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人生上手く行ってる時ほど谷に落ちる。

40歳を機に。
人生もう一度何か熱くなれるものに挑戦したくて美容業として独立を考えた。

話はさかのぼるが

僕が高校2年生の時、世の中は空前の『カリスマ美容師ブーム』
ドラマではキムタクが美容師役を演じて、
企画ものの番組でも『シザーズリーグ』という東京の有名どころの美容師さん同士がステージ上でバトルをして『どちらが可愛く変化させれたか?』をオーディエンスが投票で決める。
そんなテレビ番組も出来るくらいの世間的にも美容師ブームが来ていた。

その時代にまんまと感化された
高校1年生の僕は、美容師に憧れ、
色彩検定の勉強を始め、左手を動かす練習にギターを始め、知り合いの美容師さんに話を聞きに行って、高校2年生の時には
美容室(理容室)でアルバイトを始めていた。

初めての美容室でのアルバイトで
最初に言われた言葉。
『優秀な美容師(職人)になりたかったら、人が寝てる間、人が遊んでる間に練習するんやで』

その言葉を素直に吸収して
高校2年生の僕はその日から
美容師の練習に明け暮れる。

小、中学生の間は
勉強もスポーツも中の中。
強いて言えば勉強は進学校に
入れるくらいではあった。

なんとなく頑張り
それなりに怒られないくらいは努力もして
日々そつなく、それなりに楽しく
生活していた。

美容師を目指して初めて
自分が本気で向き合えるモノが見つかった。

親からは心配の声。
『あんたが美容師か。人と喋るのもあんまり得意な方じゃないのに。』
『まぁ頑張り。』

今から20年ほど前の
その時代の美容師といえば
『給料』低い
『時間』長時間労働
『やりがい』喜んでもらえるのが嬉しい

仕事の3軸の中の
『やりがい』だけを求めるような
職業観。

美容学校に行ってる
10人のうち7人は、途中で
美容師を辞めていく。

カリスマ美容師ブームだからこそ
キラキラと見えていた世界に
飛び込んだものの
実際はシャンプーなどの下積み5年。
給料はアルバイトと変わらないほど。
6年目でスタイリストとしてカットを
出来るようになっても
自分を指名してくれるお客様は数名からの
スタート。

それでも毎日が楽しくてしょうがなかった。

お昼ご飯も食べられず
休憩もろくに取れないような
サロンワークを経て、
夜の8時くらいに営業が終わる。
ちょっと休憩して、
さぁ帰ろうか?とはならない。

そこから自主レッスンで
夜中の11時、12時まで練習。

疲れて帰って
ご飯はコンビニ飯か外食。

朝起きてまた
サロンワークが始まり、
その日の夜も
『練習して帰るか、練習せずに帰るか。』
葛藤の上で
毎日、練習して帰る。

月曜日(定休日)は休むのか?

月曜日は、美容師向けのセミナーが沢山あり
成長のチャンス。

月曜日は大概、セミナーに参加するか
気になる美容室(京都、大阪、東京など)に
予約してカットやカラーをしてもらいにいく。
もちろん遊びも0ではないけども。

入社から7〜8年目くらいかな
2店舗目の出店が決まり。
そこで店長を任せてもらうチャンスを頂いた。

まじで右も左も分からない。
ワクワクと不安との入り混じり。

人生で初めて
スタッフみんなの前で
店長としてお店をどうしていきたいかを
涙ながらにプレゼンしたのを覚えている。

2店舗目がオープンして
店長を任されたが、最初から順風満帆とは
いかなかった。

空き時間は、少しでも近所の方に知ってもらえるように走り回ってビラ配り。

ご来店頂ける方にも精一杯喜んで頂けるように
日々を過ごした。

なんでも最初は盛り上がってるけども
年数が経ち、なんとなく日々が過ぎていく中で
辞めていくスタッフが続出したり
研修の中で自分自身も責任を感じたりなど
お客様の満足度も下がり始めて
上手くいかず
自分を責めて。

周りに助けを求めることも出来ず
上手に頼ることも出来ずに
ただただ
自分が出来ることを精一杯
頑張ってるつもり。

悪循環。

どんどん1人で苦しんでいた。

自分でも良くわからない精神状態。

あとあと周りで支えていてくれたスタッフに
こんな一言を言ってもらえた。

『あの時、顔が死んでましたよ。ずっと苦しそうやった』って。

どうやってそれを乗り越えたかと思うと

本間に自分の中でも
今まで経験したことないくらいに
どん底に落ち切ったことが大きいかもしれない。

どん底に落ち切った時に
自分自身が本当にちっぽけな人間なんだと
自分自身で感じたし
そういう出来ていないところや
自分の弱いところも含めて
もう一度、『谷 惇多』という人間を
役職や経歴などの表面上の作られた人物像
ではなくて

中心にある本当の人間本来としての
『谷 惇多』を1から育てていくしかないんだ。
と。

どん底に落ちた時に。
そんな状態でも自分の周りで関わってくれていた人。
支えになってくれる人がいたことは
本当に何ごとにも変え難い。

自分の本当の弱さを
自分自身で認めて、もう一度スタートを
切ってからは
『他人からの評価』
よりも
『自分はどうなりたいか』
に向き合えるようになった。

もちろんすぐには心が
追いつかない時期もあったけど
時間をかけて
一つずつ一つずつ
今やるべきことに向き合って
ちょっとずつ成長を感じる中で
それが自信へと変わっていった。

嫌なことや
辛いことは
誰でも経験したくない。

当たり前にそうだけど。

嫌なことや
辛いことを経験して
それを乗り越えようと
必死でもがき苦しんで
前を向いて一歩でも進める中で

人間としての成長のステージの
一歩がすすめるのだと思う。
(ずっとはしんどい。)

自分が店長という役職を務めて
7〜8年の最後の2年ほどは
振り返ると自分でも心が病んでいた。

実際にその当時、
オーナーにも会社を辞めようかと
迷っています。とお話も
させてもらっていた。

その後
オーナーから提案頂いた
新しい役割である
マネージャーという
会社の運営に関わる仕事を
任せてもらえるようになった。

僕が任せてもらったマネージャーの
具体的な役割は
会社の『ブランディング』を作る事。

まだ見ぬ顧客
今ご来店頂いている常連様

その両方に自社の魅力を感じてもらい
来店のきっかけを作ることが
与えられた役割だった。

一度辞めるかも。となった状況から
再度
新しい役割で頑張ってみよう。

そう思って
やれる努力はしてきた。
脳みそが四六時中
考え事をしていて休まる暇がなく
空き時間には
常に新しい情報をインプットする癖が
ついて
ご飯や移動中も常に何か
耳からのインプットをしていた。

社長の直属の
会社運営の一部を任せてもらう為には
その任されている一部では
社長以上にそのことに特化していなければ
自分が存在している意味はない。
そう思って
日々仕事をしていたが

自分がこうしたい。
と思っていることが
なかなか組織の中では
やりきれないことが多く
最終の決定権のなさと
自分自身のプランニングと
みんなに共感してもらえるようなプレゼンが出来ない実力不足もあり
やる気はあったが悶々とした日々を
5年ほど過ごした。

そしてようやく
40歳を迎えて。

先10年を見据える。

このまま
『期待されることに応える』為に
努力を続けることももちろん出来る。

ただ
自分自身が『美容師になりたい』
と初めて思った時の
初期衝動のような気持ちを
もう一度経験したい。

そう思った瞬間から
周りから期待してもらっているから
『その期待に応えてこうするべきだ』
と、思っていた固定観念が崩れて

期待してもらっているのに
独立を考えるのは『悪』。

という考え方が
『人生一度きりやし、自分がやってみたいと思う自分自身の気持ちに素直に生きたい』
という気持ちに変わっていった。

そう思い出して
独立する理由を自分自身に
問いかけ続けた。

今の環境を辞めてまで
自分自身がお客様や関わる人に
提供したい価値はなんなんだろう?

自分の得意を活かせるような
独立の方法はあるのだろうか?

そもそも何がしたいんやろう?

ずっと自問自答を繰り返して
出てきた答えが
『美容を通じて何かに頑張る人を応援したい。』
『人と人とがワクワクしながら関われる場所を創りたい』

この2つの目標を掲げて
2024.8.20
LALA hair&garageをOpenした。

LALAとは、
ハワイ語で『太陽』を意味していて

太陽のように周りを明るく照らすような
お店であり場所を創りたい。

そのような想いから店名をLALAにしました。

もちろん
Openまでの間も
悔しい気持ちや、寂しい気持ち。
前向きな気持ちに、ワクワクする気持ち。

本間に複雑な心境の中で
自分自身の不安を無くす為に
やれることは全てやる。

そう思ってオープン準備をしていた
4ヶ月間は
フリーランスサロンで働き
朝の9時〜夜の21時まで
びっちり予約一杯の毎日。
通勤は行きに1時間、帰りに1時間。
朝の通勤時には英語の勉強をルーティンで
やって、
お客様とお客様のご来店の間に
腕立て110回2セットをルーティンで
やって
フリーランスサロンのメンバーの中で
最初に出勤して、最後に退社するを
毎日繰り返して
最後のレジ締めの時には
ふらつきを感じながらも
自分を自分で鼓舞して。

もちろん月曜日は初めての出店準備で
保健所から店の備品や設備投資など
初めての事をコツコツやって休み無し。

働き過ぎて蕁麻疹にもなりながら
病院に通って治療して
今は不必要なルーティンをやめる事で
蕁麻疹も治り。

その時も
身体は疲れていたが
心はワクワクしていて
特に、
中学の時の
一個上の先輩であるcraft man代表の藤川さん
に店舗の改装をお願いしていたのだが

出来ていく店舗の
一つ一つのこだわりが
僕がかける初めての大きな挑戦
の想いを汲んでくれているか、
もしくはそれ以上にこだわって
施工をしてくれているのが
出来上がっていく工程から
肌身で感じられて

フリーランスで夜21時まで
働いて帰ってきて22時過ぎ
そこから
店舗の改装状況を1人で見にいっては
周りでこんなにやってくれている人が
いるねんから
自分はもっと頑張らないと。

奮い立たせて明日のサロンワークに向かう。

そのような日々を繰り返し
前の会社を退社して
4ヶ月ほどフリーランスで働かせてもらい

遂に完成!

完成した際には
オープニングのレセプションパーティーを開催して、お世話になった施工会社さんや
銀行さん、美容ディーラーさんなどを招いて
食事と共にアートを楽しむ
ライブペイントも開催した。

その時にアーティストさんに
LALAの店舗前の駐車スペースに女性をモチーフにしたアート作品を描いてもらった。

その絵にもLALAの想いと共に
人との繋がりが広がっていくようにと
昼顔の花が描かれている。
(※昼顔は蔦が伸びて広がっていく植物)

実際に
LALAはオープンしたものの
正直に
こんな田舎の遠くまで
担当させてもらっていたお客様は
ご来店いただけるのだろうか?
という不安も拭えなかった。

ただ予測に反して
お店をOpenしてから
その年の12月には
銀行さんに提出していた事業計画の
予測の倍を超えるお客様に恵まれた。

そこから
『美容で何かに頑張る人を応援する』を
考え方の軸に日々
サロンワークを続けて

仕事を共にする
仲間にも恵まれた。

もちろんずっと一緒に働き続けるわけでは無いが少しの期間でも
このLALAという場所で
共に働くことが出来ることが
本当に嬉しく思える。

そこから
その子の美容師としてのビジョンにもあった
ヘアスタイルだけでなくファッションも一緒に提案出来る人になる。
という目標のもと
『古着の販売』もスタートした。

店舗裏には父親と一緒に手作りしたドッグランも作って地域の方にとっても
交流できる場所にした。

そして、また1人仲間が増えて
助け合うことのありがたみを感じて
今は3人でLALAを創っている。
(※本間はもう1人いたけど引っ越しの為断念)

2年目を迎えて
順風満帆すぎて自分でも
自分を知らず知らずのうちに
過信するようになっていた。

やりたいことばかりに目を向けて
やらなければいけないことに目を背け始めて

ストレスなく
自分の好きなことを好きなようにして。

調子に乗っている自分に
バチが当たったのか

つい最近立て続けに
良くないことが起こった。

車の運転中に鹿が飛び出てきて
ぶつかり車は廃車。
(鹿さんごめんなさい)

その後すぐ、美容室の提供できる
新しいサービスを模索して失敗して
大きな損失。

古着の買い付けにベトナムに渡航する予定が
パスポートの有効期限が6ヶ月未満で
飛行機に乗れず。

1ヶ月以内でここまで
不運なことが続くなんて。

自業自得。
当たり前。

自分のことばっかり考えて
周りの意見を聞かずに突っ走って

本間に何をしてるんやろう。
情けなすぎる。

寝たくても寝つけない夜。
結局、朝まで寝れずに仕事に。

家族や身近な人にも迷惑をかけて。

こんなんじゃあかん。

何をしてるんや俺は。

ちゃんとしな。

やりたいこともしたいけど
今『やるべき事』をきっちり
ちゃんと一つずつやっていこう!

そして自分1人を満たす行動だけを
するのではなく、
家族や仲間と一緒にそれぞれのやりたいを
叶えていけるように。

そう気持ちを切り替えて
自分の中で再度
リスタートを切っていこうと思います。

LALA3年目も
チャレンジすることは恐れずに
堅実に少しずつ、家族や仲間と共に
成長を振り返れるように
『美容のチカラで何かに頑張る人を応援する』を少しでも叶えていけるように
頑張ります!

これからもよろしくお願い致します。

LALA代表  谷 惇多

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