見出し画像

夜店から考える「トライブ独自通貨」の未来

「『夜店から』からはじめるnoteを自由に書いてみませんか?」という #シロクマ文芸部 のお題に挑戦してみたい。

シロクマ文芸部は小説などが中心の企画だと思っていたが、「ジャンルは小説・詩歌・エッセイなど何でもOK」とのことだったので、勇気を出して、SFなのか現代批評なのかよくわからない言論で参加してみることにする。

夜店という「隣のグレーゾーン」

夜店から漂う独特の怪しい雰囲気に引き寄せられるとき、僕たちは「いつもの買い物」から少しだけ足を踏み外している気がする。

夏祭りや神社の境内に出る夜店。あの非日常感は子供の頃から好きだった。少し大人になってから、あの空間には僕たちが普段使っている日本円とは異なる「ストリートの経済圏」があることを知った。

夜店を取り仕切るテキヤという存在は、古くから実体経済や行政の枠組みからは少し浮いた場所——市や寺社の境内、河原など——で、独自のルールとコミュニティ(トライブ)を形成してきた。

歴史学者の網野善彦は、中世日本におけるこうした空間を「無縁・公界・楽」、つまり世俗の権力から一時的に切り離された「アジール(避難所)」として論じている。夜店もまた、その末裔にあたる小さなアジールなのかもしれない。

ただし、ここで一つ補足しておきたい。テキヤは純粋な「国家の外側」にいたわけではない。 露店の許可、縄張りの調整、警察との黙認関係——テキヤの自由は、実のところ行政や治安権力と交渉し続けることで初めて成立してきた、いわば「国家と並走するグレーゾーン」だったのだ。

この「完全な外部ではなく、交渉されたグレーゾーン」という境界線。これは、このあと出てくる現代の対抗経済を考える上でも重要な鍵になる。

この記事では、この「夜店」という非日常空間と、現代社会で密かに増殖する「独自通貨」の未来について思考実験をしてみたい。

ポケカの価値と「私設中央銀行」

夜店の射的やくじの景品には、外から見ればガラクタなのに、その場のコミュニティの中でだけ異様に価値を持つものがある。たしか、きれいに抜けた「型抜き」は数百円のお菓子と交換できたはずだ。

いま、社会を揺らしているポケモンカード(ポケカ)や、特定の界隈で熱狂されているボンボンドロップシールなるものも、同じ構造の延長線上にあるのではないか。

外部の人間から見れば、それはただの印刷された紙片だ。しかし、その価値を共有するトライブ(部族)の内部においては「強固な価値」を有している。日本円の価値が乱高下しようとも、そのコミュニティ内では「このカード=〇〇円」という強固な信用が担保されている。

ただし、ここには一つ皮肉がある。
ポケカの高額取引は、実のところ完全な無政府状態の上成り立っているわけではない。PSAやBGSといった第三者鑑定機関の格付けが、カードの状態と真贋を保証することで初めて数十万円という価格が成立している。

つまりトライブは、国家の通貨制度からは自由であっても、「PSA」というもう一つの権威——いわば「私設の中央銀行」——には依存している。
一見ステートレスに見える価値も、結局はどこかで別の権威に支えられているという構造は、極めて示唆的だ。

「実体なきコイン」と「実体ある紙片」

ここで思考をもう一段深めてみたい。この「トライブ内独自通貨」の極致にあるのが、昨今の「ミームコイン(実体のない仮想通貨)」だ。

現代では、何の発行体も事業裏付けもなく、ただのネット上のノリや熱狂(ミーム)だけで莫大な時価総額を持つデジタル通貨が存在する。それは時として、追跡を逃れたい怪しい組織や裏社会の資金洗浄(マネーロンダリング)の器としても機能していると言われる。

一方で、ポケモンカードは「実体のある紙片」だ。しかし、そこに付与されている価格は、ミームコインと同じ「トライブ内の熱狂と共有された錯覚」に依存している。

  • デジタル(ミームコイン): 国境を越えて瞬時に流動する、実体なき暗黒通貨

  • フィジカル(ポケカ): 持ち運び可能で関税もすり抜ける、実体ある暗黒資産

ここに、裏社会における「盗難美術品」という古典的な類推を重ねてみたい。

美術館から盗まれた名画は、表の市場では売れない。しかし犯罪組織の内部では、「換金しにくいがゆえに担保として機能する資産」になる。麻薬取引の担保にされたり、逮捕後の量刑交渉の材料にされたりする例が、FBIの美術犯罪班などによって報告されている。

数億円の札束と違って軽く、「表では使えないが、内輪の信用網の中でだけ強く効く」という性質こそが、絵画を裏社会の疑似通貨たらしめているのだ。

実体がないデジタル通貨(ミームコイン)と、実体はあるが正規の交換価値を持たないフィジカルな紙片(ポケカ)。 一見対極にあるこの二つは、「国家の監視をすり抜け、内輪の信用だけで莫大な価値を移動できる」という機能において完全に等価であり、条件さえ整えば滑らかに相互変換されうる。

監視社会の果てに現れる「夜店の暗黒市場」

もしも近い将来、僕たちが生きる実体経済がCBDC(中央銀行デジタル通貨)や完全なマイナンバー紐付けによって、すべての1円単位の取引まで国家に監視・捕捉される「ハイパー透明化社会」が来たらどうなるか。

これは荒唐無稽な仮定ではない。日本銀行は2021年から段階的にCBDCの実証実験を進めており、KYC(本人確認)や生体認証、オフライン決済のあり方まで具体的に検討されている。「いつかは来るかもしれない」現実的な未来だ。

そのとき、かつてアジールであった「夜店」は、どのような進化を遂げるだろう。

なぜ、それがオンラインではなく「夜店」という物理空間に回帰するのか。 オンラインの暗号資産取引所には厳格なKYCがあり、ウォレットの動きはブロックチェーン上に永久に記録される。国家の監視網をすり抜けるには、むしろ対面・現金・匿名という原始的な物理性のほうが有利になるのだ。

デジタルの匿名性が剥がされていくほど、皮肉なことに「顔の見える怪しい市」という前近代的な仕組みの優位性が高まっていくのではないだろうか。
その結果、たこ焼きがピカチュウ3枚と交換できるかもしれない。

国家の金融網からは見えにくい、ミームコインとポケカが織りなす現代の闇市の誕生だ。

1970年代にサミュエル・E・コンキン3世が提唱した「アゴリズム(agorism)」という思想は、国家の統制経済に対して地下で自発的に成立する交換経済を「カウンター・エコノミー(対抗経済)」と呼んだ。夜店とミームコインの結託は、まさにその現代版と言える。

非実在経済

冒頭で触れたテキヤの歴史がそうであったように、この対抗経済もまた、国家から完全に独立した聖域にはならないだろう。

警察と縄張りを調整しながら生き延びてきたテキヤと同じように、規制と黙認のあいだを縫いながら国家と並走し続ける——そんな、したたかなグレーゾーンとして存続していくのではないかと思う。

表の経済論理とは異なるルールで生き延びてきたテキヤ的な空間と、デジタル・フィジカルの草の根のトライブ内通貨が結びつくとき、夜店は単なる祭りの出店ではなく、「国家の通貨制度と交渉しながら並走する、ストリートの対抗経済」へと変貌する。

夜店から始まるその思考の先には、僕たちが何を「信用」し何に「価値」を感じているのか、その正体が浮かび上がっている。

ちなみに僕は、ポケカも遊戯王もマジック:ザ・ギャザリングも、一枚も持っていない。 まだ実在していないこの新しい経済社会では、僕は夜店で買い食いもできない。

いいなと思ったら応援しよう!

ジァン=サマー 読んでいただけることが一番の報酬です。 無料で誰でもアクセスできることに価値を感じているため、お気遣いは一切不要です。 もし過分なご厚意をいただいた場合には、社会貢献活動などへ寄付させていただきます。