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モネ〈アルジャントゥイユのヒナゲシ〉

爽やかな風が吹く初夏。赤いひなげしが咲き乱れる野原では、花々が風に揺れ、その中の小道を日傘を手にした一組の母子がのんびりと下っている。
そんな初夏の一場面を捉えたのが、モネの初期の傑作〈アルジャントゥイユのヒナゲシ〉である。ここに描かれているのは、ありふれた一風景に過ぎない。しかし、この作品は作者のモネにとっても、そして美術史においても重要な一枚である。
この絵に込められた意味とは何か。なぜ、この絵が生まれたのか。
それらを読み解いてみたい。

①クロード・モネ

クロード・モネは1840年にパリで生まれ、ノルマンディー地方のル・アーヴルで育った。
18歳で地元の画家 ブーダンの指導のもと戸外制作を行ったのをきっかけに、風景画家を志すようになる。 
19歳でパリに出ると、画塾で生涯の友となるルノワールをはじめ、後に印象派を結成する仲間たちと出会うこととなる。若きモネは彼らと切磋琢磨しながら、自らの技術を磨きサロンへの応募を繰り返していた。
1869年には、ルノワールと共に訪れたセーヌ河岸の行楽地 ラ・グルヌイエールで、筆触分割による表現を試みている。この技法は陽光が水の上に反射しきらめく様を画布の上に再現するためのものであり、後の印象派を特徴づける技法となっていく。

また1865年頃には、後に妻となるカミーユ・ドンシューという女性と出会う。
カミーユは、モネにとって初のサロン入選作品となった〈緑衣の女性(カミーユ)〉や〈庭の女たち〉をはじめ多くの作品でモデルを務めた。


クロード・モネ、〈緑衣の女〉、1866年、ブレーメン美術館(パブリックドメイン)(出典:wikipedia)


クロード・モネ、〈庭の女たち〉、1866年、オルセー美術館(パブリックドメイン)(出典:wikipedia)


そんな日々の中でモネとの仲は深まっていき、1867年には長男ジャンが生まれている。
1870年に普仏戦争が勃発すると、モネは入籍して間もないカミーユと息子を連れてロンドンに避難。翌年、戦争終結後にパリに戻ると、12月にはパリ近郊のアルジャントゥイユに家を借りて暮らし始める。

②楽園・アルジャントゥイユ

アルジャントゥイユはパリから北西約10km、セーヌ川右岸に位置する人口 8000人ほどの小さな村だった。1851年の鉄道開通後、アルジャントゥイユはヨットやボート遊びを楽しめる行楽地として人気を集めるようになる。
都会の喧騒を離れたこの場所は、モネにとって楽園となった。陽光にきらめきながら流れるセーヌ川、そこに浮かぶヨット、自然豊かな風景など、創作意欲を掻き立てるモチーフが溢れていた。


クロード・モネ、〈アルジャントゥイユのレガッタ〉、1872年、オルセー美術館(パブリックドメイン)(出典:wikipedia)


パリからはルノワールやシスレーら仲間たちがよく遊びに来てくれた。特にルノワールは頻繁に家に訪ねてきて、庭で制作するモネの姿を描いたり、時には一緒にカンヴァスを並べて同じモチーフを描いたりすることもあった。
愛する妻子の存在も大きかっただろう。しかし、そこに至るまでの道は平坦なものではなかった。
カミーユが労働者階級の出身だったため、父からは長く結婚に反対されていたのだ。仕送りが断たれるのを恐れ、友人バジールにカミーユとジャンを預かってもらったこともあった。
しかし、このアルジャントゥイユでようやく三人一緒に暮らせるようになった。家の庭や近所の草原を舞台に二人を描いた作品からは、ようやく手にした家族との生活を慈しむモネの眼差しが感じられる。
〈アルジャントゥイユのヒナゲシ〉も、そんな日々の中から生まれた一枚だ。

③〈アルジャントゥイユのヒナゲシ〉


クロード・モネ、〈アルジャントゥイユのヒナゲシ〉、1873年、オルセー美術館(パブリックドメイン)(出典:wikipedia)


画面は空と草原とで上下に二分されている。そして草原の中心を日傘を手にした母子がよぎっていく。
草原には沢山のヒナゲシが、無数の赤い小さな点として散りばめられ、風に吹かれてかすかに動いているようにも見える。
画面の上半分を占める青空のなんと爽やかなことだろう。流れる白い雲は、この風景の中を時間が緩やかに過ぎていくことを教えてくれている。
そしてこんもりした木々が横一列に並ぶ姿は、空と大地を区切る装飾帯のようだ。
よく見ると、小道の起点にももう一組の親子が描き込まれている。
彼らは一体何者なのか?
実は日傘をさした女性はカミーユ、そして帽子をかぶった少年はジャンであると考えられている。
実際、2年後の1875年にカミーユたちをモデルに描かれた〈散歩、日傘をさす女性〉でもジャンはよく似た帽子をかぶっている。


クロード・モネ、〈散歩、日傘をさす女〉、1875年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー(パブリックドメイン)(出典:wikipedia)


そして研究者たちは、二組の親子は同一人物であると見なしている。もしそうだとすれば、モネは二組の親子を描きこむことで、時間の流れをも絵の中に取り込もうとしたのかもしれない。
このやり方は、同じ人物の異なる時間帯の動きを一つの画面の中に描きこむ「異時同図」の手法を思わせる。
親子は顔立ちも曖昧で、周囲の風景も素早い筆致で描かれている。しかし、その場に満ちる陽光や空気の流れ、さらには移ろい行く時間までもがここには描き留められている。
このように「一瞬」の印象をカンヴァスの上にとどめようとする試みこそ、後の印象派を特徴づける表現だった。

アルジャントゥイユでの7年間は、モネの前半生において最も幸福な時間だっただろう。
愛する家族との生活。パリから来る仲間たちとの交流。その中で、明るい光や風を感じながら、モネは一瞬一瞬を愛おしむように〈アルジャントゥイユのヒナゲシ〉をはじめ、多くの作品を描き上げた。
そしてそれらは、1874年から始まる印象派展を彩り、新たな芸術の始まりを告げたのである。


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