函南・沼津旅行記――「駿河の湯」でズレた世界線と埴輪の魂を宿す仏像について
ゴールデンウィークに伊豆の付け根に位置する静岡県函南町と、その隣の沼津を訪れた。
今回の記事はその旅行記だ。
「仏の顔」は三者三様
函南町の静かな集落に、展示室がわずか二つの「かんなみ仏の里美術館」という小さな美術館がある。ここには、この地で数百年にわたり守り抜かれてきた国指定重要文化財「阿弥陀如来及両脇侍像」が安置されている。
数人の知人と共に訪れたのだが、鑑賞後の感想はみんな一律に「良かった」という感想だった。
しかし、その「良さ」の内容は見事なまでにバラバラだった。同じ空間にいながら、僕たちは全く別の「良さ」を見つめていた。
「建築」を視る知人:彼は屋外で熱心にシャッターを切っていた。この美術館は、長崎原爆死没者追悼平和祈念館や平等院鳳翔館などで知られる巨匠・栗生明が手掛けた「テンプルミュージアム」というコンセプトだという。彼にとってここは、神仏を祭る場とモダン建築が高度に融合した、造形美の結晶だった。
「美術」を視る知人:美大出身の知人は、仏師・実慶の手による鎌倉期の力強い造形に興味を抱いていた。武士に愛された慶派のリアリズムと、そしてそれが今日まで小さな集落で奇跡的に残されてきた歴史に感動を覚えていた。
「背景」を視る僕: 僕が惹かれたのは、その像が作られた「理由」だった。
埴輪と仏像
美術館の資料展示を見たところ、この阿弥陀如来像は、源頼朝の挙兵に従い、石橋山の戦いで散った北条宗時(政子や義時の兄)を弔うため、父・時政が建立したとされる。
このエピソードを読んだとき、僕の脳裏に一つの仮説が浮かんだ。
「有力者が死した際、その姿を写した像を置く」という行為は、日本古来の埴輪文化の変奏ではないか?
かつて、この国の有力者の権威は「埴輪」という記号によって古墳の上に視覚化されていた。しかし大化の改新後の「薄葬令」により、巨大な古墳は姿を消す。
祈りの場が「墓(古墳)」から「寺院」へと移行したとき、埴輪が担っていた役割は、仏像という新しい「偶像」へと滑り込んでいったのではないか。
本来、仏像は仏教の教理を具現化したものであり、特定の個人を指すものではない。しかし、北条時政がこの像に求めたのは、単なる宗教儀礼だったのだろうか。
そこには、若くして命を落とした息子の面影を投影し、その魂を不滅の姿に定着させたいという切実な「肖像への欲求」があったのではないだろうか。
かつて古墳には埴輪が立ち並び、死者の実在感を誇示していた。
その役割は、数百年後の慶派の仏師たちが追求した「圧倒的な写実性(リアリズム)」の中に、密かに習合し、生き続けているように思える。
沼津・駿河の湯:狐に化かされた思い出
美術館を後にし、沼津の「駿河の湯」へ行った。
ここは僕にとって、奇妙な記憶が刻まれた場所だ。
かつて自転車で日本一周をしていた頃、僕はツーリングマップルを頼りに「万葉の湯」を目指していた。沼津インター近くの「沼津ぐるめ街道」を登り、温泉施設を見つけ、その建物に入った。
露天風呂から見える絶景に見とれてロッカーの鍵を一時紛失するというトラブルに見舞われながらも、旅の疲れを存分に癒やした。
しかし、満足して外に出た僕が目にしたのは「駿河の湯」という巨大な看板だった。
「どこだ、ここは?」
看板を見つめながら、しばらく混乱した。「万葉の湯」へ行ったはずが、出てきたら「駿河の湯」だった。
狐に化かされたのか、あるいは世界線が変わったのか。不思議に思いながら街道を下ると、数百メートル先に本物の「万葉の湯」が現れた。
単なる自分の見落としなのだが、沼津ぐるめ街道には「万葉の湯」と「駿河の湯」が隣接しているのだ。
あの時の世界線が変わってしまったような感覚はよく覚えている。
今回の旅行で僕は久しぶりに、その「駿河の湯」に行った。
「駿河の湯」の露天風呂からの景色は僕の記憶よりも素晴らしかった。
建物を出た時、看板が「万葉の湯」に変わっていないかと思い、念のため振り返ってみた。そこにはあの時と変わらず「駿河の湯」という看板があった。
どうやら、狐はもういないのか、あるいは、僕はまだこの世界線で生きていくことになっているようだ。
旅は「解釈」の集積である
かつての迷い子のような感覚を思い出しながら、僕は美術館での知人たちの視点を思い返してみた。
客観的な事実として、そこにあるのは一軒のスパ銭であり、一棟の建築物であり、古い仏像だ。しかし、僕たちがそれをどう「視る」かというフィルターを通すと、世界は全く別の色を帯び始める。
同じ美術館という施設を、建築として視る者、美術として視る者、歴史の連続性として視る者がいる。
客観的には、あれは「駿河の湯」の看板だが、僕にはダイバージェンスメーター(アニメ『STEINS;GATE』(シュタインズ・ゲート)に登場する世界線のズレを計測する架空のガジェット)に見える。
その視点の集積が「旅行記」なのだと思う。
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