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米軍ブルドーザーの設計図があれば、日本軍の飛行場建設は追いついたのか


太平洋戦争を扱った本や映像には、必ず出てくる場面がある。上陸した米軍のブルドーザーが何台も並び、ジャングルを数日で滑走路に変えてしまう場面だ。ウッドラークでは、第60建設大隊が1943年7月2日に整地を始め、わずか12日後には幅150フィート、長さ3,000フィートのサンゴ舗装滑走路を運用可能にしている。対して日本軍は、同じような工事を鍬とモッコと人力に近い形で、何倍もの時間をかけて進めていたと語られる。

この対比を見た人の多くは、二つのどちらかの感想を持つ。米軍のブルドーザーの設計図さえ渡せば日本もすぐ同じことができたはずだ、という感想と、そもそも日本の工業力ではブルドーザーという機械自体を作れなかったはずだ、という感想である。

この記事は、どちらの直感も同じくらい間違っていることから始めたい。

まず動かしがたい事実がある。日本は1943年、実際に国産ブルドーザーを完成させている。小松製作所が手がけたG40である。これは無から設計した専用車両ではなく、既存の履帯式農業用ガソリントラクターに排土板を取り付けたもので、飛行場建設向けの要請に応える形で成立した。しかも排土板の操作方式は油圧式だった。同時期の米国製ブルドーザーの主流はケーブル式操作であり、油圧というだけなら日本の方式が先んじていた部分すらある。ただしここで注意しておきたいのは、この油圧採用を根拠に「日本のブルドーザーの方が総合的に優れていた」とか「量産能力で並んでいた」と拡張してはいけないということだ。操作方式が新しいことと、車体として量産され前線で壊れず動き続けることは、まったく別の問題だからである。

つまり、日本にブルドーザーを作る技術がなかった、という直感は成立しない。1942年の日本へ米軍D7級の図面や実物、整備資料を渡していたとしても、それは「作れなかったものを作れるようにする」話ではなく、「1943年に自力でたどり着いた技術を、もう少し早く、もう少し良い形で手に入れる」話にしかならない。

では、もう一方の直感、設計図さえあれば米軍並みに飛行場を量産できたはずだ、という期待はどうか。ここで持ち出したいのが、沖縄戦における第32軍の記録である。米陸軍のCSI資料によれば、飛行場建設が進められた時期の第32軍が保有していた履帯式建設機械は、ブルドーザー2台とローラー1台に過ぎず、作業の多くをシャベル、鍬、土籠、そして馬車に頼っていた。1945年、G40はすでに存在から2年が経っている。それでも前線の主力部隊が実際に動かせた機械は、片手で数えられる台数だった。

G40という一台を作れたことと、それを海の向こうで毎日動かし続けることの間には、何があったのか。

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