あの時代の優しさ逞しさ『おかあさん』
成瀬巳喜男監督 (1952) 新東宝
全国児童綴り方集「おかあさん」の作品をもとに
水木洋子さんの脚本で映画化されました。
何十回、観たか判りません。
小津監督の『お早う』や『浮草』は
60回以上 観ているのだけれど
島津保次郎監督『兄とその妹』と
この『おかあさん』も 50回は絶対、観てる。
そういう性格なの。
〇
映画は 女学校を卒業したばかりの
福原家の長女・年子 (香川京子)の
こんなナレーションで はじまります。
「私のおかあさんは
よそのおかあさんから くらべると
少しちっちゃくて小ぶりなので
長いホウキが大きらいです」

物語の舞台は 戦後間もない東京の下町。
年子の父 (三島雅夫)は
子供たちが「ポパイの父ちゃん」と呼ぶほど
筋肉モリモリ。
若いうちから重いアイロンで鍛えたと自慢するように
かつては腕の良い洗濯屋だったが
戦災で焼け出され 今は守衛の仕事をしながら
店の再建を夢見て頑張っている。
年子の母 (田中絹代)も 夫の夢の実現のため
くるくる家事を切り盛りする一方で
露店で飴を売っている。

「奥さん、おひとつどう?」
「あら、悪いですね、じゃ、私のマッチもどうぞ」
商売モノをやりとり。
お顔見えてないけど 露店仲間の奥さんは
沢村貞子さん。
福原家には ほかに
年子の兄・進 (片山明彦)が 肺を患って自宅療養中。
妹・久子と 従弟の哲ちゃんもいる。
哲ちゃんは 母の妹で 今は美容師の資格を取るため
修行中の則子 (中北千枝子)の一人息子。
則子が一人立ちするまで 福原家で預かっている。
それから
年子は 近所の空き地の掘っ立て小屋で
冬は今川焼、夏はアイスキャンディーを売って
家計を助けている。
そしてそして 年子には
パン屋の息子・信二郎 (岡田英次)という
ちょいとハンサムなボーイフレンドがいる。

「この本、面白いだよ、猿飛佐助」
「もっと、ロマンチックなのがいいわ」
やがて いよいよ
新しいクリーニング店の 再開のメドが立ち
お父ちゃんは張り切って 寝る間も惜しんで
トントン、カンカン、自宅改造に精を出す。
そんなとき 不幸がやって来た。
兄の進が亡くなった。

「人間は何のために生まれるのでしょう。
そしてなぜ死ぬのでしょう。
今までいた人が消えてしまうなんて・・・」
そして悪いことが続いた。
やっと、クリーニング店開業に漕ぎつけた頃
お父ちゃんが病に倒れる。
店は お父ちゃんの弟子の木村さん (加東大介)が
手伝いに来ることになった。

木村さんは戦争中
シベリアで捕虜になっていたので
子供たちは「捕虜のおじさん」と呼んだ。
「どうして あんなになるまで 我慢してたのですか」
お医者から
母・正子は 夫がもう長くはないことを告げられる。
辛い胸の内を隠して語り合う 夫婦の思い出話。

「楽しかったなあ、初めてここで所帯を持った頃は。
ウチは町内で一軒きりの洗濯屋だった。
二人でびしょ濡れになって洗ったなあ。
4年目に電話を買ったときは嬉しかった。
今度、電話が引けましたからって
名刺を一軒一軒、配って歩いた
おまえのその恰好まで 目に見えるようだ」
やがて 夏祭りが来て
のど自慢や お神輿の 喧騒の余韻を残して
去って行った。
そして秋。
遂に大黒柱の「ポパイの父ちゃん」が亡くなった。
年子のナレーション。
「10月の空は青く澄んで
どーんと、どこかで花火の煙が上がっていそうな日でした。
私はこの日のことを 一生忘れることが出来ません」
やがておかあさんは 木村さんの助けを借りて
クリーニング店を再開。
福原家にも少しづつ 明るい日常が戻って来た。


わんぱく 哲ちゃんと久子。
けれど
お父ちゃんのお葬式費用も借りたままで
家計は厳しい。
すると 福原家を思いやって
子供の無い叔父夫婦が
小学生の久子を貰いたいと言い、久子も行くと言う。

「私、やっぱり行くわ。
私が行ったら 一人分助かるじゃない。
今日、お米屋さんが来たけど
お母ちゃん、お米の配給取らなかったのよ」
こうして久子は
自分で描いた お母ちゃんの絵を持って
貰われて行きました。
兄や父の死など
一家に押し寄せる 悲しい出来事も
沈み込む暗さはなく どこかサラッと明るく
スケッチ風に 淡々と描かれています。
そしてクライマックス (?)は

美容師のおばさんのモデルとして
花嫁姿になった年子を見て

どこかの誰かに先を越されたかと
慌てふためく信二郎です。
ラストシーン、ここは胸を打たれます。
お布団の上でお相撲を取って
じゃれ合っている お母ちゃんと哲ちゃん。
そこに 年子のナレーションが流れて
映画は幕を閉じます。
「今日もまた 静かな夜は更けていきます。
そして、明日も雀の声で幸せな朝がやって来るのです。
おかあさん、私の大好きなおかあさん、幸せですか?
私はそれが心配です。
おかあさん、私の大好きなおかあさん
いつまでも、いつまでも生きてください」

貧しかったけれど
あんなにも真面目に明るく生きていた時代。
嗚呼、ジャスミンは
あの時代をもう一度、生きたい。
〇
1952年 第7回毎日映画コンクール
助演男優賞・加東大介
第3回ブルーリボン賞
監督賞・成瀬巳喜男
助演男優賞・加東大介
この映画を観ると ある本で読んだ
加東大介さんのお話を 思い出すのですが
当時、京都で時代劇の仕事が 多かった大介さんは
どうしても東京に出て 現代劇をやりたかったけれど
それがなかなか叶わず その日も時代劇を撮っていた時
奥様から電話で
成瀬さんの『おかあさん』に 出演が決まったと言って来た。
「加東大介に現代劇はどうかな」の周囲の声に
成瀬監督は「大丈夫、やれるよ」と
太鼓判を押して下さったと聞き
嬉しくて電話口で 泣いてしまったそうです。
結果、賞も取られて 嬉しかったでしょうね。

おしまい
