カラヴァッジョ〈果物籠を持つ少年〉
「時代の顔」とも言える芸術家が、美術史の中にはしばしば登場する。
従来の常識を打ち破る革新的な画風や作品によって、周囲の芸術家たちを瞬く間に魅了し、ついにはその時代そのものの様式を形作ってしまう。
ミケランジェロ・メリージ、通称カラヴァッジョは、まさにバロック美術の顔である。
40年にも満たない生涯ながら、その革新的な画風は、同時代の多くの画家たちを魅了し、その影響はヨーロッパ 中に波及した。
バロック美術について、カラヴァッジョの存在を抜きに語ることができないと言っても過言ではあるまい。
そんな彼の原点の一つが「花と果物」と言ったら驚くだろうか。
今回はカラヴァッジョの初期作品〈果物籠を持つ少年〉を題材に、この稀代の天才画家の原点に迫ってみたい。
①ミケランジェロ・メリージという男
1590年代、1600年の大聖年を目前にローマは沸き立っていた。
聖年とは、カトリック教会にとって25年に一度の特別な年だ。この年にローマを訪れ、しかるべき教会でミサを受けた巡礼者は特別な「罪の赦し」が与えられるとされる。
とりわけ1600年の聖年は、宗教改革とそれに対するカトリック改革を経験した教会にとって、その威信を内外に示す重要な機会でもあった。
この時期のローマに集まってきたのは巡礼者だけではない。
ローマ中で街路が整備され、聖堂や宮殿の新築・改修も行われていた。それらの仕事にありつくべく、ヨーロッパ中から腕に自信のある者、この機会に一旗揚げようとする者がローマを目指し、続々と押し寄せていたのだ。
その中に混じっていたのが、20代のカラヴァッジョである。

カラヴァッジョ、本名・ミケランジェロ・メリージは1571年にミラノで生まれた。13歳でミラノの画家ペテルツァーノの弟子になる。
ミラノを含むロンバルディア地方は、地理的にもネーデルラントやフランスなどの「玄関口」とも言える立ち位置にある。そのため、早くから美術においても、身近な現実のモチーフへの関心と細部描写を特徴とする北のネーデルラント美術からの影響を強く受けていた。
また、15世紀末から16世紀に滞在していたレオナルドがもたらした自然観察の精神もまた、画家たちの中に息づいていた。
自然であれ人間であれ、目の前のモチーフを徹底的に観察すること、そして見えた現実の姿をできる限り忠実に画布の上に再現すること。
16世紀にハプスブルク家に宮廷画家として仕え、果物や野菜を組み合わせた奇怪な人物像を数多く残したアルチンボルドも、その精神を受け継ぐ一人だ。
そして若きカラヴァッジョもまた、自身の師をはじめとする先輩たちから、自然への関心と写実描写の技を受け継いでいた。さらにブレーシャのサヴォルドやクレモナの画家一族出身のアントニオ・カンピらの作品からは明暗表現を学び取り、自分のものとして磨き上げていた。
ローマに出てきたものの、ほぼ身一つで頼る人もないカラヴァッジョにとって、頼れるのはこの故郷で身につけた技だけだったと言っても良いだろう。
彼はローマ中の工房を渡り歩き、やがて当代の人気画家カヴァリエーレ・ダルピーノの工房に落ち着いた。そこで彼は、主に花や果物を描いていた。
当時のローマでは、花や果物自体が主役となることはまだ珍しかった。しかし、ニーズのある宗教画や神話画を華やかに彩るモチーフとして欠かせないものと言えるだろう。
カラヴァッジョはそれらの描写に長けた存在として、仕事を割り振られていたのだろう。しかし、工房内の立場はあくまで「助手」でしかなく、もちろんカラヴァッジョもそれで終わるつもりはなかった。
彼は約8ヶ月でダルピーノの工房をやめてしまう。
そしてこのローマという市場の中で一人の画家として抜きん出るべく、作戦を練り始めるのだ。
②少年像ーーーカラヴァッジョの戦略
ローマの美術は、何と言っても人物を中心とする作品が大きな位置を占めていた。
つまり、ローマで名を挙げるためには、とにかく人物画を描く必要があった。
聖書や聖人の物語をテーマにした宗教画。私室を飾る神話画。そして肖像画。
しかし、カラヴァッジョが人物画の入り口として選んだのはそれらのどれでもない。
身近な同時代の人々を題材にした人物像だった。
それも、自身が得意としていた静物と、少年を組み合わせるという形でだ。
たとえば、ごく初期の作例〈蜥蜴に噛まれた少年〉を見てみよう。

この作品は、ロンバルディアの女性画家ソフォニスバ・アングイソッラの〈ザリガニに指を挟まれて泣く子ども〉が下敷きになっていると考えられている。
画面いっぱいに大きく描き出された少年の半身が、左から差し込んだ光の中に浮かび上がっている。
少年は台の上のサクランボを取ろうとでもしたのだろうか。しかし、その中に紛れていた蜥蜴に中指を噛まれ、驚いている。
手の動きや半開きになった口元、眉間の皺は彼の驚きと痛みを雄弁に物語り、それは左から差し込んだ光によってよりドラマチックに強調されている。
しかし、少年以外にも注目したいポイントがある。右手前に置かれたガラスの花瓶だ。花瓶の表面には部屋の窓が映り込んでいる。
また透明な水はその冷たさをも見る側に想像させる。
カラヴァッジョが故郷で身につけた、目の前にある「現実」を徹底的に観察する目と、その成果を緻密に描き出す技、そしてそれらをどのように活かしていくか。
その方向づけを模索する中で生まれた作品と言えよう。
このような試行錯誤を重ねながら、1594年、カラヴァッジョは〈果物籠を持つ少年〉を生み出すのである。
③〈果物籠を持つ少年〉

〈果物籠を持つ少年〉は、カラヴァッジョの初期の少年像の中でも、彼の特技が十二分に活きた作品であると言えよう。
〈蜥蜴に噛まれた少年〉と同じく、左からの光を浴びた黒髪の少年が、山盛りの果物を詰め込んだ籠を両手で抱えている。
リンゴ、ブドウ、ナシそしてザクロ。その一つ一つが精緻に描き込まれている。手を伸ばしたら、本当に一つ摘めてしまいそうだ。同時にそれらの果物がぎっしりと詰め込まれたこの籠はどれほどの重量かとも想像してしまう。
それを抱えている少年も、落とさないようにするだけで一苦労だろう。
しかし、少年の目はとろんと気だるげで、半ば開いた赤い唇や衣がはだけて露わになった肩ともあわさって官能的だ。
果物籠は、この少年が生身の存在だということを強調してくれる装置でもある。
重量感だけではない。籠の中の果物の一部には染みが浮き、はみ出した葉の中には変色し、枯れかけているものもある。だからこそ、リアリティが増す。
そして少年と組み合わさることで、濃厚なエロティシズムが香り立つのだ。
少年のモデルになったマリオ・ミンニーティは、カラヴァッジョがローマで出会い、行動を共にしていた弟分であり、他のいくつかの作品でもモデルを務めている。
そのような事情も踏まえると、身近な存在からこの〈果物籠を持つ少年〉のような「官能美」を作り出した、カラヴァッジョの卓越した技量も改めて実感させられる。
目の前にある美しい花をそのまま描けば、それなりに「美しい絵」はできあがるだろう。
しかし、この〈果物籠を持つ少年〉はそれだけではない。枯れかけた葉など、普通なら描かない要素も忠実に描きこむ観察眼と執念こそが、作品の魂となっているのではないだろうか。
盛期ルネサンス以来、イタリア絵画では調和や均衡をベースとした「理想美」が規範となっていた。
画面全体が明るい光で満たされるのが通例で、夜の場面でも人や物の形がはっきり見えるように描かれた。
しかし、そのような常識に一石を投じた存在こそ、カラヴァッジョだ。
スポットライトのような一方向からの光。
そして、その中に浮かぶ人々は、聖人であっても、生身の肉体を持つ人間として描かれた。
それは、当時の画壇に衝撃を与えた。

この〈ロレートの聖母〉は、聖地ロレートを訪れた巡礼者の前に聖母子が幻影として現れた場面を描いたものだが、跪く巡礼者の汚れた素足の描写は、当時大騒ぎを引き起こしたという。
ある者からは「軽率」、「卑俗」と見なされたが、逆に巡礼者たちの姿に自分自身を重ねた者たちも少なくなかったのだ。
また、この作品を描いていた頃、上からの光を取り入れるべく、カラヴァッジョは家主に無断でアトリエとしていた借家の天井の一部を壊した、という記録もある。
しばしば凶暴な性格や暴力的なエピソードが強調されがちな彼だが、画家として制作やモチーフに向き合い、妥協しない姿勢も持っていたのだ。
その原点を伺わせる作品の一つが、〈果物籠を持つ少年〉なのである。
