木製モスキートの設計図があれば、日本は高性能機を量産できたのか
アルミが足りないなら、木を使えばいい。太平洋戦争の航空機史を眺めていると、一度はこの発想に行き当たる。日本には家具や建具を作る職人がいた。合板産業もあった。そして実際、英国は木製の高速機デ・ハビランド モスキートを、終戦までに約7,800機、資料によっては8,000機弱まで作り上げている。爆撃機型、戦闘機型、偵察機型と姿を変えながら、木の機体は戦争のあいだずっと前線で使われ続けた。
だとすれば、1942年初頭の日本にモスキートの図面と材料表、できれば実機の見本まで渡していたら――日本は同じように木製の高速機を量産できたのではないか。木材資源にも職人にも恵まれた国が、なぜそれをやらなかったのか、という悔しさすら感じさせる問いである。
一方で、逆の直感もある。日本の工業力では、そもそも木製機すら満足に作れなかったのではないか、という見方だ。しかしこれも極端すぎる。日本には航空機生産の実績があり、木材と接着剤の研究も進めていた。問題は「作れるか作れないか」の二択ではなく、どこまで到達し、何が最後まで残る壁になるかである。
モスキートは「木の飛行機」である前に「発想の飛行機」だった
モスキートはもともと、防御用の銃塔も追加の乗員も持たない、無武装の高速爆撃機として構想された。的にされる前に逃げ切ればいい、という思想である。ロールス・ロイス マーリンを二基搭載し、低抵抗で軽量、表面を滑らかに仕上げた機体でそれを実現しようとした。木材はその実現手段の一つであって、木材そのものが速さの理由ではない。
初飛行は1940年11月25日。英国空軍博物館の記録では、同年3月の時点ですでに50機が発注されている。生産は英国空軍博物館の記録で全型7,781機、米空軍博物館の表現では「ほぼ8,000機」に達した。デ・ハビランド航空博物館によれば、ハットフィールドとリーヴスデンの2工場だけで1945年8月15日までに4,444機、そのほかの英国工場でも1,000機を超える機体が組み立てられている。木製機を「片手間の代用品」と見るには、あまりに大きな生産規模である。
木材一般ではなく、規格化された木質複合構造だった
ここで一つ、確認しておきたいことがある。モスキートが使ったのは「木材」ではなく、樹種と厚みと接着条件を管理した複合構造だった、という点だ。
胴体は、南米エクアドル産バルサ材9.5ミリを芯にして、両面をカナダ産バーチ合板(各4.5〜6ミリ)で挟んだサンドイッチ構造を基本とする。単純に厚みを足すと9.5+2×(4.5〜6)で約18.5〜21.5ミリになるが、これは機体全域の厚みでも強度でもなく、あくまでこの断面構成の目安にすぎない。この半殻をコンクリート製の型の中で成形し、内部にバーチ合板のフォーマーやスプルース材のブロック、隔壁や床を組み込んで接着剤が硬化するあいだクランプで押さえ続ける。左右の半殻ができたら接着とねじ止めで一つにし、外側を布で覆って仕上げる。主翼も合板の箱桁と合板のリブ・ストリンガーを接着した構造で、補助翼や発動機まわりなど金属部品も残る。「全部が木」ではない。
スミソニアン航空宇宙博物館の記録によれば、この接着部を補強するために、主翼だけで約30,000本、胴体と尾部で約20,000本、合計すると単純計算で約50,000本の小さな真鍮製の木ねじが打ち込まれている。これは工数や重量への換算ではなく、一機を仕上げるのにどれだけ膨大な手作業の接合点があったかを示す数字として受け止めたほうがいい。
英国空軍博物館は、この生産に家具・キャビネット製造工場が動員されたことを記している。ただし重要なのは、家具職人がそのままの技能で量産に参加したのではなく、彼らが「極めて高い公差」を新たに習得した、という条件付きの成功だったという点だ。1940年10月にハットフィールドが空襲を受けた後、工程は分散され、家具や車体を作っていた業者が下請けとして組み込まれていった。木工の裾野があったことは事実だが、それは航空機として通用する精度への転換をともなって初めて成立した。
図面と技術者を実際に渡した国がある
この問いを考えるうえで一番参考になるのは、英国が実際に図面と技術支援を渡した相手、オーストラリアの事例である。豪州公刊戦史によれば、現地生産にあたって図面や設計資料一式、英国との技術連絡体制、必須の工作機械までが用意された。それでも英国から現地へ派遣できた技術者はわずか1名だった。1942年後半に生産を立ち上げる段階で新たに編成された労働力は約600人、その多くは航空機工場の経験がなかった。
技術と図面を渡されても、それだけで同じものが同じように作れるわけではない。豪州が最初にぶつかったのは材料そのものの違いだった。現地のコーチウッド合板はカナダ産バーチ合板と特性が同一ではなく、主翼の一部を厚い合板に置き換える再設計が必要になった。バルサに関しては、南米産に満足に代わる現地材が見つからなかった。
無料部分としてここまで示したのは、モスキートが「木さえあれば作れる機体」ではなく、規格化された材料と、それを扱いこなす精度の体系だった、ということである。ここから先は、その体系が崩れたときに何が起きたのか、そして日本にそれを渡したらどこで止まるのか、という具体的な検証に入る。
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