日本は戦時中にペニシリンを作れていた――では、なぜ大量供給できなかったのか
1944年1月、日本でペニシリン研究が正式に動き始めた。先行する英米の情報は軍事機密となり、研究資材も不足していた。それでも約9か月後、日本の研究班は精製ペニシリン「碧素1号」に到達した。
同年11月には森永の三島工場へ量産が依頼され、12月23日には森永と萬有製薬から、それぞれ5リットルの精製液が届いた。1945年2月には萬有が精製粉末品を完成している。
つまり「日本はペニシリンを作れなかった」という説明は正確ではない。作れた。問題は、負傷者へ安定して配れる量と品質で作り続けられなかったことである。
ここから、青カビを薬へ変える工程を、培養、抽出、乾燥、検定、工場保守の順に分解する。
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