なんでもできるけど、なんにもできない
タイトルの通りである。
私は幼い頃からなんでもできた。
勉強も運動も美術も、なんでもできた。
模試の一位も賞状も、取って当たり前だと思っていたくらいだ。
しかし、すべてそれなりでしかない。
私より上手くて、楽しんでやっている人がいくらでもいる。
それがずっと、コンプレックスだった。
敵わない天才が、この世の中には大勢いる。
そのことに気がついたのは高校生の頃だった。
私は卒なくこなせるだけで、その道で食べていけるほどの技量もセンスも、熱意もない。
勉強ができるだけで、起業できるほど賢いわけでもない。
自分の天井が見えてしまった。
一番ないのは度胸だ。
天才たちのライバルになる勇気は最後まで生まれなかった。
それから四大に入り、新卒で就職し、キャリアを積むことに全振りした。そして昔なってみたかった職業を、趣味として始めるようになった。
服飾、絵、製菓、パン作り、写真、執筆。
手先が器用な上に凝り性、かつ本格派だから、パンは酵母から育てた。
料理はハーブや野菜を自家栽培するところから始めた。
ディズニーハロウィンに行くなら、衣装の型紙から起こし、友達の分まで作り上げた。
ヘッダーの写真は私が作ったケーキだ。絵もチマチマと自分で描いた。
ご覧の通り、それなりでしかない。
買った方が美味しいし綺麗。
歳を重ねるたびに、何をしても楽しくなくなった。天井が見えてしまうから。
気が付けば、すべての趣味から手を引いた。
何をやっても楽しくない。
「こんなことやって、なんになる」と思ったこともある。
その私が、最近は小説の公募に精を出している。
趣味でもなんでもない。
書かないと死ぬからだ。
大きな喪失を体験して以来、私の頭の中は、様々な感情が濁流のように渦巻いていた。
感情が溢れて、言葉が止まらない。
唯一の救いが、文章として紡ぐことだった。
最初は日記だった。日記にしては文字数が三万字くらいあったけれど。そうして吐き出すことだけが、自分の脳を黙らせることができる唯一の手段だった。
小説を書き始めたきっかけは、出版社時代の友人の一言だった。
「そんなに毎日テキスト書いてるなら、小説にしたら? 賞に応募しなくても、文芸イベントに出すのもいいじゃん」
激震が走った。自分が執筆だなんて、考えたこともない。
私は小説の書き方も知らないくせに、その日のうちに、一気に書き上げた。まさに水を得た魚だった。原稿の上で、私は自由に振る舞えた。誰に言えなかった感情も、ここにはぶつけることができる。剥き出しの魂をぶつけて、そこから人に読んでもらえるように工夫して磨く作業も楽しかった。
あれから一年が経ち、フィクションを書き始めた。なぜなら私小説だと何度も同じ痛みをなぞってしまうからだ。そう簡単に、私の書きたいことは変わらない。
そのうち、創作は現実にできないことを、なんでもできると気が付いた。働かなくたっていいし、なりたい生き物にだってなれる。ミステリーで元彼を惨殺したっていい。
大なり小なり、何も書かない日は1日もない。
どこにも公開しない作品もたくさん増えていった。
それならばと、公募に出してみることにした。
何もなくたって書くのだから、何かのために書いてもいいか、くらいの軽さで。
公募は意外にも自分の肌に合っていた。
お題があり、締め切りがある。
会社員の私には慣れたスタイルだったと言える。
応募する前に下調べとして受賞作を読むが、読めば読むほどに自信がなくなる。一般人とは思えないくらい、みんな上手い。私はアイデアも構成力も文章力も、圧倒的に劣っている。
でも最近は、落選しても別にいいかも、と思えてきた。気負いすぎたら、また書けなくなってしまうかもしれない。
「書けたから応募してみる」
今の私には、それくらいの肩肘張らない執筆が身の丈に合っている。
選ばれなくても、どうせ書かないと死ぬのだから。
