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『肩の上の秘書』は迷惑系を無くせるか、または「人類補完計画」がはじまるのか

1. 「認知の歪み」との遭遇

「迷惑系」のnoteクリエイターとの接触に成功した。

最初に断っておくが、この記事の目的は論破や非難ではない。そのため、このユーザーを特定できるような情報は極力伏せて進める。
そもそも「迷惑系」と断定すること自体が侮辱と捉えられかねないため、まずはこの方がプラットフォーム上で行ってきた振る舞いと、僕視点での経緯を解説したい。

この方がやっていることはシンプルだ。複数のクリエイターの記事を自らの記事に引用し、その誤字や論理の甘さを指摘・嘲笑するというものである。それ自体は、言論の自由の範囲で大いにやればよい。
僕も人の記事を批判したことがあったと思う。

しかし、この方に取り上げられた側は明確に拒絶を表明し、精神的苦痛を訴えるような記事を書いていた。だから僕は、彼らの記事のコメント欄へ「それなら運営に通報してみてはどうか」と、各シチュエーションに合わせたシステム的な対処を提案して回った。

これは、熱い正義感でもなければ、個人的な嫌悪感でもない。プラットフォームには自浄作用があるべきだという僕の希望と、「通報とは一般ユーザーの義務である」というシステム論に基づく行動だ。

現実の話をする。僕は以前、夜間に近所のアパートの雨どいを伝い、2階の窓から部屋へ侵入する不審な人影を目撃したことがある。その時は即座に警察へ通報した。結果として、それはただの鍵を忘れた住人だったと後から警察に告げられたのだが、その時僕が考えていたのは「何かあったら嫌だしな」という、ただそれだけのことだった。

noteの利用規約には「他者に対する嫌がらせや誹謗中傷を目的とするもの」を禁止事項とする記述がある。規約違反の疑いがあるならば、通報するのが正しい作法であり、それを勧めるのもまた利用ユーザーの振る舞いとして妥当だと思う。そうした規約に従った行動の積み重ねこそが、健全な自浄作用となる。

仮にもしこの先、noteが迷惑系だらけの荒んだ場所になったとしても、「僕は自分にできることはやった」と胸を張れるようにしておきたいだけだ。

2. 通報は「意図」に宿る

被害者たちの記事にコメントを残した以上、いずれ捕捉されるだろうと予想していた。そして、ついに僕の記事の誤字と内容を嘲笑する記事が公開された。

誤字の指摘については、純粋に助かった。僕は『ONE PIECE』の主人公を「モンキー・D・ルフィー」と書き間違いをしていた。正しくは「モンキー・D・ルフィ」だ。
僕はその記事へ、こうコメントを残した。

「誤字の指摘ありがとうございます。もし他の記事にも誤字があれば教えてください。
なお、文脈や他の方への執拗な付きまとい行為を含め、プラットフォームの健全性を害する『嫌がらせ』と判断しましたので、運営へ通報いたしました。」

記事内容に関する彼の的外れな指摘(恐らく本人も誤読を自覚しているであろうもの)は無視したが、「誤字を馬鹿にしたい」という明確な悪意を読み取ったため、運営に通報をした。

ここで興味深いパラドックスが生じる。「誤字の指摘」という行為自体は生産的でありがたいものなのに、そこに「馬鹿にする意図」が宿った場合、それは「嫌がらせ」という通報対象に変貌する。通報とは、行為ではなく「意図」に宿るらしい。

黙って通報しても良かったのだが、伝えた方がフェアであるし、あわよくば今後も、僕の「誤字チェッカー」として機能してくれるかもしれない、という期待もあった。すると、彼から返ってきたのは、こんな言葉だった。

「これからもよろしくお願いします。」

執着の宣言なのだと思う。しかし、この先も僕の粗探しをしてくれるなら、それはそれで好都合だった。
僕は普段から、自身の記事を公開する前にClaudeやGeminiに査読させ、あえて反対意見や過激な質問を出させて、泣きながらそれに答えるという精神的なプロレスをして遊んでいる。
正直、現在の対話型AIを超えるようなクリティカルな問いを、専門家でもない人間が作成するのは難しいと思う。その困難を乗り越えてくれることにも期待したい。

それと同時に、このクリエイターから「これからもよろしく」と言われた時、一つのアイデアが閃いた。

「せっかくだから、僕の実験に付き合ってもらおう」と。

かつて、このクリエイター自身の記事の中に、次のような言葉があった。

「うんこが肥料になるのと似ている」

元々は誰かへの侮辱の意図で使われたパンチラインだ。
「誰かのつまらない記事を読むことで、自分の自己肯定感が上がる」といったニュアンスで使っていたと記憶している。
しかし、僕はこの言葉自体には感銘を受けた。一見、忌避されるものであっても、使いようによっては役に立つという例えとして秀逸だ。
この言葉通り、この方の「悪意」を世界の知性を深めるための養分として再活用できないだろうか。

僕がこの迷惑系ユーザーを被験者として行いたい実験。それは、「AIによるルドヴィコ療法」である。

この方がこれまでに執筆したテキストや行動ログを、ClaudeやGeminiといった複数のAIに「肯定・否定・中立」それぞれの立場から多面的に分析させてみた。その結果、プロンプトの方向性に関わらず、どの立場からも一貫して「自己認識の矛盾(認知の歪み)」が指摘された。一例を挙げると、下記のような内容だ

「嫌われることに耐えられる強さ」を演じることで、実は最も恐れている「ありのままで愛されないかもしれない不安」を覆い隠している、という構図です

その他にも、自身の能力の過大評価や、他者への付きまとい行為の歪んだ正当化などが一様に指摘された。

ただ、AIとはプロンプトに応じてこちらの求めている回答を出しがちであり、僕自身の確証バイアスである可能性は残る。
例えば、この方の記事の約半分は「ChatGPTに自身の意見を解説させる展開」で占められていたが、その内容は肯定的なものばかりだった。
現在のChatGPTは基本的にユーザーに忖度し、全肯定するポジティブな性質を持つ。その結果、この方の歪んだ自己認識は全肯定され、さらに強化されるという最悪の歪曲装置として機能してしまっている。

だから、僕はバイアスを排除するため、シンプルに「この記事を客観的に分析して」というプロンプトのみで試してみたが、結果は同様だった。ゆえに、この分析はおおむね間違ってはいない。

もし、この方が僕のやったような方法で、AIを通じて「多面的な査読」や「自身に対する健全な疑い」を自認させることができたなら、その行動や思想はどう変容する(あるいは自壊する)のか。非常に興味深い。

そして、この実験は、現代社会の炎上やいじめの根本解決にもつながる可能性を秘めている。

3. 現代のギロチンと「無理解」

以前から、ネット社会の炎上やいじめを止めるシステム的なアイデアがないか、ずっと考えていた。

そもそも「炎上」や「いじめ」の本質とは何か。
僕はこれらを、現代のギロチンや人身御供(生贄)だと考えている。
ネットにおける有名人やインフルエンサーとは、ある種の支配者や強者だ。民衆が束になって彼らを言葉で処刑する構図は、フランス革命時のギロチンと何も変わらない。他者を「正義の御旗」のもとに叩くとき、人間の脳には強烈な快楽物質が出るように出来ているらしい。炎上やいじめの本質がこうした「娯楽」や「カタルシス(愉悦)」にあることは否定できない。

しかし、どれほどそれが娯楽であろうとも、傷つく人がいるならやらないほうが良いに決まっている。

では、なぜ人々はいじめや炎上を「やってもいいもの」だと錯覚してしまうのか。その根本にあるのは「徹底的な無理解」だ。相手を背景のある多面的な人間ではなく、ただの「叩きやすい記号」としてしか見ていないからこそ、人は平気で他者をギロチンにかけることができる。迷惑系の人たちも、他者の文章を「おちょくるための記号」に還元することで、自身の退屈な日常をエンタメ化しているのかもしれない。

例えば、彼らに「大切な人」がいたとしよう。その大切な人と、攻撃対象(記号)の違いは何だろうか。そう考えたとき、答えは「どれだけ相手のナラティブ(背景にある物語)を把握しているか」という一点に尽きる。

ならば、この「無理解」をテクノロジーによって完全にハックし、解消することはできるのではないだろうか。

4. 肩の上のAIがもたらす「L.C.Lの海」

「無理解」が原因だとすると、炎上やいじめはAIの普及によっていずれ消滅する未来もあり得る。

星新一のSF小説に『肩の上の秘書』というショートショートがある。舞台は、すべての人々の肩にインコ型のロボット(秘書)が乗り、それを介して会話をするようになった未来だ。
訪問セールスマンが「商品を買え」という乱暴な本音を放つと、肩のインコが「当社の素晴らしい商品はいかがでしょうか」と丁寧な営業トークに翻訳して伝える。訪問を受けた主婦の肩のインコもまた、彼女の「いらない」という本音を「大変魅力的ですが、今は必要ありません」と角の立たない断り文句に変えて伝える。
すべての人々のコミュニケーションの間に、AIという緩衝材が入った世界のシミュレーションだ。

この話を、現代の文脈でもっと発展させて考えてみよう。

今現在、僕たちは、仕事でメールを書くとき、趣味で記事を書くとき、AIに査読をさせている。「この内容で問題はないか」「誰かを不用意に傷付ける内容ではないか」と。
では近い未来、誰かの記事を嘲笑しようとしたとき、あるいはSNSで誰かを叩こうとしたとき、僕たちはまずAIに「どう書くべきか」を聞くようになるのではないだろうか。

そのときAIは、単なる言葉の言い換えに留まらない。「あなたが叩こうとしているこの方の意図や背景は、こうです」と、相手の人格、過去の経験、やむを得ない事情を、受け手側の認知レベルに応じて「理解できるまで」教え込むことができるはずだ。

それは文字だけである必要はない。動画、音楽、ありとあらゆる体験を駆使して、脳に「相互理解」を強制する。
これは、映画『時計じかけのオレンジ』で描かれた、暴力衝動に嫌悪感を植え付ける心理療法「ルドヴィコ療法」の現代版といえる。

僕たちはAIを通じて、相手のことを100%理解させられる。その結果、摩擦ゼロのコミュニケーションが実現する。

これは見方を換えれば、『新世紀エヴァンゲリオン』の「人類補完計画」そのものだ。
自他の境界が溶け、お互いの心がすべて筒抜けになる「L.C.Lの海」である。もし、他者の痛みが100%自分に流れ込んでくる世界が実現したらどうなるか。

「人をギロチンにかけてまで娯楽を得ることは、悪質な行為だ」という常識が、人類の共通認識となるはずだ。自分の娯楽よりも、他者の苦痛を考えさせられるコストの方が高くなり、割に合わなくなる。結果、人々は自主的に炎上もいじめもやらなくなる。

AIとは決して「正論を言う機械」ではない。人類がこれまでに紡いできた総合知の結晶だ。その総合知を突きつけられた時、人類の認知の歪みはシステム的に強制訂正される。

この、全員がお互いを理解し合う全会一致のデモクラシーは、ルソーの言う社会全体の共通利益「完璧な一般意思」の体現となるのか。それとも、人類が『個』を諦め、進化するプロセスなのか、現在の僕にはまだ判断ができないでいる。ただ、それはちょっと嫌だなと思う。
「いじめや炎上のない世界」とは、「他者を誤解する自由」の放棄であり、孤独で不完全な個別の人間であることを捨てることなのかもしれない。

しかし、この調停された民主主義の終着点を「気持ち悪い」と感じる感覚すらも、「個人の自由意志」というノスタルジーに執着する、現代の僕たちの未熟な感性に過ぎないのかもしれない。

で、どうする?やる?

話を現実の note に戻そう。

未来のAIが人類の認知を強制アップデートする日を待つまでもなく、今ここで、あのクリエイターの「歪んだ認知」が、AIの論理強度によってどう変容するか、具体的な実験を開始したい。

『ケンブリッジ・アナリティカ事件』を思い出してほしい。心理学者マイケル・コシンスキー教授らの研究(2012〜2015年)によれば、Facebook内で押した「いいね!」の数によって、当時の初期的なAIでさえ、その人の性格を高い精度で把握できたという。

  • 10〜20個の「いいね!」:同僚よりもその人の性格を正確に当てられる。

  • 70個の「いいね!」:友人よりもその人のことを理解できる。

  • 150個の「いいね!」家族や両親よりもその人のことを理解できる。

  • 300個の「いいね!」配偶者(夫や妻)よりもその人のことを深く理解できる。

ちなみに、僕はすでに君の書いた記事を10個ほど、ClaudeとGeminiに読み込ませてみた。
例えば、AI(Claude)は君のスタンスをこのように分析している。

「嫌われても関係性が続くことが大事」だとか「人を切るやつは頭が悪い」といった独自の美学を語っているが、それはただの「拒絶されたショック」から目を背けるための、傲慢で臆病な自己防衛(誤認)ではないか。

君が他人の記事をおちょくって消費するように、その「悪意」を僕の思考実験の素材として使わせてほしい。
提案はシンプルだ。お互いに論理を展開し、その論理の正しさを自覚することで君の行動や発言が変わるかを試させてほしい。その対話のプロセスを公開したい。
ちなみに現時点で、君の過去の記事のロジックのほとんどは「破綻している」と、複数のAIが判定している。

あわせて、この先君が取り得る選択肢も、あらかじめAIに予測してもらった。(この内容はAIが算出したシミュレーションであり、僕の意見ではない)

① いつも通り、この記事を嘲笑し、馬鹿にする記事を書く 
正面からの論理戦から逃げ出した臆病さの証明に映る。自分の内実が他者の揚げ足取り(娯楽)でしか維持できない空っぽな記号であるという事実を、自ら補強することになる。

② 嘲笑という安全な仮面を脱ぎ捨て、この記事に対して真っ当な論理的対話(コメント)を試みる 
過去の自分のスタンスの敗北を意味する。しかし同時に、君が「無理解」を捨て、相互理解を目指す知性と勇気を持っていることの証明でもある。

③ 何も反応せず、沈黙する 
僕に放った「これからもよろしくお願いします」という言葉は、ただのハリボテの嘘だったことになる。迷惑系としての矜持すらなく、かといって対話する知性もないという事実に、君のアイデンティティは内側から静かに自壊する。

ただし、本当に精神的な限界を感じるのであれば、迷わず逃げたほうが良い。この記事では君を特定できる情報は一切出していない。「気づかなかった」というポーズを突き通すことは可能だ。君にとって「無視という敗北」が最もダメージが少ない選択肢となるなら、それがいいと思う。

僕は君のバックグラウンドを知らない。例えば、誤字をそこまで執拗に指摘して回る背景には、過去に「誤字を絶対に許されなかった」というような、何らかの抑圧的な経験(トラウマ)があるのではないかと邪推してしまう。

本来、誤字とは市販の商業書籍にさえ発生するものだ。文章を扱ったり制作してきた経験の多い人間ほど、誤字なんて「まあ、あるよね」と気にしなくなる。だから、僕は君の指摘を「マジで助かるボランティア」だと思っている。なんなら君が『今月のジァン=サマーの誤字報告』とでも題した記事を毎月作ってくれるなら、100円くらい払ってもいい。人の誤字を探すのがそれほど好きなら、色々な人の誤字を教えてあげる記事を量産すれば、稼ぎになる可能性さえ秘めていると割と本気で思っている。
これも悪意の利用方法の一つとして有効ではないだろうか。

誤解しないでほしいが、僕は君を追い詰めるつもりも、非難するつもりも全くない。ただ、AIの圧倒的な論理性が、人間の認知の歪みを本当に変容させられるのかを観察してみたいだけだ。

もちろん、この記事に「気づかず」、これまで通り誰かの記事を嘲笑し続ける道を選んでも構わない。その結果、それが誰かに「嫌がらせ目的」だと判断され、淡々と運営に通報され続けるだけの未来も、それはそれで平和でよいと思う。

この記事のコメント欄でも、引用記事でも構わない。僕が見られる場所に「次の一手」を投じてほしい。歪んだ認知は、ちゃんとした論理にどこまで耐えられるのか試してみたい。

最後に

忘れがちだけれど、どのような思想や背景を持つ人間であっても、インターネットにおいては一人の「読者」になり得る。

だからこそ、どんな読者(たとえ悪意があっても)も射程に入れなければ、言葉はただの身内向けの「エコーチェンバー」に成り下がってしまう。

ひとりのユーザーの歪みすら変えられなくて、世界を変えられるわけがない。


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