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ヒギンズ・ボートを量産すれば、日本軍の上陸作戦は変わったのか

太平洋戦争の上陸作戦を写真で追うと、必ず同じ場面に行き当たる。船首の扉が海岸目前で倒れ、兵士が波打ち際へ走り出す、あのヒギンズ・ボートである。船首ランプ付きの上陸用舟艇は米軍の代名詞になった。ここから読者が抱く直感は二つに分かれる。一つは、この図面と実物と量産・整備のノウハウを1941年の日本へ渡せば、日本軍の上陸作戦もあの速度に変わっていたはずだ、というもの。もう一つは逆に、日本にはそもそもこの舟艇技術自体がなかった、というものである。

どちらの直感も、事実の半分しか見ていない。

Higgins Eurekaと呼ばれたこの舟艇は、1938年に試験され、1939年に暫定採用、1940年に米海兵隊の主要上陸舟艇として正式に採用された。ここまでは順当な兵器開発の年表に見える。だが米海兵隊の公刊史には、もう一段別の経緯が記されている。船首から兵員と車両を直接押し出すあのランプは、米側が独自に発案したものではない。船首にランプを備えた日本の舟艇の写真に、海兵隊の関係者が注目したことがきっかけになっている。Higginsはその発想を得てから一年に満たない期間で自案を作り上げ、それが後の36ft LCVPへつながった。日本の舟艇とLCVPが同一の設計だったわけではないが、核心の発想を米側へ先に見せていたのは日本側だった、という順序は動かない。

つまり、「日本にはこの発想がなかった」という前提そのものが崩れる。船首ランプという着想自体は、日本がすでに持っていたものだった。

だとすれば、問いは立て直さなければならない。日本がランプで遅れていなかったのなら、米国が本当に量産したものは何だったのか。

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