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100オクタン航空燃料のレシピがあれば、日本の航空戦力は蘇ったのか


太平洋戦争の航空戦を語るとき、よく持ち出される仮定がある。もし日本が、米軍機に積まれていた100オクタンという高性能燃料の配合をそっくりそのまま手に入れていたら――圧縮比を上げ、過給圧を上げ、エンジンはもっと粘り強く回り、戦局は多少なりとも変わっていたのではないか、という想像である。

オクタン価とは、標準試験条件で燃料がどれだけノッキングを起こしにくいかを示す指標である。高いほど、対応するエンジンでは圧縮比や過給圧を高める余地が増える。「あの数字さえ手に入れば」という発想は、エンジン屋の直感としてはごく自然なものだ。技術は紙に書ける。書けるものなら、渡してしまえば再現できる――産業技術史のIFでは、この種の楽観が繰り返し顔を出す。

しかもこの想像には、それなりの根拠がある。日本は資源小国と言われながらも、精製設備そのものは持っていた。石油化学の技術者もいた。「配合さえ分かれば、あとは日本の工場で再現するだけだ」という発想は、荒唐無稽な思いつきではない。

だが、少し立ち止まって数字を見ると、引っかかるところが出てくる。1940年時点で日本が海外から運び込んでいた石油は年間およそ3,716万バレル、国内で産出できていたのはその1割にも満たない316万バレルほどだった。石油供給の大半を、海を渡る輸入に頼っていた国である。100オクタンという燃料が、果たして「配合を知っている」というだけで解決する種類の問題だったのだろうか。

実のところ、「100オクタン」という数字は、標準試験で評価される燃料の耐ノック性能を示す指標である。単一の配合表さえあれば満たせる基準ではなく、その性能を大量かつ安定して実現するには、原油を分解し、分岐した炭化水素を増やし、添加剤で仕上げるという、複数の精製・化学工程を組み合わせる必要がある。ここから先は、その工程が実際にはどれほどの規模のものだったのかを、当時の数字で追いかけていく。

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