『田中絹代は負けない❤️🩹その2』
前回に続いて
長年 松竹大船撮影所で
プロデューサー、シナリオ研究所長をされていた
升本喜年さんのご本「松竹映画の栄光と崩壊」その他より
『田中絹代は負けない』の 2回目です。
〇
これまで スター女優とは
類まれな「美貌」が 絶対条件だったが
その常識を 絹代は破った。

絹代の武器は 「可憐さ」と「庶民性」である。
それだけに
後から来る「若さ」と「美貌」が怖かった。
この頃、絹代が恐れていた 若手女優には
川崎弘子、高杉早苗、桑野通子などがいた。
その筆頭の 川崎弘子は
美貌と甘い雰囲気が魅力で
絹代を抜くのは 時間の問題と思われたが
突然、尺八の名手・福田蘭堂と恋に落ち結婚。
蘭堂は
明治の洋画家・青木繁の息子であるが
プレイボーイの悪名高く 弘子の人気は急落した。

次は 小津安二郎をはじめ
監督たちから 一番 将来性を買われていた
高杉早苗だったが
彼女も 三世・市川段四郎と結婚
思い切りよく 家庭に入ってしまった。

そして、桑野通子。
彫りの深いマスクと 均整のとれたプロポーションで
群を抜いていた 通子は
『有りがたうさん』『兄とその妹』の好演で
名実ともに 桑野通子時代到来を印象づけたが
恋仲だった森永製菓の社員との間に
後年、スター女優になった 桑野みゆきを出産。
みゆきが3歳になった頃、惜しくも31歳で急逝した。

絹代は 運の強い女と囁かれた。
しかし当然ながら
後から後から 新芽は伸びて来る。
その後まもなく
頭角を現して来たのが 18歳の高峰三枝子で
絹代は 彼女を激しく意識した。

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