原節子ものがたり💌「原節子と黒澤明」
石井妙子著「原節子の真実」
その他から 抜粋させて頂きました。
〇
東宝に移籍した 原節子。
5年が経ち、戦時中も
今井正監督『結婚の生態』、島津保次郎監督『母の地図』
山本嘉次郎監督『ハワイ・マレー沖海戦』など
大根と叩かれながらも 後の巨匠たちに使われ
キャリアを積んでいった 節子は
1946年(昭和21) 終戦の翌年

資生堂のイメージガールに起用され
戦後初の多色刷りポスターが 街中を賑わせた。
そしてその頃、節子の前に現れたのが
やがて東宝を背負って立つ 逸材と言われていた
新進の黒澤明監督だった。
黒澤は 1943年(昭和18)『姿三四郎』で
鮮やかなデビューを 果たした直後に
節子をヒロインに想定した企画を 会社に出している。
それは敵兵に囲まれた 姫が城に籠城し
最後まで勇猛果敢に戦うという
日本版ジャンヌ・ダルクのような物語だったが
この企画は流れた。
そして 1946年(昭和21)
黒澤は満を持して 節子を主演に大作を撮る。
『わが青春に悔いなし』である。
黒澤明36歳、節子26歳だった。
黒澤はこの作品に 渾身の力を注ぎ
節子にも いっさい妥協しなかった。
ヒロインがピアノを弾くシーン。
節子はピアノは弾けないが ピアノに向かって
激しく弾いてるように 上半身を大きく動かす演技を求められたが
それが節子には 気恥ずかしく 上手く演じられなかった。
「女優のくせに、こんな芝居もできないのか!」
黒澤は大勢のスタッフの前で 罵声を浴びせ
節子は 思わず涙をこぼした。
しかし この厳しさも含め
節子は若く知的な黒澤に 惹きつけられた。
そして黒澤も こう語っている。
「僕は今、幸枝という女に夢中になっている
勿論、この女は作品中の人物であるが
今の僕の頭の中では 現実よりも もっと生々しい存在である」
ここで黒澤は「幸枝という女」と語っているが
幸枝は「原節子」と
置き換えてもいいのではないかと思う。

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