エミリー・レムラー 『How Insensitive』ボサ・ノヴァに通じたジャズギタリストの軌跡
エミリー・レムラー Emily Remlerは、チャーリー・クリスチャンやウェス・モンゴメリーの流れを継ぐ、稀有な女性ジャズギタリストである。1957年、ニューヨーク市で生まれ、1990年に心不全でこの世を去った。享年32歳という短い生涯ながら、彼女が残した音は今なおジャズ・ギター史の中で鮮やかな光を放っている。
エミリーがギターに触れたのは10歳の頃、ジミ・ヘンドリックスやジョニー・ウィンターに衝撃を受けたのがきっかけだった。ロックから入ったという点で、同時代の若者と変わらないスタートだったが、彼女の音楽的探究心はやがてジャズへと向かう。高校卒業後、1976年にボストンのバークリー音楽院に入学し、1979年までの在学期間でジャズ理論と即興演奏の基礎を徹底的に学んだ。ここでの鍛錬こそが、後の彼女の音楽的成熟を支える土台となった。
興味深いのは、バークリー在学中に出会った音楽文化の広がりである。彼女の追悼サイトによると、ブラジル出身の女性ギタリスト、セリア・ヴァズ Célia Vazに師事し、ボサ・ノヴァの「ヴィオロン(Violão)」の演奏法を学んでいたという。セリア・ヴァズはバークリーの学友であったパット・メセニーとトニーニョ・オルタを引き合わせた人物としても知られる。つまり、エミリーはバークリーにおいて単にハーモニーやスウィングの語法を学んだだけでなく、ブラジル音楽という別系統のリズムと感性を体得したのである。
ボサノヴァは、和声の洗練とリズムの柔らかさを兼ね備えた音楽だ。4ビートのジャズが“縦”のリズムを刻むとすれば、ボサノヴァは“横”の揺らぎを重視する。エミリーのプレイが「ウェス風」と評されることが多いのは、確かに彼女がオクターブ奏法やコードメロディを駆使したことによるが、それ以上に注目すべきは音の間(ま)の取り方である。彼女の演奏には、ボサノヴァに由来する「余白の美」が確かに存在する。ピッキングの柔らかさ、コードボイシングの透明感、そして一音ごとに呼吸するような間の取り方――それらは単なる模倣ではなく、ボサノヴァ的アプローチを自らの中で昇華した結果と言える。
その証拠が、1980年代初頭にアストラッド・ジルベルトのツアー・ギタリストとして抜擢されたことにある。ボサノヴァの女王のバックで弾くには、単にコード進行を理解しているだけでは不十分で、歌の呼吸、リズムの隙間、ブラジル特有の「溜め(タンガージュ)」を感じ取り、それに寄り添うセンスが求められる。エミリーはその繊細な間合いを理解していた稀有なギタリストだった。ステージ上では決して派手に自己主張せず、歌に寄り添いながら音楽全体を呼吸させる。ここに、彼女が学んだボサノヴァの精神が息づいている。
エミリーはまた、ジャズの現場でも高く評価されていた。ジョー・パスやハーブ・エリスといった名手たちが彼女の才能を認め、1980年代半ばにはリーダー作を発表するまでになる。だが、彼女の演奏にはどこか常に「内省」が漂う。速弾きや技巧を誇示するのではなく、旋律の美しさと調和の中に“個”を見いだそうとする姿勢があった。それは男性的なジャズギターの世界における“異質な存在”ではなく、新しい感性の提案であった。ジャズが持つ知性と、ボサ・ノヴァが持つ感性。その二つを架橋したのが、エミリー・レムラーというギタリストなのである。
1990年、オーストラリアのツアー中に心不全で急逝。まだ32歳という若さであった。生前の録音は多くないが、その中には「East to Wes」や「Firefly」など、彼女の多面的な音楽性を示す作品が残っている。いずれも、女性だからではなく、一人の音楽家として、時代を超えて聴かれるべき演奏である。
エミリー・レムラーは、ジャズとボサ・ノヴァ、技巧と感性、東海岸の理知と南米の情熱をつなぐ“橋”のような存在であった。彼女の演奏を聴くと、音楽とは単なる技術ではなく、文化と感情の交差点に立つ表現であることを思い出させてくれる。短い生涯でありながら、そのギターは今も静かに語りかけてくる。彼女の音には、優しさと強さ、そして音楽を愛した純粋な魂が宿っている。
