現れたのは、レトロな雰囲気の列車。
飛行機のような轟音もなく、ふわりと空中を漂いながら、静かに着陸する。
唯月に手を引かれ、わたしはその“謎の列車”に乗り込んだ。
車内には、わたしたち以外に乗客の姿はない。
窓の外を見れば――どんどん高度が上がっている。
やがて、雲と並ぶ高さに達したとき、近くを飛行機が通り過ぎた。
思わず身をすくめたけれど、ぶつかることはなかった。
日本が、地球が、遠く離れていく。
そのまま、まっすぐ――月の光に近づいていく。
列車がふわりと停まり、静かにドアが開いた。
階段を降りて足を踏み出した瞬間、目の前に広がったのは――どこかで見たような、けれどやっぱり“知らない”風景だった。
空は濃い藍色に沈んでいるのに、地面からは淡い光がにじみ出ていて、昼間のように明るい。
通りには、レストラン、美容院、スーパー、お花屋さん……地球でも見慣れた店が商店街のように並んでいる。
でも、よく見ると、どこかちがう。
店の看板には読めるようで読めない文字が並び、宙を舞うように光るランタンが街を彩っている。
空気が少し軽い。重力が、ほんの少し違う気がした。
「……ここが、月の宮?」
「そう! わたしの故郷だよ!」
唯月がうれしそうに言う。
たしかに、彼女の着物姿がここでは浮いて見えない。
すれ違う人々を見れば……ピンクやブルーの派手髪の人に、三つ目メイクの人。
和装でパンチパーマの人がタピオカ片手に歩いていたり、バンドマンみたいなトゲトゲ頭の人がコンビニでガリガリした氷菓を買っていたり。
……異文化交流、って、たぶんこういうこと。
唯月に手を引かれながら、彼女の実家へと向かう。
ご両親が「巳波に会いたい」と言っているらしい。
結婚するわけじゃないのに、この緊張は何なのだろう……。
たどり着いたのは、茅葺き屋根でも武家屋敷でもない、ごく普通の一軒家だった。
玄関の前には、さりげなく“月の宮町3丁目”という表札が掲げられている。
「ママー、パパー、ただいまー!」
唯月が遠慮ゼロで扉を開ける。
わたしも靴を脱いで、おずおずと中へ。
ふわりと、甘い香りが鼻をくすぐった。
クッキーか、ケーキか……焼きたてのお菓子の匂い。
それだけで、少し心がやわらいだ。
リビングに入ると、そこには2人の大人がいた。
ダイニングテーブルに座るのは、黒の烏帽子に紫の狩衣をまとったパパさん。めちゃくちゃスマホいじってる。
キッチンでは、割烹着姿のママさんがホットケーキを焼いていた。
「あら、あなたが巳波ちゃん? はじめまして! 唯月がいつもお世話になってます!」
にこにこと挨拶するその笑顔は、まさしく唯月の原点。
なるほど、唯月の美しさはママさん譲りか……。
「こちらこそ、いつも仲良くさせてもらってます」
「今ね、ホットケーキ焼いてるの! 巳波ちゃんも、よかったら食べていって!」
わたしは甘いものに目がない。
ちょうどお腹も空いていたし、ありがたくご馳走になることにした。
《後編へ続く》
